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  • 映画『暗殺の森』 ドミニク・サンダに魅了される、悪の華

    映画『暗殺の森』 ドミニク・サンダに魅了される、悪の華

    映画『暗殺の森』 IL CONFORMISTA

    暗殺の森

    輝かしい栄光が青年を裏切る、 孤独を脱れる虚無と愛欲の日々- 彼は暗殺者となる–
    現代文学の旗手モラビアが描いた《孤独な青年》の愛と挫折!

    イタリア人にとってのファシズム、その悪

    ベルナルド・ベルトルッチ監督の作品というと『ラストエンペラー』以降の大作くらいしか観たことが無かった自分。
    改めて、この作品を観てベルトルッチ監督の手腕には驚かされる。

    1930年代から第二次世界大戦の終焉までのイタリアを背景に、ローマとパリで物語は展開する。
    ベルトルッチは、イタリア出身。
    イタリア出身の監督と言えば、私の敬愛するルキノ・ヴィスコンティ監督がいるが、どうもこの二人には共通するものを感じずにはいられ ない。

    この作品が製作されたのは1970年、イタリアのファシズムを描いた作品である。
    ヴィスコンティは前年の1969年、ドイツのファシズムを描いた『地獄に堕ちた勇者ども』を撮っている。
    ベルトルッチ自身は、ヴィスコンティよりもフェリーニやロッセリーニの影響を受けたと言われる。
    逆にヴィスコンティは、ベルトルッチに自分に近いものを感じていたらしい。

    ヴィスコンティは、よりヨーロッパ的な退廃としたドロドロとした人間の欲望の中に、ナチスのファシズムを描いて見せた。
    それに対してベルトルッチは、あくまでイタリア人としての視点のファシズムで有る。
    それは後年の『1900年』でも明確である。
    彼はイタリアのファシズムが、借り物であることを知っている上で、イタリア人の心の揺れを描いて見せた。

    ヴィスコンティの演出は精緻で有る。
    ディテールにまでこだわり、あくまで本物を映し出すことに専念する。
    ベルトルッチは映像的な美しさを表現する。
    ここでは悪臭漂う美しさなのだ。
    ドミニク・サンダやステファニア・サンドレッリが美しく有れば有るほど、そこには醜悪さが映し出されていく。
    逆説的でも有る、それはやはりベルトルッチはヴィスコンティよりも、フェリーニに近い存在無いのかもしれない。

    この作品は、全編を通して美しい映像が印象的だ。
    あまりにも美しすぎることが、人々の心とその背景を遊離させていく。
    主人公が借り物のファシズムと言うものに気付いたとき、群衆が現れる。群衆の力・・・その向かう新しい方向を暗示して終わる。

    この作品で最も印象的なのは、(作品としても、その映像美も印象的だが・・・)やはりドミニク・サンダの存在だろう。
    彼女ほど女性の妖しさを持ち、それでいて中性的な女優は私の知る限り存在しない。
    それはファシズムの反対に有るもの、最も忌み嫌う存在の象徴のように思えてならない。

    ファシズムの美への固執と憎悪、男色的な運命共同体的体質とその排除の歴史・・・。
    サンダは中性的な・・・ある種、男色的な意味も含め・・・魅力と、美しさが存在した。

    だからこそ彼女は殺されなくてはならず、また主人公マルチェロ(トランティニャン)は彼女に惹かれたのだと。

    Reviewed in 06.2000 

    映画『暗殺の森』のデータ

    暗殺の森 Blu-ray — Amazonで見る

    THE CONFORMIST/IL CONFORMISTA 110分 1970年 イタリア=フランス=西ドイツ

    監督■ベルナルド・ベルトルッチ
    製作■ジョヴァンニ・ベルトルッチ/マウリツィオ・ローディ・フィエ
    原作■アルベルト・モラヴィア 『孤独な少年』
    脚本■ベルナルド・ベルトルッチ
    撮影■ヴィットリオ・ストラーロ
    音楽■ジョルジュ・ドルリュー
    出演■ジャン=ルイ・トランティニャン/ドミニク・サンダ/ステファニア・サンドレッリ/ピエール・クレマンティ/エンツォ・タラショガストーネ/・モスキン

