カテゴリー: 名作

  • 映画『アンダーグラウンド』 国を失う悲劇をコミカルに描いたファンタジー

    映画『アンダーグラウンド』 国を失う悲劇をコミカルに描いたファンタジー

    映画『アンダーグラウンド』UNDERGROUND

    アンダーグラウンド

    昔、ある所に国があった。

    地上と地下、それは支配するものとされるものを描いていた

    久々の怪作を観た。
    ユーゴスラビアの近代史を紐解く作品とも言える。

    冒頭から騒々しい音楽と共にユーゴスラビアに生きる人々が、生き生きと映し出される。
    と、同時に第二次世界大戦に突入。
    東欧の映画らしい、洗練はされていないが、人間味有る独特の雰囲気に溢れる。

    映画としては少し冗長なとこも確かにあるが、それ以上に素晴らしいテーマを持つ、一つ一つのシーンが美しい。

    前半はひたすら人々の暮らしや人間の愛憎が描かれる。
    マルコとクロと女優のナタリアの三角関係が軸になる。
    戦争の激化、ゲリラ化に伴い、人々は地下に潜る。
    マルコとナタリアだけが地上で生活をし、地下の人々に生活物資を送る。
    地下の人々はその中で、希望を失うこと無しに自分たちの生活を続ける。

    画面には滑稽な風景が映し出される。
    しかしそこにはユーゴスラビアの人々の生きる事への力強さ、国を取り戻す事への強い意志が現れている。

    地上では戦争が終わり、共産党のチトーが政権を執る。
    映画の中盤から、実写も織り込みながら歴史を語り始める。
    と同時にマルコとナタリアの苦悩が描かれる、地下の人々を裏切り続ける事、騙し続ける事への...

    地下の人々は、地上の戦争が終わったことを知らない。
    マルコのとった行動は、地下の人々を殺すことだった。
    クロとその息子は地上に脱出する。
    クロの息子が初めて見る太陽のシーンは感動的ですらある。
    映画史上の最も美しい1シーンと言える。

    それから20年が過ぎ、ユーゴスラビアは内戦に突入する。
    そこには民族の対立、ユーゴスラビアの崩壊が有った。

    結局、クロは自分を裏切ったマルコとナタリーを間接的に殺すことに...。
    そして自らも命を落とす。

    生き生きとした人々、その生活を描きながら、その人々が住む故郷・ユーゴスラビアと言う国が存在しない事への底知れぬ、悲しみ、怒りが描かれている。

    ラストのイヴァン(マルコの弟で、チンパンジーを連れた動物園の元飼育係)の言葉に心が痛む。
    それでも人々は生き続ける、踊り続ける!そこに自分の土地が無くても。
    映画のテーマに、底知れぬ痛みと感動を憶える、大作であり、傑作である。

    Reviewed in 03.1999 

    映画『アンダーグラウンド』のデータ

    アンダーグラウンド Blu-ray — Amazonで見る

    UNDERGROUND 171分 1995年 フランス=ドイツ=ハンガリー
    監督■エミール・クストリッツァ
    製作総指揮■ピエール・スペングラー
    製作■カール・ボームガートナー
    原作■デュシャン・コバチェヴィチ
    脚本■デュシャン・コバチェヴィチ/エミール・クストリッツァ
    撮影■ヴィルコ・フィラチ
    音楽■ゴラン・ブレゴヴィク
    編集■ブランカ・ツェペラチ
    衣装■ネボイシャ・リバノヴィチ
    美術■ミリェン・クリャコヴィチ“クレガ”
    出演■ミキ・マノイロヴィッチ/ミリャナ・ヤコヴィッチ/ラザル・リストフスキー/スラヴコ・スティマ

    1995年カンヌ国際映画祭
    パルム・ドール授賞 エミール・クストリッツァ

    <DATA>

     1941年から始まった旧ユーゴスラヴィアの戦いと動乱の歴史を、マルコとクロという二人の男を通して描いた作品。

    1941年、ユーゴ王国はナチス・ドイツに侵略された。
    クロを誘ってパルチザンに参加したマルコは、自分の祖父の地下室に弟やクロの妻などをかくまう。
    やがて重傷を負ったクロも地下室に運び込まれる。
    終わりなき戦争を信じる彼らが、地上に戻った時、既に戦争が終わり20年が過ぎていた。

    クストリッツァ監督は、デビュー作「パパは出張中」でも、’85年カンヌ国際映画祭でグランプリ、「ジプシーのとき」で、’89年カンヌ国際映画祭監督賞を授賞している。
    世界でも最も独創的な映画作家の一人である。 <allcinema>

  • 映画『暗殺の森』 ドミニク・サンダに魅了される、悪の華

    映画『暗殺の森』 ドミニク・サンダに魅了される、悪の華

    映画『暗殺の森』 IL CONFORMISTA

    暗殺の森

    輝かしい栄光が青年を裏切る、 孤独を脱れる虚無と愛欲の日々- 彼は暗殺者となる–
    現代文学の旗手モラビアが描いた《孤独な青年》の愛と挫折!

    イタリア人にとってのファシズム、その悪

    ベルナルド・ベルトルッチ監督の作品というと『ラストエンペラー』以降の大作くらいしか観たことが無かった自分。
    改めて、この作品を観てベルトルッチ監督の手腕には驚かされる。

    1930年代から第二次世界大戦の終焉までのイタリアを背景に、ローマとパリで物語は展開する。
    ベルトルッチは、イタリア出身。
    イタリア出身の監督と言えば、私の敬愛するルキノ・ヴィスコンティ監督がいるが、どうもこの二人には共通するものを感じずにはいられ ない。

    この作品が製作されたのは1970年、イタリアのファシズムを描いた作品である。
    ヴィスコンティは前年の1969年、ドイツのファシズムを描いた『地獄に堕ちた勇者ども』を撮っている。
    ベルトルッチ自身は、ヴィスコンティよりもフェリーニやロッセリーニの影響を受けたと言われる。
    逆にヴィスコンティは、ベルトルッチに自分に近いものを感じていたらしい。

    ヴィスコンティは、よりヨーロッパ的な退廃としたドロドロとした人間の欲望の中に、ナチスのファシズムを描いて見せた。
    それに対してベルトルッチは、あくまでイタリア人としての視点のファシズムで有る。
    それは後年の『1900年』でも明確である。
    彼はイタリアのファシズムが、借り物であることを知っている上で、イタリア人の心の揺れを描いて見せた。

    ヴィスコンティの演出は精緻で有る。
    ディテールにまでこだわり、あくまで本物を映し出すことに専念する。
    ベルトルッチは映像的な美しさを表現する。
    ここでは悪臭漂う美しさなのだ。
    ドミニク・サンダやステファニア・サンドレッリが美しく有れば有るほど、そこには醜悪さが映し出されていく。
    逆説的でも有る、それはやはりベルトルッチはヴィスコンティよりも、フェリーニに近い存在無いのかもしれない。

    この作品は、全編を通して美しい映像が印象的だ。
    あまりにも美しすぎることが、人々の心とその背景を遊離させていく。
    主人公が借り物のファシズムと言うものに気付いたとき、群衆が現れる。群衆の力・・・その向かう新しい方向を暗示して終わる。

    この作品で最も印象的なのは、(作品としても、その映像美も印象的だが・・・)やはりドミニク・サンダの存在だろう。
    彼女ほど女性の妖しさを持ち、それでいて中性的な女優は私の知る限り存在しない。
    それはファシズムの反対に有るもの、最も忌み嫌う存在の象徴のように思えてならない。

    ファシズムの美への固執と憎悪、男色的な運命共同体的体質とその排除の歴史・・・。
    サンダは中性的な・・・ある種、男色的な意味も含め・・・魅力と、美しさが存在した。

    だからこそ彼女は殺されなくてはならず、また主人公マルチェロ(トランティニャン)は彼女に惹かれたのだと。

    Reviewed in 06.2000 

    映画『暗殺の森』のデータ

    暗殺の森 Blu-ray — Amazonで見る

    THE CONFORMIST/IL CONFORMISTA 110分 1970年 イタリア=フランス=西ドイツ

    監督■ベルナルド・ベルトルッチ
    製作■ジョヴァンニ・ベルトルッチ/マウリツィオ・ローディ・フィエ
    原作■アルベルト・モラヴィア 『孤独な少年』
    脚本■ベルナルド・ベルトルッチ
    撮影■ヴィットリオ・ストラーロ
    音楽■ジョルジュ・ドルリュー
    出演■ジャン=ルイ・トランティニャン/ドミニク・サンダ/ステファニア・サンドレッリ/ピエール・クレマンティ/エンツォ・タラショガストーネ/・モスキン