    ◆アカデミー賞 1971年
    脚色賞ノミネート ベルナルド・ベルトルッチ

    <DATA>
     ファシズムに席巻された欧州の退廃を描く映画として、ヴィスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」と並んで傑出した作品。以後70年代を通じ、同種の主題を扱った映画が濫作されたが、いずれもこの両作の域には遠く及ばなかった。
     若い哲学講師のマルチェロ(ジャン=ルイ・トランティニャン)は少年の頃、彼を犯そうとした男を射殺した罪悪感に今もさいなまされていた。
     その苦しみから解放されるためファシズムを選択した彼に、パリ亡命中の恩師である教授を調査するよう密命が下る。
     ハネムーンを口実にパリに赴いたマルチェロと妻ジュリア(ステファニア・サンドレッリ)は、快く教授に迎え入れられた。
     だが、恩師の若妻アンナ(ドミニク・サンダ)には目的を悟られてしまい、敵意を抱かれると同時に深い仲にもなってしまう。
     やがて、別荘に向かう教授夫妻は、マルチェロの目前で暗殺されるのだが・・・。

     “体制順応主義者(原題)”のいびつな生き方を、ベルトルッチはなめらかな官能で包み込み、深い余韻を与える。雪の森での暗殺シーンなど映画史に残る美しさだ。 <allcinema>

  • 映画『お嬢さん』 変態なほど卑猥でエロい!パク・チャヌクらしい傑作

    映画『お嬢さん』 変態なほど卑猥でエロい!パク・チャヌクらしい傑作

    映画『お嬢さん』 THE HANDMAIDEN

    幕が上がったら最後、あなたはもう、
    極限の騙し合いから逃げられない――

    絶賛公開中!

    決してカップルで見てはいけない

    こっそりと映画館に行ってください、この作品は決してカップル向きの作品ではありません。

    韓国のパク・チャヌク監督作品、『オールド・ボーイ』『親切なクムジャさん』『渇き』『イノセント・ガーデン』の最新作、どの作品もエロとバイオレンスに包まれた作品たち。

    このミステリーがすごい!第1位のサラ・ウォーターズの『荊の城』が原作、今回も原作は読んでませんが、映画では独特の世界観を展開しているという話、確かにここまで、ただただ卑猥な映像になってるのは凄い!

    映画の方は、1938年当時の日本占領下の韓国と後半は日本を舞台にしている。
    主要な俳優陣は全員韓国人、それでも少し変な日本語を駆使して物語が進行していくのは愛嬌ということで。

    バイオレンスとエロさの中に人の本質を描く

    この物語はミステリーであり、サスペンスである、主人公のお嬢さんの莫大な資産を誰が奪うのか?
    サスペンス部分は、3人の視点から徐々に謎が解き明かされて、と言うパターン。

    どうしてパク・チャヌク監督が、官能な世界を物語の中心においたか?というのが面白い。
    逆に書くと、監督の他の作品でも言えることだが、エロいから成り立つ作品でもある。

    私的『お嬢さん』 ※ ここからネタバレもあるかも

    ① テーマが有るか?共感できるか?

    資産家の令嬢を巡って、物欲と性欲に溺れる男たちの愚かさを描いている。
    男にとって性欲は切っては切れないもの、男が女を操っているつもりで、実は男がもてあそばれる。

    その裏側には、真実の愛とは一体何なんだろう?という監督の投げかけもあるんだろうけど。

    ② 作り手の強い意思を感じるか?

    日本の文化の中にある猥褻さを徹底的に描いている。
    うーん、これって日本の韓国を併合したことへの皮肉も含まれてるのかな?ようは、演じるのは韓国人俳優だが、韓国人が日本人に化けて詐欺をしようというのも。

    パク・チャヌク監督は、徹底してバイオレンスとエロさが人間の本質にあると描いている。
    人間は欺き、嫉妬をして騙し、裏切る、最後に残るのは強いもの、そして美しいものが勝つと。

    ③ 俳優の意思や演技力が伝わるか?

    お嬢さま役のキム・ミニと女中役のキム・テリ(オーディションで選ばれた新人!)の(本当の)体当たりの演技が凄い!

    この本気度が、この作品の肝になっている、ハニー・トラップとそして愛はセックスで計るものだと言うのが良く判る。

    そして、キム・ミニがネット上で松たか子に似ていると話題に、私個人的には知り合いの女優さんに似てるんだけど(笑)

    ④ 映画らしい楽しさが備わっているか?

    この卑猥さは映画でしか表現できない、果たしてこれはテレビで放送できるのだろうか?

    そういう意味では、映画でしか描けない、そして人間の本質を描くという点で優れているし、この世界観を味わうとなんとも言えない楽しさがある。

    ⑤ エンターテイメント性

    サスペンスとしても面白い!
    もちろんアダルトビデオではないので、官能シーンばかりという訳ではない(とも言えないかな)。

    片言でも日本語で演じるところがポイントで、日本の卑猥な文化というものが面白い。

    ⑥ 演出が素晴らしいか?

    閉じた空間の使い方が上手い、のぞき穴から見てはいけないものを見せている、そんなシーンが切り取られている。
    しかも美しい映像に、官能シーンがとても工夫がされていて、なるほど~という感じで。

    ⑦ 原作・脚本が素晴らしいか?

    サスペンス部分は原作の通りなんだと思う、ここも見どころ、ただ『ワイルドシングス』とほぼ一緒の展開なんだよなぁ~と終わった後に。

    でもここまでエロティックに描くことで、ラストが本質的にセックスの相性が愛情の大きさに繋がるところがこの映画のキーポイント。

    ⑧何度も見たくなるか?

    この毒々しさがたまらなく癖になる、いつも見たい訳ではないが、時々とても見たくなるタイプの作品。
    そういうところは、パク・チャヌク監督作品に共通するところ。

    人間の本質はバイオレンスとエロにある、という大人のための映画である。

    映画『お嬢さん』のデータ

    上映時間■145分
    製作国■韓国
    公開情報■劇場公開(ファントム・フィルム)
    初公開年月■2017.3.3.

    監督■パク・チャヌク
    原作■サラ・ウォーターズ『荊の城』
    脚本■パク・チャヌク/チョン・ソギョン
    撮影■チョン・ジョンフン
    美術■リュ・ソンヒ
    音楽■チョ・ヨンウク
    出演■キム・ミニ(秀子お嬢様)/キム・テリ(スッキ・珠子)/ハ・ジョンウ(藤原伯爵・詐欺師)/チョ・ジヌン(叔父・上月)