    ◆アカデミー賞 1971年
    脚色賞ノミネート ベルナルド・ベルトルッチ

    <DATA>
     ファシズムに席巻された欧州の退廃を描く映画として、ヴィスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」と並んで傑出した作品。以後70年代を通じ、同種の主題を扱った映画が濫作されたが、いずれもこの両作の域には遠く及ばなかった。
     若い哲学講師のマルチェロ(ジャン=ルイ・トランティニャン)は少年の頃、彼を犯そうとした男を射殺した罪悪感に今もさいなまされていた。
     その苦しみから解放されるためファシズムを選択した彼に、パリ亡命中の恩師である教授を調査するよう密命が下る。
     ハネムーンを口実にパリに赴いたマルチェロと妻ジュリア(ステファニア・サンドレッリ)は、快く教授に迎え入れられた。
     だが、恩師の若妻アンナ(ドミニク・サンダ)には目的を悟られてしまい、敵意を抱かれると同時に深い仲にもなってしまう。
     やがて、別荘に向かう教授夫妻は、マルチェロの目前で暗殺されるのだが・・・。

     “体制順応主義者(原題)”のいびつな生き方を、ベルトルッチはなめらかな官能で包み込み、深い余韻を与える。雪の森での暗殺シーンなど映画史に残る美しさだ。 <allcinema>

  • 映画『愛情物語』とノクターンと私のニューヨーク

    映画『愛情物語』とノクターンと私のニューヨーク

    映画『愛情物語』

    THE EDDY DUCHIN STORY 123分 アメリカ 1956年

    悲劇の天才ピアニスト エディ・デューチンの 妻と子と音楽に捧げた限りない愛の人生–
    静かな感動が…暖かい心のふれ合いが 数々の名曲とともに いま甦る不朽の名作

    ハリウッド黄金期の古き良き映画、涙無くして見られない

    ハリウッド映画はハッピー・エンドという固定概念があるが、実はこの作品も含めて、ハリウッド黄金期(1940年代~1950年代)の美男美女映画は、意外と悲恋とか泣ける映画が多い。
    この作品も涙無くして見られないそんな作品になっている。

    そう1950年代の古き良きハリウッド映画です。
    監督は名匠ジョージ・シドニー、主役にはタイロン・パワーとキム・ノバクの二人。
    実際にいた不世出と言われた名ピアニスト・エディ・デューチンの伝記物語。

    主人公エディが無名な新人時代から、ニューヨークで成功して華やかな生活、愛妻の死、そして新しい恋人とはほろ苦い恋、息子との心の葛藤など、波瀾万丈な人生を送る感動のドラマ。

    なんといっても44歳で亡くなったタイロンパワーの2枚目ぶりが光る、彼の晩年の作品だが一番脂の乗っていた時期でもあった。
    そしてヒロインのキム・ノバクは『ピクニック』『黄金の腕』『夜の豹』『めまい』『媚薬』と一番美しい時期にこの役を演じている。

    私の想い出

    私が両親に連れて行ってもらった初めての洋画だと思う。
    (この後に『奇跡の人』『暗殺者のメロディ』を二本立てで見た記憶がある)

    もちろん1956年の映画なので、リバイバル上映で見たはずだが、シートが満席で両親は立って、当時小学生の低学年だった私は、通路に座って見た記憶がある。

    この作品を見ながらボロボロ泣いた記憶があり、そしてこの作品をキッカケで、ハリウッド映画にのめり込んでいった最初でもあった。
    この時期は、淀川長治さんが日曜洋画劇場をやっていたのと、確かイレギュラーで22時台スタートの白黒ハリウッド映画を放送していた気もする(未確認)。
    深夜帯にSONY一社で、途中にCMを入れない映画の放送もしていた。

    と言うことで、この作品は『慕情』や『めぐり逢い』『哀愁』といった美男美女たちの悲恋の虜になる第一弾であった。

    私的『愛情物語』

    テーマが有るか?共感できるか?

    人生の悲劇を描いている、そして人はいい時もあれば必ず苦しい時も訪れる。

    それでも人は生きていかなくてはいけない。
    本当に辛いのは、周りの人間たちなのかもしれない。

    主人公とヒロインが美男美女と言うこともあるが、貧乏人からはい上がると言うアメリカン・ドリームを手にする主人公に観客は共感せずにはいられない。

    貧しい彼を盛り上げたのは、ニューヨークで既に実業家として成功していたヒロインのキム・ノバクであった。
    成功には必ずそれをサポートするパートナーが現れるものだ。

    作り手の強い意思を感じるか?

    この頃のハリウッド映画は、美男美女を使って夢のようなメロドラマを作り上げている。
    実際、美男美女だからその悲しみの深さや喜びが伝わる場合もある。
    この際作品はだからこそ成立するのかもしれない。

    俳優の意思や演技力が伝わるか?

    タイロン・パワーはすでにこの時40代であるが、劇中で若い頃から年配までの主人公を演じきっている。
    後半は彼の実年齢に近づき、中年の渋みも加わり大人の恋愛を魅せて圧倒してくる。

    映画らしい楽しさが備わっているか?

    この作品はハリウッド黄金期の華やかさがあり、その上で最後に悲劇が訪れると言う脚本も素晴らしい。

    ハリウッドスターを揃えているという点でも、ハリウッド映画黄金期の最も華やかな美しい時代の作品とも言える。

    エンターテインメント性

    この作品では実際にエディー・デューチンの見事なピアノの調べが使われている。
    もちろん引いてるシーンにおいてはタイロンパワーがあたかも弾いているかのように演じきっている。

    この映画の最大の見どころは、やはり使われている音楽のノクターンのメロディにあると思う。

    演出が素晴らしいか?

    印象的なシーンが散りばめられている。

    新人の頃はピアノ途中で明け渡す時に椅子から落とされたり、少し笑えるしまったりする。
    一方でラスト近くになるとグランドピアノを二台並べて演奏するシーンで、交互に親子の表情が映し出されいるが、病気になった父親は途中で姿を消していく。
    そして部屋からカメラが家の外に出て行く、父親がいなくなることを象徴している演出でもある。

    脚本が素晴らしいか?

    ハリウッドスタイルのこの脚本については申し分ない。
    主人公がいくつもの困難を乗り越えて、それでもラストに悲劇が待っている。

    起承転結の他にもターニングポイントとなる中間地点で、愛する一人目の妻(キム・ノバク)を亡くす主人公。
    ラストは涙をなくしてみる事はできない。

    何度も見たくなるか?

    これぞハリウッド黄金期!2人の美男美女の演技を見るだけでも楽しい!
    さらに音楽も素晴らしくノクターンは最も好きなピアノの一曲でもある。

    私が新婚旅行でニューヨークを訪れた時に、ブルックリン橋の近くのピアノバーで、ノクターンの演奏をリクエストしたのが想い出である。

    映画『愛情物語』のデータ

    映画『愛情物語』

    監督■ジョージ・シドニー
    脚本■サミュエル・テイラー
    撮影■ハリー・ストラドリング
    音楽■モリス・ストロフ
    オリジナル音楽■ジョージ・ダニング
    ピアノ演奏■カーメン・キャバレロ
    出演■タイロン・パワー/キム・ノヴァク/ヴィクトリア・ショウ /ジェームズ・ホイットモア/ジャック・アルバートソン

    【解説】
     ピアニストとして生計を立てようとニューヨークにやって来たエディ。
     彼は資産家の令嬢マージョリーに見出され、オーケストラで演奏することに。
     また、2人の間には恋が芽生え、結婚。やがて息子ピーターが生まれたエディは、順風満帆な人生を送っていくように思われた。
     だがクリスマスの夜、マージョリーが急死してしまう。
     落ち込んだエディはピーターを残し巡業、そして第二次大戦に身を委ねていく。
     終戦後、10歳になったピーターのもとへ戻ってくるエディだが…。

     不世出と言われた名ピアニスト、エディ・デューチンの伝記物語。
     音楽家としての華々しい成功だけでなく、愛妻の死、新しい恋人とのほろ苦い恋、そして息子との心の葛藤など、人間として苦悩に満ちた生涯を送った男の感動的な人間ドラマに仕上がっている。
     監督G・シドニーは、見事な職人芸でまとめ上げており恋愛映画の教科書と言っても過言ではない。(allcinemaより)

  • 「死にたい」と思ったときに、元気なるための映画

    「死にたい」と思ったときに、元気なるための映画

    どんな時に人は「死にたい」と思うのだろう

    ベルリン・天使の詩

    死とはなに?

    自分が「生きる」ことへの執着心が低いせいか、よく「死ぬ」ことを考えます。
    考え始めると、こんな怖いことはなくて、死ぬことが怖くなります。

    死の定義が難しいのですが、決して脳死がどうのとかと言う医学的なお話ではありません。
    どちらかと言うと宗教観に近い輪廻転生のようなものでしょうか?
    人は死んだら、輪廻転生するのか?それとも天国(や地獄)に行くのか?人が絶望しないためには、輪廻転生や天国に行けることを考えることは、その苦痛の大きさからは当然かもしれません。

    80歳になる母親は「死にたくない」と言います、長生きしたいと。
    歳を取ると覚悟ができるのかな?と思ったりするのですが、どうやらそうでもないようです。
    母は会う度に「自然に死にたい、癌になっても告知をして欲しくない」と言っています。
    自分はどうなんだろう~とそんな時にふと思います。

    もし人間が不死だったら?
    それは願望であり、だから吸血鬼のような不老不死の怪物を想像してみたり、クローン人間を想像?創造?してみたりするのだと思う。
    でもそれって、A.I.化されたアンドロイドとなにが違うんだろう~と。
    このあたりは、スティーヴン・スピルバーグ監督の『A.I.』は一つの回答で、人間が不老不死になることはないし、人の生きがいは、限りある人生だからとも言える。

    確実なことは、今の段階では肉体が滅びることが死なのは間違いないということです。

    映画『永遠の僕たち』 RESTLESS

    ガス・ヴァン・サント監督の『永遠の僕たち』は、主人公が自らの臨死体験から霊が見えるようになり、死にとらわれるようになり、見ず知らずの故人の葬式に参列することを繰り返す少年。
    ある葬式で余命3ヶ月の少女と出会うことで、少年は死を違うとらえ方をし始める。

    決して死というものを後ろ向きにとらえず、いつかは訪れるもの。
    でも一つ一つの命には価値があることを教えてくれる作品です。

    監督■ガス・ヴァン・サント
    製作■2011年/90分/アメリカ
    出演■ヘンリー・ホッパー/ミア・ワシコウスカ/加瀬亮

    映画『永遠の僕たち』

    死にたい

    何度か思ったことがある、でも具体的な行動に出たことはない、そこまでの勇気はなかったと言うべきか、それともそれ程強い願望ではなかったのかもしれない。

    若い頃の死にたいは、生きることが「辛い」の思い。

    それはいじめであったり、家庭での親子関係が上手くいかなかったり、勉強が思うようにならなかったりだった気がする。
    やはり大きいのはいじめの問題かな?
    単純にいじめと言うと、友だちから仲間外れにされたり、嫌がらせされたり、暴力を振るわれたりだけど、もっと精神的な孤立感も有るのかなと。

    映画 アニメ『聲の形』 The shape of voice

    小学生の時、聾唖の少女が転校してきて思わずいじめてしまった。
    友人の裏切りで、いじめの責任を一人に負わされてしまった主人公は、5年後、周囲から孤立して自殺を決意した主人公の少年は、かつていじめた少女に会いに行く。

    いじめという問題に向かい合い、少しずつ家族や友人に触れながら一歩前進する少年の姿を感動的に描いた作品。

    詳しくは「映画『聲の形』 ストレートに伝わらない心の声」をどうぞ

    監督■山田尚子
    アニメーション制作■京都アニメーション
    原作■大今良時
    脚本■吉田玲子
    キャラクターデザイン■西屋太志
    製作■2016/129分/日本
    声の出演■入野自由/早見沙織/悠木碧

    映画『聲の形』

    自分の場合はなかったけど、社会人の自殺は仕事に追い詰められてと言うケースが多いように思える。
    最近はそうでもないけど、仕事量とその責任に押しつぶされて自殺するサラリーマンは何人かいた。

    これはちょっと想像がつかないけど、借金苦からなのか・・・でも今の日本で死ぬほどお金に困ることはあるのかな?
    自己破産と言う手段もあるし、逆に良心の呵責から自殺してしまうのかもと。
    でも、お金に困るということは人を追い詰めていく・・・少しでも働く意欲があればよいけど。

  • 宮崎駿 終わらない人 好きな作品をまとめてみました

    宮崎駿 終わらない人 好きな作品をまとめてみました

    宮崎駿復活? 新作長編に再チャレンジ!?

    終わらない人 宮崎駿

    宮崎駿

    2016年11月13日(日)NHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」が放送された。
    3年前の引退宣言から700日「残された時間をどう生きるのか」を独占密着したドキュメンタリー。

    前半は、CGを使用した短編アニメの制作に四苦八苦する姿が映し出されるが、最後に出した結論は”長編企画 覚書”を鈴木敏夫プロデューサーに渡し「この映画作れるだけの金かき集めてください。こういうことが起きるかもしれないですよ」と笑いながら話す。
    最後に「何もやってないで死ぬより、死んではならないと思いながら死ぬ方が」と締めくくられた。

    えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!

    『風立ちぬ』が最後じゃなかったのかぁ~(汗)
    ちなみに、映画『風立ちぬ』 宮﨑駿監督の最新作にして遺作?そして最高傑作!はこちらからどうぞ!

    スタジオジブリの30年

    ジブリの大博覧会

    先日、六本木の「ジブリの大博覧会」に行ってきたばかりだぁ~
    鈴木敏夫プロデューサー主導でスタジオジブリの30年間の歴史を一気に見せてしまうと言う企画。
    だから宮崎駿の仕事ぶりというよりも、鈴木敏夫プロデューサーが、どのように宣伝をして作品をヒットさせたか?がメインの展示だった。
    ↓↓ スタジオジブリの公式サイトです。

    スタジオの歴史はこちらのサイトが本当に詳しいです(笑)

    映画の難しいところは、一つの作品を作るのに企画から公開まで3年とか5年とか掛かることです。
    宮崎駿監督が、今度撮るかもしれない新作は3年計画で2020年公開を目指しています!
    スタジオジブリは、ある時から制作スタッフを丸抱えします、よい作品を作るためです。
    たくさんのお金がかかります、よく言われるのが「ジブリのアニメは10億~40億円はかかる」と言う噂、あっ噂です、でもこのくらいは掛かると思います。

    少しスタジオジブリの作品とその興行収入(お客さんが劇場で映画見て支払ったお金)を記載してみました。
    そして、ほぼ興行収入の半分は映画館(興行主)が持っていって、残ったものが配給収入となります。
    今は配給収入は発表されていません。

    ghibli

    スタジオジブリ作品の一覧と興行収入

    1984年 『風の谷のナウシカ』 宮崎駿監督
    ジブリ興行収入第18位 14.8億円(配給収入7.6億円) 91万人

    1986年 『天空の城ラピュタ』 宮崎駿監督
    ジブリ興行収入第20位  11.6億円(配給収入5.8億円) 77万人

    1988年 『となりのトトロ』 宮崎駿監督/『火垂るの墓』 高畑勲監督
    ジブリ興行収入第19位 11.7億円(配給収入5.9億円) 80万人

    1989年 『魔女の宅急便』 宮崎駿監督
    ジブリ興行収入第12位 36.5億円(配給収入:21.5億円) 264万人

    1991年 『おもいでぽろぽろ』 高畑勲監督
    ジブリ興行収入第14位 31.8億円(配給収入18.7億円) 216万人

    1992年 『紅の豚』 宮崎駿監督
    ジブリ興行収入第9位 47.6億円(配給収入28億円) 304万人

    1993年 『海がきこえる』 望月智充監督

    1994年 『平成狸合戦ぽんぽこ』 高畑勲監督
    ジブリ興行収入第10位 44.7億円(配給収入26.5億円) 325万人

    1995年 『耳をすませば』/『On Your Mark』 近藤喜文監督
    ジブリ興行収入第15位 31.5億円(配給収入18.5億円) 208万人

    1997年 『もののけ姫』 宮崎駿監督
    ジブリ興行収入第3位 193億円 1420万人

    1999年 『ホーホケキョ となりの山田くん』 高畑勲監督
    ジブリ興行収入第17位 15.6億円(配給収入7.9億円) 115万人

    2001年 『千と千尋の神隠し』 宮崎駿監督
    ジブリ興行収入第1位 304億円 2350万人

    2002年 『猫の恩返し』/『ギブリーズ episode2』 森田宏幸監督
    ジブリ興行収入第8位 64.6億円 550万人

    2004年 『ハウルの動く城』 宮崎駿監督
    ジブリ興行収入第2位 196億円 1500万人

    2006年 『ゲド戦記』 宮崎吾朗監督
    ジブリ興行収入第7位 76.5億円 588万人

    2008年 『崖の上のポニョ』 宮崎駿監督
    ジブリ興行収入第4位 155億円 1200万人

    2010年 『借りぐらしのアリエッティ』 米林宏昌監督
    ジブリ興行収入第6位 92.5億円 750万人

    2011年 『コクリコ坂から』 宮崎吾朗監督
    ジブリ興行収入第11位 44.6億円 355万人

    2013年 『風立ちぬ』 宮崎駿監督
    ジブリ興行収入第5位 約120億円 約1000万人

    2013年 『かぐや姫の物語』 高畑勲監督
    ジブリ興行収入第16位 24.7億円

    2014年 『思い出のマーニー』 米林宏昌監督
    ジブリ興行収入第13位 35.3億円

    『魔女の宅急便』から鈴木敏夫プロデューサーが、宣伝を主体的に取り組んで映画を大ヒットさせました。
    と同時に、スタジオジブリの歴史にあるように「ジブリ第2期スタート」でスタッフを社員にする=固定費が膨らむ → 制作費がかかる、そこまでしてもよい作品を作ると言うことでしょうか。

    宮崎駿、長編作るってよ!(?)