    (C)2016 CJ E&M CORPORATION, MOHO FILM, YONG FILM ALL RIGHTS RESERVED

    公式サイトはこちら

    映画『お嬢さん』 [パク・チャヌク監督]
    【解説】
     サラ・ウォーターズの傑作ミステリー『荊の城』を「オールド・ボーイ」「イノセント・ガーデン」のパク・チャヌク監督が、舞台をヴィクトリア時代のロンドから日本統治下の朝鮮半島に移して映画化。莫大な遺産を相続する日本人令嬢と、その財産を狙う詐欺師の片棒を担ぎ侍女として令嬢に近づいた孤児の少女が辿る驚愕の運命を、過激な性愛描写を織り交ぜサスペンスフルかつ官能的に描き出す。カンヌ国際映画祭で芸術貢献賞に輝いた華麗な美術も見どころ。出演はハ・ジョンウ、キム・ミニ、チョ・ジヌン、そしてオーディションで選ばれた新人、キム・テリ。
     1939年の朝鮮半島。貧民街で泥棒一家に拾われ、スリの腕を磨いて育った孤児の少女スッキ。ある日、“伯爵”と呼ばれる詐欺師にスカウトされ、彼の計画を手伝うことに。ターゲットは、支配的な叔父・上月のもとで孤独に暮らす華族の令嬢・秀子。彼女は、結婚した暁には莫大な遺産を相続することになっていた。そこで伯爵が秀子を誘惑して結婚し、財産をまるまる奪い取ってしまおうというのだった。スッキの役割は、メイドとして屋敷に入り込み、純真で世間知らずな秀子を巧みに操り、彼女を確実に結婚へと誘導していくというものだったが…。
    <allcinema>

  • 映画『雪女』 現代・雪女の愛とエロティシズム

    映画『雪女』 現代・雪女の愛とエロティシズム

    映画『雪女』

    あなたに また、
    あいたかった-

    2017年3月4日(土) よりヒューマントラストシネマ有楽町、シネマ・ジャック&ベティほか全国順次公開

    現代に蘇る雪女

    100年以上前の小泉八雲の「怪談」の一遍「雪女」を杉野希妃監督が独自の解釈で、現代の「雪女」として蘇らせた作品。
    彼女自身が、主演の雪女とユキの二役に挑んだ意欲作。
    撮影も杉野希妃監督の故郷・広島(尾道を中心として)で撮影が行われた。

    雪深い寒村で、ユキという見知らぬ土地から来た女性を妻にしたことから、村の中では彼女や彼女の娘を差別視する。
    日本という排他的な社会を象徴するかのようでもあり、ユキと青木崇高演じる主人公の巳之吉役の二人が愛の力で乗り越えて行く。

     

    本来、雪女という怪物を、人を愛した一人の女性として描いている。
    とても現代的なメロドラマでもあり、ユキを演じる杉野希妃の妖艶な美しさを楽しむ作品とも言える。

    またそれが日本的な映像とも余って、非常に美しい映像としてスクリーンに映し出される。
    日本の美というものを、発信している作品とも言える。

    私的『タイトル』

    テーマが有るか?共感できるか?

    どちらかと言うとホラー的な視点で怖いもの、というのが「雪女」の存在で有ったが、この作品では人間を愛してしまった一人の女性という視点から描いている。

    その一方で、人間がよそ者を迫害してしまうさまを描いていると言う点で、現代社会を感じる。

    作り手の強い意思を感じるか?

    杉野希妃が自ら演出して演じている、雪女の愛の強さがこの作品の芯となるが、体当たりの演技でそれを見せてくれている。

    俳優の意思や演技力が伝わるか?

    杉野希妃監督が、主人公に青木崇高を起用したのは「山臭さを感じたから」だという。
    彼の野性味あふれる力強い部分が、ユキを飲み込んでいく愛の力となっている。

    またベテランの佐野史郎や宮崎美子らの演技も、日本の古典的な部分を上手く引き出している。
    若手の山口まゆが、日本人らしい少女を好演している。

    映画らしい楽しさが備わっているか?

    部落的な差別の隠喩を感じるとともに、杉野希妃の本気の演技は映画ならでは。

    エンターテイメント性

    国際派映画人・杉野希妃として、日本の伝統を映像化している点や上野彰吾のカメラがそれを見事にモノクロとカラーで切り取っている。

    ただ時代設定が良くわからず混乱、マタギ(東北・北海道だけの名称?)の姿や着物姿と同時に、普通の背広も出てくるので、第二次世界大戦後のどこか、なんだとは思う。

    演出が素晴らしいか?

    独特の世界観がある、日本人が見ても(当たり前だが)違和感のない寒村。
    そして古くからの行事。

    一方で、海外を意識していると思われる所作の長回しによる撮影、日本発の作品としての見せ方としては「なるほど」というところがあった。

    脚本が素晴らしいか?