    冒頭にも書きましたが、長編の企画が宮崎監督から鈴木プロデューサーに渡されました、果たして。

    そのキッカケになったのは、ドワンゴ 川上量生会長(カドカワ社長)のプレゼン。

    宮崎駿監督、ドワンゴ川上量生会長を一喝「生命に対する侮辱」

    「人工知能が作った、痛覚がなく頭部を使って歩くCG」を見た時に、宮崎監督が「極めて不愉快」と評した。
    「面白くない」なら第三者的な意見として述べる話だが、宮崎監督の”主観”として「不愉快」と感想を述べ一緒には仕事をしたくないと言う。
    鈴木プロデューサーも「どこへ、たどり着きたいんですか?」と質問をしているように、宮崎監督や鈴木プロデューサーが目指していた方向とは明らかに違う異質なものだった。

    川上量生会長の了解の上でNHKも放送しているので、当然、どちらの方向性が正しいと言う話ではないだろう、でも一つ確かなことは、これも一つの宮崎監督の制作意欲を掻き立てた要因でもあったようだ。

    ワンショット見た瞬間に「これはすばらしい」って、それが映画だと思っているから(宮崎駿)

    ストーリーとかに感動して、ではなくまずはワンショットのすばらしさ!こそが映画の生命線なんだと思う、そして・・・

    世界は美しいって映画を作るんだよね、きがつかないだけで世界は美しいよって、そういう目で見たいだけなんだよ(宮崎駿)

    子供たちに「世界は美しい」と気づいて欲しい、そういう願いと相反するものを見せられた、その思いが強かったのだろうと。
    だから最後に、

    地球最後の日が近いって感じがするね、それは人間のほうが自信がなくなっているからだよ(宮崎駿)

    将来、人工知能がアニメを描く時代がくるのだろうか?
    このおじいちゃん(宮崎監督)は、それに抗うために、再び長編映画への挑戦をするのか?

    どちらにしても、ファンとしては楽しみなのは間違いない。

  • 宇宙人だった?! スピルバーグ監督作品 ベスト+【王様のブランチ】トップ10

    宇宙人だった?! スピルバーグ監督作品 ベスト+【王様のブランチ】トップ10

    スピルバーグ映画は好きですか?

    スピルバーグ

    世界中で、日本でも、スピルバーグ監督の作品は大ヒットします!
    でも意外とスピルバーグ監督作品を、観客に媚びた作品として「つまらない」と言う人もいるみたいです。
    ちなみに・・・

    私はスピルバーグ監督作品が大好きです!

    十代にハリウッド映画にハマったのは、チャップリンと美男美女俳優と、ルーカス×スピルバーグでした。
    『スター・ウォーズ』や『インディー・ジョーンズ』は青春の1ページです。

    ルーカスが想像したスペース・ファンタジー『スター・ウォーズ』の特撮はそれまで無かったものでワクワクさせられた。
    そして、スピルバーグの作品はワクワクだけでなく、泣いたり・笑ったり・感動できたりした!と言う意味で「映画の全てがあった」と言う思いです。

    宇宙人?だったスピルバーグ

    1946年12月18日にアメリカのオハイオ州シンシナティでウクライナ系ユダヤ人の家庭に生まれ、アリゾナ州に育ったそうです。

    スピルバーグ自身が宇宙人と言う訳ではなく、宇宙人を描くことがアメリカ人としての使命だったと言えます。
    『未知との遭遇』はアメリカ人の憧れなのです。
    “?”と思ったでしょう~アメリカは200年ちょっとの歴史しかない国で、伝説や伝統がない国です。
    ヨーロッパならギリシャ神話からアーサー伝説とか色んな伝説が有り、日本にも天照大神から綿々と伝説が数多く有ります。
    そんなアメリカには、先住民族の伝説は有ってもヨーロッパから移住してきた人々には何の伝説も有りません、だからこそ、宇宙人に選ばれた民族としてのアメリカ人と言う物語が必要なのです!

    だから宇宙人は必ずアメリカに舞い降ります、スーパーマンも落ちたところはアメリカです!(笑)
    エリア51を聖地にする必要があり、世界中にエンターテイメントとして広めたのがスピルバーグその人でした。

    高校くらいの頃には、早川書房から数々のSF小説が日本に紹介されました。
    ロバート・A・ハインラインやフィリップ・K・ディック、アイザック・アシモフ(ソ連生まれのアメリカ育ち)、アーサー・C・クラーク(イギリス人)と言った作家たち。
    それぞれが映画化された原作を数多く書いているSF界の重鎮たち。

    文字の中の世界をスピルバーグが明確に、宇宙人・宇宙船の映像化を果たし、世界のスタンダードにしてしまった。
    今、スピルバーグ監督作品について語ること、それは彼はSFだけではなく、パニック映画やヒーロー物、ヒューマンドラマからシリアスなものまで、自分の作りたい作品を自由に作っている、アメリカの現代の映画史そのものと言える。

    スピルバーグ

    みんなが選んだスピルバーグ・ベスト10

    ローリングストーン誌が選んだベスト10はこちら~

    10位 『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』 237百万ドル:13位

    9位 『1941』 109百万ドル:19位

    8位 『ジュラシック・パーク』 796百万ドル:3位

    7位 『プライベート・ライアン』 369百万ドル:9位

    6位 『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』 766百万ドル:4位

    5位 『激突!』 

    4位 『未知との遭遇』 481百万ドル:5位

    3位 『E.T.』 1,228百万ドル:1位

    2位 『シンドラーのリスト』 199百万ドル:15位

    1位 『JAWS/ジョーズ』 1,109百万ドル:2位

    ※ 現在の価値に換算した場合 Boxofficeより、順位はスピルバーグ監督作品内

    人気投票で、ダントツの1位が『JAWS/ジョーズ』だそうで、2位に倍の投票が有ったらしく、映画の専門家(評論家とか関係者)の間でも評価は高いので納得。

    その他、米VULTUREが選んだ全作品のランキングでは、トップは『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』でした。

    スピルバーグ&是枝裕和監督

    【王様のブランチ】好きなスピルバーグ監督作品TOP10

    2020年5月23日の【王様のブランチ】では、スピルバーグ監督作品の視聴者が選んだトップ10が放送されました。

    10位 『宇宙戦争』 (’95年公開)

    9位 『激突』 (’73年公開)

    8位 『レディ・プレイヤー1』 (’18年公開)

    7位 『シンドラーのリスト』 (’94年公開)

    6位 『A.I.』 (’01年公開)

    5位 『未知との遭遇』 (’78年公開)

    4位 『ジョーズ』 (’75年公開)

    3位 『E.T.』 (’82年公開)

    2位 『インディー・ジョーンズ』シリーズ (’81年公開~)

    1位 『ジュラシックパーク』 (’93年公開)

    ちなみに『ジュラシックパーク』は『インディー・ジョーンズ』と同様にシリーズ化されていて、第2作まで監督として演出を手がけています。

    『ジュラシック・パーク』 (1993) 監督
    『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』 (1997) 監督
    『ジュラシック・パーク III』 (2001) 製作総指揮
    『ジュラシック・ワールド』 (2015) 製作総指揮
    『ジュラシック・ワールド/炎の王国』 (2018) 製作総指揮

  • 映画『永遠の0』 ジレンマを背負った大ヒット反戦映画

    映画『永遠の0』 ジレンマを背負った大ヒット反戦映画

    映画『永遠の0』

    eienno-zero

    この空に願う、未来――壮大な愛の物語。

    大人気作家の意図とは別に、感動的な反戦映画

    宮崎駿監督が『風立ちぬ』を公開した後の雑誌のインタビューに
    「今、零戦の映画企画があるらしいけど、それは嘘八百を書いた架空戦記をもとにして、零戦の夢物語をつくろうとしてるんです」
    と答えています、時期的に『永遠の0』の事を指しているのかな?と思ったりもして。
    でも、宮崎駿監督に聞いてみたい、『風立ちぬ』とこの作品の立ち位置は違うのですか?と。
    私には一緒に見えました。
    この作品を見て改めて思ったのは、第二次世界大戦以前の日本人の中には、死と言うのもが身近に有って、常に「死の覚悟」を持って生きていた。
    それが時として人を凛と見せていたのかも、と。
    例えば「坂の上の雲」の秋山真之だったり。
    この作品も『風立ちぬ』も死を身近に感じることで、生の大切さを感じ平和への希望・切望、生き続けることの大切さを描いていると。

    今回、山崎貴監督は徹底的なリアリティを追求してVFXの制作を行っている。
    もちろん零戦に関しても、その運用も開戦時の圧倒的な有利から、一転してアメリカの圧倒的な技術力・工業力の前に次々と落とされていく零戦、特攻すら敵艦船にたどり着けない。

    ラストの岡田准一さん演じる宮部久蔵の爽やかな笑顔が、死を覚悟した潔さ「生」を繋げることの出来た爽やかさに写り、溢れる涙を抑える事が出来なかった。
    堀越二郎も、自ら作った零戦が多くの人々の命を奪った事を後世に語りつなければと「生きねば!」と考えた。
    平和にどんよりと浸った平和ボケの人間が、集団的自衛権、国防軍だと叫んでいる。
    今大切な事は70年前に起きた戦争を正しく後世に子孫に伝えて行くこと「正しい戦争」なんて無いことを。

    作品では、宮部久蔵が何故?特攻を選んだか描かれていません。
    私個人の思いは・・・
    戦争は前線から一番遠いところで決まり、指示・指揮される。
    前線は、その悲劇を一身に背負い、それを見送るしかない。
    宮部は自ら身を特攻に委ねることで、次の時代に残せる「想い」が有ると考えたのではないだろうか・・・・

    2015年2月に同じ原作の7時間版のテレビドラマを見た、テレビ東京の50周年記念作品らしい。
    原作は一部を斜め読みしただけだが、きっとこれが原作に忠実なんだと思う。
    孫の年齢が少し高くなっている、それと現代の姉の恋愛の話が有ったりする、あと宮部久蔵の関係者がこっちの方が多かった。
    映画の方がシンプルにまとめられていて、脚本は上手いなぁ〜と思う。
    おばあちゃんのマツノがヤクザから助けられたのがドラマでは偶然だったことが明確になってるが、映画の方は偶然か必然だったのか?明確にせずに、どちらかと言うと必然と感じさせている。
    一番の違いは、宮部久蔵の弾を避ける操縦法を映画では描いてる点で、これはテレビ版にはない、これは有った方が良かったと思う点。
    結局のところ、特攻がこの時代の人にとってどういうものだったか?と言う一点で、宮部久蔵の物語だが、映画版ではそこに話を集約して描くのに対して、原作・TV版は反戦的な意味合いと共に、戦争へ行った英霊達への賛歌でもある気がする。
    その辺が、この作品に対する賛否なんだろうけど・・・
    特に、特攻から生き残って事業家として成功した老人が、新聞社のチーフ(?姉に仕事を依頼するフィアンセ役)が、特攻とテロの相違について言い合うシーンなんかはそれだと思う。
    映画版では学生達の言い合いでしかなく、どちらに正解が有るかは不明にしている。
    極論を言うとテレビ版・原作では、A級戦犯を否定しておらず、悲しみながらもお国のために死んで行った・・・と言う体をとっている。
    一方で映画版はテロ的な背景・宗教による洗脳=日本軍部による国民の洗脳が有ったとする、一般的な意見を若者に言わせている。
    まぁ~原作ではA級戦犯だけではなく、それを煽った新聞社や世論も有るでは無いか!と言うことなんだろうけど。
    実際に行った人たちがどれだけ辛い思い、家族への想いを残して、お国のために立ったのか・・・と。

    eienno-zero03

    『永遠の0』の何が問題なのか?

    『永遠の0』の何が問題なのか?冷泉彰彦氏の批評が有ります。

    「重たいジレンマ」を描かず、どちらかと言うと同一視してしまう物語になっている点、その象徴として零戦を描いている点で、冒頭の宮﨑駿監督の言葉の意味を代弁している気がする。
    ただ個人的に、この作品を見て、特攻を肯定したり、英霊賛美に繋がり靖国参拝をしたくなるか?と言うと私はそうは思わなかった、感じなかった。
    むしろ先祖の墓前に頭を垂れる想いしか起きなかった。

    eienno-zero02

    私的『永遠の0』

    ① テーマが有るか?共感できるか?

    日本は戦後70年が過ぎた、もう2度と戦前が来て欲しくはない。
    愛する“人”を守るために戦いに行った、死にに行った人がいる、しかしそれはお国のためではなく大事な“人”のために捧げた人生だった。
    しかし戦争は悲劇でしかない、愛する人たちのために殺し合いをしなくてはならないのだから。

    ② 作り手の強い意思を感じるか?

    戦争映画は金だけ掛かって儲からない、ヒットしないと言う日本映画の定説が有るらしい。
    そこをあえてヒットメーカーの山崎貴監督×ベストセラー作家・百田尚樹の組み合わせで挑戦。
    戦闘シーンに関しては、徹底したVFXを駆使して再現、岡田准一の演技を引き出していたのは思いの強さだと思う。

    ③ 俳優の意思や演技力が伝わるか?

    この作品の俳優陣は素晴らしかった、岡田准一の正義のための戦争がないことから心が壊れていく姿も印象的。
    景浦を演じた新井浩文・田中泯の二人の存在感が良かったし、これが遺作となった夏八木勲の想いも良かった。

    ④ 映画らしい楽しさが備わっているか?

    戦争映画としてここまで映像化に成功した作品はない。
    『ALWAYS 三丁目の夕日』でも成功したVFXをリアリティのために使った山崎貴監督の執念すら感じる、とてもスケールの大きな作品としても成功している。

    ⑤ エンターテイメント性

    反戦映画でありながら、ドラマで見せる、映像で見せるところは山崎貴監督らしい出来。
    零戦を再現して作ってしまうことと同時に、戦争後半はアメリカの戦闘機に対抗できない旧型で有る点もしっかり描かれていた。

    ⑥ 演出が素晴らしいか?

    山崎貴監督らしい堅実な演出、リアリティを追求するために自然なVFXの使い方は流石。
    岡田准一と井上真央の夫婦、染谷将太が絡んで行くところの恋愛パートと、戦場での男の友情のパートもしっかり描かれていて見応えがあった。
    一方、ラストの回想シーンや現代を零戦が飛ぶシーンは、山崎貴監督らしいやり過ぎのところも。

    ⑦ 脚本が素晴らしいか?

    原作の長編から取捨選択して、英霊賛美から反戦映画になっていたと言う点では良かったと思う。

    ⑧何度も見たくなるか?

    反戦映画でありながら、それが愛する“人”のために、と言う判りやすいテーマで若い人にも見やすい。
    戦争は嫌いだけど、零戦や大和、空母などの兵器が好きと言う男の子の夢を見事に映像化している点でも、何度も見たくなるほどの面白さと完成度を持った作品。

    eienno-zero04

    映画『永遠の0』のデータ

    永遠の0 Blu-ray通常版 — Amazonで見る

    上映時間■144分
    製作国■日本
    公開情報■劇場公開(東宝)
    初公開年月■2013/12/21
    監督■山崎貴
    原作■百田尚樹 「永遠の0」(太田出版刊)
    脚本■山崎貴/林民夫
    主題歌■サザンオールスターズ 『蛍』
    VFX■山崎貴
    出演■岡田准一/三浦春馬/井上真央/濱田岳/新井浩文/染谷将太/三浦貴大/吹石一恵/田中泯/山本學/平幹二朗/橋爪功/夏八木勲

    ■日本アカデミー賞2014年
    作品賞
    主演男優賞 岡田准一
    助演男優賞ノミネート 三浦春馬
    監督賞 山崎貴
    脚本賞ノミネート 山崎貴/林民夫
    他

    オフィシャルサイトはこちらから

    【解説】
     放送作家として活躍する一方、小説でもヒットを連発する百田尚樹のデビュー作にして一大ベストセラーとなった同名小説を「ALWAYS 三丁目の夕日」の山崎貴監督が映画化した戦争ドラマ。現代の青年が、零戦パイロットだった祖父の戦死の謎を調べようとかつての戦友のもとを訪ね歩く中で、戦争の不条理と向き合っていく姿を描く。出演は零戦パイロットの青年・宮部久蔵に岡田准一、その妻・松乃に井上真央、そして2人の孫で調査を進める青年・佐伯健太郎に三浦春馬。
     司法試験に落ちて進路に迷う青年、佐伯健太郎。ある日、今の祖父とは血のつながりがなく、血縁上の祖父が別にいることを知る。その実の祖父の名は、宮部久蔵。太平洋戦争で零戦パイロットとして戦い、終戦直前に特攻出撃により戦死していた。そこで宮部について調べ始めてみると、かつての戦友はみな口を揃えて宮部を臆病者と非難した。天才的な操縦技術を持ちながら、生きて還ることに執着した腰抜けだと言うのだった。にもかかわらず、なぜ宮部は特攻に志願したのか。やがて、ついに宮部の最期を知る人物に辿り着く健太郎だが…。(映画データベース – allcinema より

  • 映画『イノセント』 ヴィスコンティ最後のエロティシズム

    映画『イノセント』 ヴィスコンティ最後のエロティシズム

    映画『イノセント』 L’INNOCENTE

    linnocente

    ルキノ・ヴィスコンティの生涯についてはこちらから

    ルキノ・ヴィスコンティ -作品と演出- はこちら

    ヴィスコンティの遺作でありながら、優美の映像が展開する

    ヴィスコンティの他の作品と同様、俳優陣の素晴らしさが光る。
    ヴィスコンティ以外の映画では平凡な役者に終始していても、彼の演出の元では光り輝くようだ。
    ヴィスコンティ最後の作品は、個人のレベルでその苦悩と挫折を描いて魅せた。
    前作の『家族の肖像』よりも『ルードヴィヒ/神々の黄昏』に近いテーマを描いている。
    テーマの深さ、それを掘り下げる一切の破綻のない演出の完璧さは、どの作品を見ても感心させられる。