    今回は完全に、男女の愛に重きを置いている。
    その中で、二人の娘の存在の大きさを感じる、ただ娘を捨てて出ていくのだろうか?
    雪女は不老不死なのかな・・・と。

    日本という国の不思議さ、美しさを堪能できる作品としてオススメ。

    映画『タイトル』のデータ

    出演■杉野希妃/青木崇高/山口まゆ/佐野史郎/水野久美/宮崎美子/山本剛史/松岡広大/梅野渚/ほか
    監督■杉野希妃
    エグゼクティブプロデューサー■坂本敏明/田中弘樹/梶浦隆章/小野光輔/門田大地/市村友一 
    プロデューサー■小野光輔/門田大地
    コプロデューサー■福島珠理/山口幸彦
    2016年/日本/日本語(英語字幕付)/96分/カラー&モノクロ/シネマスコープ/Stereo/
    ©Snow Woman Film Partners
    配給:和エンタテインメント

    公式サイトはこちら

    映画『雪女』 【杉野希妃主演】

    【ストーリー】

    —恐怖と神秘と、そして雪の結晶のように繊細ではかなく美しい愛の物語—

    ある時代、ある山の奥深く、吹雪の夜。猟師の巳之吉は、山小屋で、雪女が仲間の茂作の命を奪う姿を目撃してしまう。
    雪女は「この事を口外したら、お前の命を奪う」と言い残して消え去る。
    翌年、茂作の一周忌法要の帰り道に、巳之吉は美しい女ユキと出会う。
    やがて二人は結婚し、娘ウメが生まれる。
    14年後。
    美しく聡明な少女に成長したウメは、茂作の遠戚にあたる病弱な幹生の良き話し相手だった。
    しかしある日、茂作の死んだ山小屋で幹生が亡くなってしまう。
    幹生の遺体には、茂作と同じような凍傷の跡があった。
    ユキの血を引く娘のせいだと、巳之吉を激しく問いつめる幹生の祖父。
    巳之吉の脳裏に14年前の出来事が蘇り、以前から自分の中にあったユキに対する疑心と葛藤する。
    自分があの夜の山小屋で見たものは何だったのか、そしてユキは誰なのか…。
    ©Snow Woman Film Partners

  • 映画『SCOOP!』  福山雅治がスケベ、二階堂ふみがセクシーにつきる?

    映画『SCOOP!』 福山雅治がスケベ、二階堂ふみがセクシーにつきる?

    映画『SCOOP!』

    SCOOP!

    落ちぶれパパラッチ&ド新人記者
    狙え、超特大スクープ!

    スケベオヤジの妄想をふくらませるイイ女たちのエロ競演

    とにかく福山雅治演じる主人公のカメラマンがエロい。
    福山雅治が完璧な二枚目(見た目もカッコよいし歌もうまいし、ライターとしても良い)の上に、ファンは知ってるように、ちゃんとスケベオヤジでもある、このあたりが男女に人気の所以。

    冒頭のセックスシーンから、期待感が膨らむ。
    二階堂ふみ演じる新人ライターと元スターカメラマン(福山雅治)との年齢差・男女のバディーもの。
    大根仁監督が、徹底的にエンターテインメントに徹しながらも、40過ぎの男の悲哀も描いていて、エロ×笑いとのバランスが絶妙!!

    吉田羊と二階堂ふみのセクシーぶりと、滝藤賢一の熱演、リリー・フランキーの怪演も見もの。

    SCOOP!