    この作品では、理想的な男性像(あくまで男性から見てなのかもしれないが・・・)の夫が、不倫を繰り返す。
    それに耐えかねた妻が、自ら不倫の末、妊娠をする。
    他の男性の子供を産むことにより、夫の精神的な崩壊を招く。
    そこには男性の欲望とその悲劇的な結末が描き抜かれている。
    ラストのシーンは原作と違い、夫の自殺のシーンで終わる。
    この作品はこれまでのヴィスコンティの作品以上に、エロチシズムに富み、抽象的な映像が散りばめられている。
    その絢爛豪華さにはヴィスコンティの衰えを知らない創作意欲を感じずにはいられない。
    所詮、男性は女性・特に母親の前には屈服するしかないのか?

    linnocente

    ヴィスコンティの遺作であり、この作品のダビング中に亡くなった。
    一般的にこの作品が、これまでのヴィスコンティの作品に比べると力が落ちたと言う人も多くいるが、私は逆にこの作品を観てヴィスコンティは最後まで、情熱をもって完璧な作品を作り続けたと感じることが出来た。
    この作品は、これまでのヴィスコンティの作品からは少し趣が違っている。
    これまでの作品は、(特に彼の後半の作品群)同性愛的嗜好が作品の中に横たわっていること、ある時代の崩壊(王侯貴族であったり、財閥であったりする)を描いている。
    耽美的という点ではこの作品も含まれるが...

    改めてこの作品を観て、やはり、映像の美しさに惹かれる。
    これまでの作品以上に鮮やかな彩りを持っている。
    室内装飾や衣装と言った点においても、黒や赤、そして金色と言った色彩と、草木の緑と言った色を鮮やかに使いこなしている。
    このバランスと美しさも、この作品の見所と言えそう。

    そして、この作品はヴィスコンティの作品の中でも、現代的なテーマを取り上げている点で非常に分かり易いストーリーとも言える。
    男女の恋愛、日本で言うところの失楽園的な恋愛をディテイルにしている。
    そこの描かれているのは単純な不倫と言うものではなく、夫婦の内面であり、男女の愛の内面、そこに潜む狂気と男性に取っての人生観までを描いている。

    linnocente

    またヴィスコンティ作品には珍しくエロティックな表現も有り、その使い方が大胆で効果的であったし美しく艶めかしくもあった。
    この作品を観ると、ヴィスコンティは映画の中で主題そのものを描くと言うことよりも、自分の好きなテーマを表現するのに合った題材の脚本(や原作)から、実はそこに棲息する登場人物達の人間性(欲望であったりその地位であったり)を描くことのみに、その表現を用いているのでは?と考えさせられる。
    この作品では、不倫と嬰児殺しと言う点がテーマになるが、その裏には男性の恋愛に対する考え方と、(二人の)女性の考え方、そして恋愛と結婚というものに対する考え方を描いて見せている。
    愛人(ジェニファー・オニール)の自由奔放な生き方と、妻(ラウラ・アントネッリ)の貞淑な生き様、その中に描かれた女性の魔性...理想の男性像のプレイ・ボーイでありながら、結局、女性を理解することが出来なかった主人公(ジャンカルロ・ジャンニーニ)。
    全てを失った(と言っても女性からの愛だけだが)彼には存在する理由が無かった...

    それは、現代に於いても、日常的な恋愛の裏側に潜む人間関係や人の欲望で有り、自分の周りでも常時起こっている普遍的なものとも言える。
    この作品では非常に俳優の目の動きが印象的だった、特にジャンニーニの鋭い眼光は魅力的だった。

    linnocente

     

    映画『イノセント』のデータ

    映画『イノセント』(Blu−ray Disc) /ジャンカルロ・ジャンニーニ,ラウラ・アントネッリ,ジェニファー・オニール,ルキノ・ヴィスコンティ(監督)

    L’innocente 125分 1975年 イタリア

    監督■ルキノ・ヴィスコンティ
    製作■ジョヴァンニ・ベルトルッチ
    原作■ガブリエレ・ダヌンツィオ
    脚本■ルキノ・ヴィスコンティ/エンリコ・メディオーリ/スーゾ・チェッキ・ダミーコ
    撮影■パスカリーノ・デ・サンティス
    音楽■フランコ・マンニーノ/ショパン『ワルツ69・70・64』、『子守歌』/モーツァルト『ピアノ・ソナタK331』/リスト『エステ荘の噴水』/グルック『エウリディケを失って』
    編集■ルッジェーロ・マストロヤンニ
    美術■マリオ・ガルブリア
    衣装■ヴェラ・マルツォ/ピエロ・トージ
    助監督■アルビーノ・コッコ/ジョルジオ・トレーヴェ
    製作会社■リッツォリ・フィルム
    備考■テクニカラー、コスモヴィジョン
    日本公開■1979年
    出演■ジャンカルロ・ジャンニーニ/ラウラ・アントネッリ/ジェニファー・オニール/ディディエ・オードバン/リーナ・モレッリ/マッシモ・ジロッティ/マルク・ポレル/マリー・ジュポワ/カルロス・デ・カルヴァーロ/クロード・マン

    【解説】
     ダヌンツィオの原作を仰ぎ、ヴィスコンティが幼少期に映画的洗礼を授かった、イタリア・サイレント期のロマン主義的傾向の恋愛劇へのオマージュとしての、典雅にして不気味な貴族の愛憎物語。未亡人の愛人(美しすぎて怖いJ・オニール)にうつつを抜かし、盲目的な愛国主義に溺れる、嫉妬深い男(ジャンニーニのキャリアの頂点!)。失われゆく19世紀の栄華、そして新しい世紀への不安は彼を、その不実に悩み苦しみ抜いたL・アントネッリが密通し出来た赤児を殺す–という狂気へ駆り立てる。ラスト近い、その場面の恐ろしさ、純粋さ(開けた窓から雪が舞い込み、その冷気によって窓際に寝かせた幼子を殺そうというのである)……。巨匠入魂の、そして残念ながら最後の、自らの階級への痛切なる挽歌。(映画データベース – allcinema より)

    イタリアの耽美派作家ダヌンツィオの原作を基にしたヴィスコンティの遺作。
    愛人を持つ男が、妻が別の男の子供を産んだことで苦悩する。
    物語は、悲劇的結末に向かって進み、ヴィスコンティならではの優美な映像が展開する。
    ヴィスコンティは当初、アラン・ドロンとロミー・シュナイダーの出演を望んだ。
    当時、ドロンは5本の出演作品を抱え、シュナイダーは妊娠中だったことで実現しなかった。
    ヴィスコンティ自身の別の発言では、アラン・ドロンとシャーロット・ランプリングともなっている。

  • 映画『家族の肖像』 個室の中の完璧なドラマ

    映画『家族の肖像』 個室の中の完璧なドラマ

    映画『家族の肖像』 GRUPPO DI FAMIGLIA IN UN INTERNO

    gruppo-di-famiglia-in-un-interno

    2017年2月11日(祝・土)より、岩波ホールほか全国順次ロードショー

    ルキノ・ヴィスコンティの生涯についてはこちらから

    ルキノ・ヴィスコンティ -作品と演出- はこちら

    部屋に閉じこもる老人を描くことで、人間の本質を描いた作品

    私が観た映画の中の最高傑作の一つ。
    演出の素晴らしさ、それに応えた俳優陣も素晴らしい!
    ここで出てくるアイテムとして音楽・絵画が有るが、その使い方も、それに精通しているヴィスコンティならでは。
    この作品では孤独を好む老人の前に、ある日突然、家族というものが現れる。
    そこには欲望というものを隠さず露わにする人種達であった。
    老人の心の中での葛藤とそれを受け入れたものの、また裏切られる経過を部屋というディテイルの中で描ききっている。
    テーマの深さを物の見事に表現していること、一切の無駄を省きながらも語り残したところの無い完璧なストーリー。
    そこにはヨーロッパの芸術、映画の娯楽性までもが醸し出されている。
    時代性は無いものの、人間の普遍的な部分を追求した作品。

    gruppo-di-famiglia-in-un-interno

    映画館で観終わってやはり疲れる、難解な映画である、と同時にヴィスコンティの作品の中でも最も完成された作品だと思う。
    それは他のヴィスコンティ作品は、受け取る側(観客)の感性と言うものに、かなりの部分を委ねているのに対して、この作品では明確にヴィスコンティが描こうとするものが映し出され考えることを要求しているようにも思える。
    その理由の一つに、家の中から出ないと言った閉ざされた空間の中で物語が進行していく事に有ると言っても良い、まるで舞台劇のように話は進んで行く。
    ただヴィスコンティは、舞台劇と映画の明確な違いを意識しており、常に映像の中に奥行きを持たしている。
    この辺の演出に関しては、今更どうこう言う必要は無いだろう、素晴らしいの一言である。
    テーマは世代間ギャップで有り、古い世代の一人の人間の孤独感である。
    ただ、このギャップや孤独感は、主人公の教授の性格に依存するものであり、ある特定の階級等に所属する人々の一般的な話では無い。
    またヴィスコンティの作品の素晴らしい点として、登場人物の奥行きの深さ。
    そう言う意味で教授が妻の事、母親の事を回想するシーンなどは重要な意味を持つ。

    gruppo-di-famiglia-in-un-interno

    この作品は『地獄に堕ちた勇者ども』と同様に、非常に政治的・思想的な意味合いも込められていた。
    ファシズムとしての右派と、共産主義的な過激派が出てくる。
    そこにはヴィスコンティ自身も経験した共産主義的左派の挫折も明確に読みとれる。
    時代から逃避した老人と、現実の中に埋没している人々の悲劇...ただ、この老人が現実には存在しえない人なのだろうか?
    人間の心の中に潜む欲望、それは複数の人々が集えば必ず争いが起きる原因となる。
    それは人の集まりの最小単位である家族であったとしても(ここでは仮想的な、もしくは擬似的な家族では有るが)。
    ならば、それを避けて生きていきたいと願う事も有るのでは。
    確かに、この作品の教授は余りにも象徴的に描かれているが、実際の人々の中に潜む孤独、それを明確に捉えている。
    そうコンラッドやブルモンティ婦人の家族は、現実の世界の人々の象徴として描かれる。
    それは欲望に満ちた人々であり、片やブルジョワ的資産階級であり、片や革命的共産主義者である。
    どちらが良い悪いでは無く、そこには自己矛盾が存在しており、醜いものが潜んでいて、常に争いを起こす。
    それはお互いを愛す事でもそうで有り、仲間の間でもそうで有り、家族の間でもそうなので有る。
    そしてそこから逃避したい...と、考えるのはある意味、人間の弱さであり本質なのかもしれない。
    こうしてヴィスコンティは、この作品で人間の内面を見事に描いて見せた。
    また映画の造形の面からも、2つの側面を描いて見せた。
    教授の部屋は、時代錯誤的なバロック調の部屋であり、コンラッドの間借りした部屋は現代的な部屋に改装されている。
    コンラッドの部屋を見て、観客は初めてこの作品が現代の物語であることに気付かされる。

    gruppo-di-famiglia-in-un-interno

    イタリア人でありながら、一時期、アメリカに渡航した老教授をバート・ランカスターが好演。
    ヘルムート・バーガーの妖しさはここでも美しい。
    それ以上に素晴らしかったのは、派手な衣装を装いながらも、品の良さを持った上流階級の貴婦人を演じ、と同時に女性のエゴを丸出しにした演技をしたシルヴァーナ・マンガーノは秀逸である。
    登場人物を限ったことにより、一人一人の人物を深く描き、人間の本質と時代性を描いたヴィスコンティの本当の傑作である。

    映画『家族の肖像』のデータ

    映画『家族の肖像』 デジタル完全修復版【Blu-ray】 [ バート・ランカスター ]

    Conversation Piece(Gruppo di Famiglia in un Interno 121分 1974年 イタリア

    監督■ルキノ・ヴィスコンティ
    製作■ジョヴァンニ・ベルトルッチ
    脚本■ルキノ・ヴィスコンティ/エンリコ・メディオーリ/スーゾ・チェッキ・ダミーコ
    撮影■パスカリーノ・デ・サンティス
    音楽■フランコ・マンニーノ/モーツァルト『神よ、私の心を、K364』
    編集■ルッジェーロ・マストロヤンニ
    美術■マリオ・ガルブリア
    衣装■ヴェラ・マルツォ/ピエロ・トージ
    助監督■アルビーノ・コッコ
    製作会社■ルスコーニ・フィルム/ゴーモン・インターナショナル
    備考■テクニカラー、トッドAO
    日本公開■1978年
    出演■バート・ランカスター/シルヴァーナ・マンガーノ/ヘルムート・バーガー/クラウディア・マルサーニ/ステファノ・パトリッツィ/エルヴィラ・コルテーゼ/ロモロ・ヴァッリ/クラウディア・カルディナーレ/ドミニク・サンダ

    【解説】
     ローマ市内で静かに暮らす教授のもとに、奇妙な一群がやってきた。母娘とその情夫たちである。彼らは教授の屋敷の2階に住み着き、教授の平穏な生活はかき乱されてしまう。だが、母親の情夫コンラッドとの美術談義だけは、教授に不思議な安息を与えていた。そんなある日、コンラッドが過激派に襲われて負傷してしまう。やがて、その傷がきっかけとなり、コンラッドは彼らの前から姿を消すことになるが……。巨匠ヴィスコンティが、現代における家族の存在理由と定義を問い直す、静かだが力強い作品。B・ランカスターとヨーロッパ映画界を代表するスターの顔合わせも大きな魅力となっている。(映画データベース – allcinema より)

    題名の“家族の肖像”とは、18世紀イギリスで流行した家族の団欒を描いた一連の肖像画の事。
    ローマの広大な邸宅に住む老教授(バート・ランカスター)は、この“家族の肖像”のコレクションが趣味で、それらの絵画に囲まれて孤独に暮らしている。
    そこに、実業家夫人ビアンカ(シルヴァーナ・マンガーノ)が現れ、彼女の愛人コンラッド(ヘルムート・バーガー)の為に、強引に教授の住む邸宅の2階の部屋を借りたことから、教授の生活は一変する。
    孤独に暮らす教授に新しい“家族”が加わったのだ、だが教授はコンラッドを理解できないまま・・・。
    解体され変貌する家族の中の旧世代の孤独感を描いた、ヴィスコンティのレクイエム。

  • 映画『ルートヴィヒ』 バイセクシャルの不完全な美学

    映画『ルートヴィヒ』 バイセクシャルの不完全な美学

    映画『ルートヴィヒ/神々の黄昏』 LUDWIG

    ludwig

    ルキノ・ヴィスコンティの生涯についてはこちらから

    ルキノ・ヴィスコンティ -作品と演出- はこちら

    ヴィスコンティ作品の中で完璧ではないが最も好きな作品

    ヴィスコンティの傑作中の傑作。
    彼はこの作品に際して、老体に鞭を打ちドイツの寒い山林の中での撮影を敢行した。
    この事が彼を病に追いやった。
    それでも、この大作を完成させた執念は、もの凄いものを感じずにはいられない。

    この作品の内容と言うより、ここには総合芸術としての映画、全ての芸術・娯楽という要素を見事に融合させている。
    オペラなどのクラシック音楽はもちろん、映像的にもその室内装飾から衣装までも素晴らしく、ルードウィヒが建てたノイシュヴァンシュタイン城までもが、この映画を際ただせている。
    その構成する要素全てを完璧なまでに使いこなす。
    これだけの作品は、これ以降も生まれる可能性は少ない。

    狂王と呼ばれたルードウィヒ二世をヘルムート・バーガーが見事に演じている。
    その変わっていく様と共に、彼の置かれる環境も変わり、徐々にその耽美で倒錯的な世界が展開される。
    この作品でヴィスコンティは、芸術を愛する一人の国王が、国王という存在そのものが変わろうとした時代に、変化についていくことが出来ず、それに押しつぶされる人物像を描いている。
    こういった人物を描いた時に、ヴィスコンティの本領が発揮される。
    私がこの作品を楽しんだのは、ストーリーそのものや、その裏に有るヴィスコンティの表現したい事ではない。
    ヴィスコンティの作った世界観、それは上にも書いた音楽や映像、そして魅力有る登場人物。
    ルードウィヒやエリザベートと言った周りの人物自体も魅力的であるが、それを演じる俳優達の上手いこと・・・
    ヴィスコンティが見事にその個性を引き出し、映画の一部に取り込んでいる。
    それ全てが歪みが無く完璧に構成されていることに酔いしれることが出来る。
    そして見終わった後の心に残る強い感動を止めることは出来ない。
    感動と言っても、それは得体の知れないものであるが・・・。
    映画というもの存在が何か・・・この作品を観ていると、それすらを超越してしまっている。
    架空の世界にも関わらず、そこには完璧なまでのリアリズムと同時に余りに美しい世界が広がっている。

    ludwig

    テーマやストーリーの意図するものを追ってみたい。
    この作品のテーマは、(明らかにヴィスコンティの出生にまつわる)有る階級が、時代に取り残され崩壊していく様を描いている。
    ヴィスコンティはイタリア貴族の名門中の名門。
    主人公・ルートヴィヒは、バーヴァリア王国(ドイツ南部バイエルン地方のミュンヘンに首都を置く)の国王。
    ルートヴィヒは純粋さと王族として育った環境(教養や躾けと言ったもの)によって、芸術と言うものに強い関心を持った。
    この点はヴィスコンティと共通する点でも有る。
    ルートヴィヒの悲劇は、ヴィスコンティよりも半世紀早く生まれたことが大きく影響している。
    それは旧時代から新時代過渡期とも言える時代。
    ルートヴィヒは心の自由を求め孤独を好んだ。
    このことが彼の立場、特に彼の所属する階級には許されないことだった。
    時代が違えば許されたことであったとしても、20世紀に向かう激動の時代において、王制の存在自体が疎まれた時代おいて許されることでは無かった...特に政治家にとっては。