    イントロダクション

    『モテキ』『バクマン。』の大根仁監督が、’85年に原田眞人監督・脚本作品『盗写1/250秒』をリメイク!主演には結婚後、映画初主演の福山雅治。

    日本一フライデー(笑)されない男・福山雅治がオッサン・パパラッチと言うゲス男役を熱演!
    バディー役には新人記者役の二階堂ふみ、そして吉田羊、滝藤賢一、リリー・フランキーら超豪華キャストが共演。
    主題歌では、”TOKYO NO.1 SOUL SET feat.福山雅治on guitar”。

    『バクマン。』に続いて今度は、写真週刊誌の編集部を舞台に描く、エロくて笑えてハラハラ・ドキドキ、そしてちょっと切ない・圧倒的なエンターテイメント作品!

    これ以下はネタバレになるかもしれないので、映画を観てからお読みください~

    SCOOP!

    私的『SCOOP!』

    ① テーマが有るか?共感できるか?

    この作品のテーマは、エロいオヤジはモテる!って、大根仁監督が『モテキ』から描き続けてる中年男の妄想だよね~そこが面白い。

    50近くになっても“夢”って一体何だったのか?カメラしかないから、今もカメラマンをやっているだけの男、そんな男がモテるのは妄想以外ない。

    逆に、主人公=男を踏み台にした女たちがエロくて素敵。
    結局、主人公が体を張って撮ったスクープで、記者として編者者としてのし上がっていく、吉田羊と二階堂ふみが素敵過ぎる!

    ② 作り手の強い意思を感じるか?

    大根仁監督は一貫してエンターテインメント性の高い作品を作り続け、そこには常に「エロい」ことが前提になっていて、カッコよい=エロい男と素敵な=セクシー女が出てくるのが、監督の趣味というか、意志を感じさせる。

    ③ 俳優の意思や演技力が伝わるか?

    福山雅治が、映画ならここまでやってくれる!と言うところまでやってるのが楽しい。
    『ガリレオ』シリーズとは真逆のやり過ぎ感もありつつ、得意なカメラを持って走り回る姿が何気にカッコよい、まぁ~本当は人生の行き詰まり感たっぷりの役どころだけど。

    ヒロイン役の二階堂ふみは、前半のオドオドしたところから成長していく過程を見事に演じていて、後半のセックス・シーンの本気度(肢体も見どころ!)とそれが有るから、あの写真が撮れると言う納得の体当たり演技。
    一方で、吉田羊が男勝りの編集者役ながら、服装と表情一つでガラッと変わるセクシーさは良かった。
    女はのし上がるためなら職場の男も利用する?その逞しさを感じるし、それはしっかりと二階堂ふみにも引き継がれていく。

    滝藤賢一は「半沢直樹」以来、活躍が続いているが、ここでもライバルであり良き理解者でもあり、そして一番笑わせてくれる、と言う難しい役どころを演じている。
    で、なんと言ってもリリー・フランキー。
    『そして父になる』での福山雅治とのコンビとなるが、本当に仲良く演じてる感じ。
    しかもあの怪演ぶりは、『モテキ』の上司や『凶悪』の顔役とも共通するところがある。

    ④ 映画らしい楽しさが備わっているか?

    このエロさの思いっきりさ、もう写真週刊誌が以前ほど売れなくなったり、逆に報道する側と撮られる側の裏事情等々あるとは思うけど、そのあたりのタブー無視で行けるのは映画ならでは。

    今回は政治家のスキャンダルや社会事件までありで、カーチェイスまでやってしまってる。
    都内のど真ん中で、どうやって撮影したのか?そのあたりもちょっと興味が湧く。

    SCOOP!

    ⑤ エンターテインメント性

    業界あるあるや芸能界の裏とかを笑いも含めて、笑いあり、アクションあり、セクシー・シーンあり、そして切なさも有るといった、考えさせられる映画ではないが、楽しませてくれる作品。

    結局は、男と女しかいないってことなんだろうけど、イイ男・イイ女の映画である。

    ⑥ 演出が素晴らしいか?