    ルートヴィヒは自分の理想のため、ワグナーに莫大な国費を投じたが、それは国民、国に受け入れられなかった。
    ルートヴィヒは自分の中に有る、自由を求める心、欲求が有ったが、それを手に入れているかのような女性、エリザベートに恋をする。
    しかし、それはルートヴィヒやエリザベートにおいても許される恋では無かった(この点、エリザベートは現実的)。
    彼の理想と孤独を求める欲求は、最初からこの時代に受け入れられる事は無かった。
    ルートヴィヒは、まず戦争という現実から逃避した。
    それからは常に現実とは向き合おうとはしない。
    国王としての義務、世継ぎを作ること、これ(結婚)も拒否をした。

    ludwig

    ヴィスコンティは、明らかに時代に押しつぶされる、ある階級を徹底的に描いている。
    ルートヴィヒだけではない、ルートヴィヒの母親の皇太后も、弟オットーも、輝きを失っていく。
    ルートヴィヒの追い求める、芸術や孤独の裏側に有るのは、常に人への、人からの“愛情”で有った。
    これがうち破られ、彼は本当の孤独になり自らの人生に自分で幕を下ろす。
    ルートヴィヒが男色に走るシーンが描かれるが、これはカトリックの教えを彼なりに守った故。
    婚約者ソフィーとの婚約解消の際に、司教に童貞で有ることを聞かれる。
    彼は唯一愛した女性エリザベート以外に結婚の意志もなく、童貞を守り続けること誓うのがこのシーンで判る。
    また舞台女優が、ゴシップ目当てにルートヴィヒに近づいて来るシーンも、彼の純潔さを表現している。

    ルートヴィヒが政府に追いつめられた時に、エリザベートはルートヴィヒが作った城を周り、ルートヴィヒの元を訪れる。
    ルートヴィヒが建てた壮大な城を見てエリザベートは大声で笑う。
    彼女は、はっきりとルートヴィヒを理解したのだ。
    本来はルートヴィヒに会って、彼の浪費を諫めに来たはずだが、ルートヴィヒが会わないことを知ると、あっさりと帰ってしまう。
    彼女には痛いほど、ルートヴィヒの悲しみと苦悩が感じてしまう...だから、逢わずに帰ってしまう。

    しかし、この映画の本当の素晴らしさは、そのテーマ自体ではない! これを如何に表現したか?に有る。
    ヴィスコンティの演出の素晴らしさには目を見張る。
    カメラのアングルや音楽の当てはめ方...そして、その完璧性。
    鏡の使い方や色使い、ルートヴィヒが幽閉された精神病院的な城は、モノトーン的な色使いをしている。
    それまでの鮮やかな色使いから一転する。
    鮮やかと言えば、洞窟に池を作り船を浮かべて白鳥を泳がしている。
    ワグナーの音楽が鳴り響く。

    どのシーンをとっても印象的で美しい造形。
    調度品にしても全てが本物(少なくともそう見える)で、貴族出身のヴィスコンティでなくては、これだけ細部までのこだわりは出せないはず。
    幽閉された城に掛けられた絵の数々は、エリザベートに招待されて初めてソフィーに会った部屋に掛けられていたもの(確か...?)。
    そう言った一つ一つのシーンを印象づけ、しかも意味の有るものにしている。

    またヴィスコンティの最も得意とする人物描写と俳優への演出。
    ルートヴィヒを演じたヘルムート・バーガーやエリザベートを演じたロミー・シュナイダーの素晴らしさは言うまでもないが、他の人物に関しても丁寧に描かれる。
    一つの例としてルートヴィヒを捕らえに来た中心人物の大臣・ホルンシュタイン伯爵の描き方。
    あまりにも野心的で頭の切れる人物であることを明確に描ききっている。
    ルートヴィヒの母親にしても、彼女の威厳有る態度がルートヴィヒの立場を明確にし、しかもプロテスタントからカトリックへの改宗(?)のシーンでの疲れ果てた表情で、時代の流れまでも表現させている。
    ストーリーと言っても、一人の人生を描いているだけにも関わらず飽きさせないのは、人物の描き方が魅力的だからであろう。

    ludwig02

    ヴィスコンティ作品のどこが良い?『ルートヴィヒ』のどこが素晴らしい?と聞かれても一言で答えを出すことは出来ない。
    それは絵のルノワールやゴッホ...音楽のベートーベンやモーツァルト...のどこが良いのか?と聞かれるのと一緒。
    映画という総合芸術そして娯楽性、それを見事に表現しているのがヴィスコンティ作品であり、特にその表現力と言う点で、ヴィスコンティ作品の中でも『ルートヴィヒ』は優れた作品と言える。
    映画のなんたるか!が、この作品で味わうことが出来る、傑作中の傑作。

    イタリア語版ではルートヴィヒ役のヘルムート・バーガーの吹き替えをジャンカルロ・ジャンニーニ(後にヴィスコンティの『イノセント』に出演)を起用するなど、豪華。
    ヴィスコンティの偉大さが判る。
    また題名の日本語表記が「ルードウィヒ」から、「ルートヴィヒ」に変更されている。

    映画『ルードウィヒ』のデータ

    映画『ルートヴィヒ』 デジタル修復版 [Blu-ray]

    LUDWIG 184(240)分 1972年 イタリア=西ドイツ(現ドイツ)=フランス

    監督■ルキノ・ヴィスコンティ
    製作■ウーゴ・サンタルチーア
    製作総指揮■ロバート・ゴードン・エドワーズ
    原案・脚本■ルキノ・ヴィスコンティ/エンリコ・メディオーリ/スーゾ・チェッキ・ダミーコ
    撮影■アルマンド・ナンヌッツィ
    音楽■ロベルト・シューマン『子供の情景作品15』/リヒァルト・ワグナー『ローエングリーン第一幕への前奏曲』、『トリスタンとイゾルテ』、『タンホイザー』、『最後のピアノ曲』/ジャック・オッフェンバック『パリコール序曲』
    ピアノ独奏・演奏指揮■フランコ・マンニーノ
    演奏■サンタ・チェチリア国立音楽院管弦楽団
    編集■ルッジェーロ・マストロヤンニ
    美術■マリオ・キアーリ/マリオ・シッシ
    衣装■ヒエロ・トージ
    助監督■アルビーノ・コッコ
    製作会社■メガ・フィルム/ディーター・ガイスラー・プロドゥクツィオーン/ディフィナ・フィルム/シネテル
    備考■テクニカラー、パナビジョン
    日本公開■1980年
    出演■ヘルムート・バーガー/ロミー・シュナイダー/トレヴァー・ハワード/シルヴァーナ・マンガーノ/ゲルト・フレーベ/ヘルムート・グリーム/イザベラ・テレジンスカ/ウンベルト・オルシーニ/ジョン・モルダー・ブラウン/フォルカー・ボーネット/ハインツ・モーク/アドリアーナ・アスティ/ソニア・ペトローヴァ/マルク・ボレル/ノラ・リッチ/マーク・バーンズ

    【解説】
     狂王と呼ばれたバイエルン国王ルードウィヒ二世は、19歳で玉座につき、その美的趣味を国費でもって究めたいけない人。ワグナーのパトロンになって、言われるがままに金を出し、オペラ劇場を作るわ、自分でも三つのお城を建てて、その一つ、リンダーホフ城には地下に人工池造って白鳥のゴンドラうかべてるし……。そんな贅沢三昧そのままに、映画はそれら本物を使ったり、再現して、もう垂涎の絵巻物を繰り広げる。けど、ルードウィヒは寂しいのだ。最愛の従姉エリザベート(R・シュナイダーの白鳥に跨る姿の美しさ!)は人の妻(オーストリア皇后)。その妹ソフィと結婚するはずが、やっぱ諦め切れなくて婚約破棄。以後はただもう、そんな享楽生活に身も心も捧げて歯も腐るほど。親しい人(含む愛人の男たち)みんなに逃げられて、結局“ご乱心”とされ幽閉。暗殺だか自殺だか判らぬ死を迎える。製作会社を倒産に追い込み、自分は卒中に倒れても完成させた大作だが規模だけでなく、その精神の気高さ、深い教養、美への執着において、このような映画は二度と作られまい。これをヴィスコンティは、主演のお稚児さん、H・バーガーを役者として大成させるために作ったってぇんだから、侯爵さまのなさることはスケールが違う。彼のドイツ三部作(「地獄に堕ちた勇者ども」「ベニスに死す」)の終幕を飾る作品で、その死後、本作の回想形式をとらない完全版(220分余)がM・マストロヤンニの弟ルッジェロの編集によって作られた。(映画データベース – allcinema より)