    なんと言ってもテンポが良い、キッチリ映像で表現するところは映像で、という感じで無駄なセリフに頼らない、少ないシーンで話をまとめる、このあたりは大根仁監督の過去の作品に共通する。

    見ていて判りやすく、無駄なシーンがない、という感じ。
    まぁ~エンドクロールに関しては、毎回色々とやる監督さんでは有るけど、賛否が出るね。

    ⑦ 脚本が素晴らしいか?

    リメイクということも有って上手くまとまった感じの脚本になっているし、福山雅治と吉田羊の関係(立ち呑み屋のシーンとか)が上手く描かれていた。

    後半の山場は一気にテンポが落ちてしまうのは、ちょっと惜しいかも。
    脚本なのか、演出なのか、微妙なところだけど。

    ⑧何度も見たくなるか?

    この手のエンターテインメントに徹した作品は、気軽に見れるので何度でも、という気もするし、あえて能動的に何度も見たいか?と言うと微妙な感じだけど。

    二階堂ふみや色んな女優さんのサービス・ショットが多数あるのでそこは確認してみたい(笑)
    どちらしにても今年(2016年)トップクラスのエンターテインメント作品で間違い無し!

    映画『SCOOP!』のデータ

    SCOOP!

    監督・脚本■大根 仁
    原作映画■「盗写 1/250秒」(監督・脚本:原田眞人)
    撮影■小林元
    音楽■川辺ヒロシ
    主題歌■「無情の海に」TOKYO No.1 SOUL SET feat.福山雅治 on guitar (ユニバーサルJ)
    出演■福山雅治/二階堂ふみ/吉田羊/滝藤賢一/リリー・フランキー
    公開日■2016年10月1日
    公開情報■全国東宝系にてロードショー

    映画『SCOOP!』 [福山雅治]

    【作品紹介】
    落ちぶれパパラッチ&ド新人記者
    狙え、超特大スクープ!
    1枚の写真【スキャンダル】に日本社会が騒然!?
    ますます過熱する写真週刊誌のスクープ合戦に挑むのは、落ちぶれパパラッチ&ド新人記者のまったく噛み合わない凸凹コンビ!?
    かつて数々の伝説的スクープをモノにしてきた凄腕カメラマン・都城静(福山雅治)。
    しかし、その輝かしい業績も、いま現役の雑誌編集者たちにはほとんど知られてない。
    過去のある出来事をきっかけに報道写真への情熱を失ってしまった静は、芸能スキャンダル専門のパパラッチに転身。
    それから何年もの間、自堕落な日々を過ごしてきたのだ。
    そんな彼に、再び転機が訪れる。
    ひょんなことから写真週刊誌「SCOOP!」に配属されたばかりのド新人記者・行川野火(二階堂ふみ)とコンビを組まされる羽目になってしまったのである。
    案の定まったく噛み合わずケンカばかりの静と野火。
    この凸凹コンビが、まさかまさかの大活躍で独占スクープを連発!そしてついに、日本中が注目する重大事件が発生する…。
    (C)2016映画「SCOOP!」製作委員会

  • 映画『怒り』  レイプとゲイのラブ・シーンだけではない!

    映画『怒り』 レイプとゲイのラブ・シーンだけではない!

    映画『怒り』  怒りのない怒りとは

    怒り

    あなたは殺人犯ですか?

    映画『怒り』 Blu-ray豪華版 [渡辺謙]

    とにかく俳優たちの演技がイイ!

    大人のための大人の映画。
    今年は『シン・ゴジラ』が大人のための童心に帰る映画、『君の名は。』は全ての世代に送る青春映画なら、この作品は大人がじっくりと見れる作品。

    ただとっても暗い作品だから、これだけの俳優陣じゃないと単なる地味な作品になっちゃったかも。
    個人的には、女優陣全員が素晴らしかった!と思う。

    この作品は、完全な謎解き映画では無いんですが、一応、サスペンスなのでネタバレになるかもしれないので、後半は映画を観てから読んで下さいm(__)m

    怒り

    イントロダクション

    『悪人』(’10)の李相日監督×吉田修一原作のコンピが再びタッグを組んだ作品。
    『悪人』で日本アカデミー賞をはじめ、国内の映画賞を総ナメにしてから6年、音楽に坂本龍一を迎え、原作者・吉田修一が「物語の登場人物には、映画『オーシャンズ11』のようなオールスターキャストを配してほしい。」と言う希望にそって、日本を代表する7人の豪華俳優陣が集結!

    この配役も絶妙、もちろんその迫真の演技が素晴らしい。
    「愛した人は、殺人犯なのか?」
    “人を信じる”と言う人間の本質を問いかける感動作、予備知識はこのへんにして是非見て欲しい作品。

    これ以下はネタバレになるかもしれないので、映画を観てからお読みください~

    怒り

    私的『怒り』

    ① テーマが有るか?共感できるか?

    タイトルの「怒り」は何だったのか?を考える作品。
    犯人の怒りは見事なまでに意味がなく、殺人の動機すら存在しない。
    テーマとしては「人を信じる」ことを問われる、人を信じると裏切られ、人を疑うと亀裂が生まれ、人間は純粋に人を信じることはできないのだろうか?と。
    今の世の中は複雑になり過ぎて、人を簡単に信じることが出来ない世の中なのかもしれない、それに対する大いなる「怒り」がある。

    社会が複雑になり「根拠のない怒り」が人間不信を呼び、改めて人を信じることを思い出すことに、ラストの大きな感動が有った。

    ② 作り手の強い意思を感じるか?

    『悪人』では一つの犯罪を、それぞれの立場の視点から見た場合に、その真実とはどこにあるのか?と言う物語だった。
    今の世の中に 「人を簡単に信じてしまうこと」の怖さ、「人を信じることができなかったこと」の不幸を問いかける、李相日監督と吉田修一原作に込められた強い時代性を感じる。

    ③ 俳優の意思や演技力が伝わるか?

    とにかく全ての俳優たちが素晴らしかった。
    特に女優陣、ヒロインの宮崎あおい、広瀬すずが迫真の演技、ここまでするか?!と言う体当たりの演技。
    また出演時間は短いが、高畑充希、池脇千鶴の存在感も良かった。
    それにしても広瀬すず、彼女の天才性は監督によって磨かれる、もちろん他の主演作品での可愛らしい(だけの)役柄も良いけど、『海街Diary』とは別に意味で素晴らしい演技をしていた。
    今回は体当たりで、米兵にレイプされるシーンを演じている、もちろん広瀬すずの表情だけで表現している訳だが、それでも生々しいのは、彼女の処女性の裏返しを上手く利用している。
    そして宮崎あおい、彼女はあるゾーンに入ると物凄い演技をする、今回はで出しからラスト近くの一点を見つめるシーンまで狂気すら感じる演技だった。
    冒頭の風俗嬢の姿で、ノーメイク(用のメイク)でボーッとしているところから、この作品に対する入れ込みようが感じられる。

    最後に妻夫木聡、『悪人』で李相日監督にその才能を開花させられた俳優だが、この作品でも見事なツボを押さえていてゲイ役を見事に演じてみせていた(相手役の綾野剛のカメレオン俳優ぶりも良いけど)。
    妻夫木聡もエリートサラリーマンでゲイらしい嫌らしさを感じさせてくれたし、受けのゲイぶりの綾野剛も良かった。

    怒り

    ④ 映画らしい楽しさが備わっているか?

    百聞は一見にしかず、と言うのは映画には重要な点だと思う。
    最後(近く)まで犯人の顔を映さずに(3人の顔を合成したものだと思うけど)公開写真だけが見せられる。
    映像から想像をふくらませる。

    そして3ヶ所の場所ごとの映像が美しく、俳優たちの演技を映えさせている。

    ⑤ エンターテインメント性

    大人のためのエンターテインメントであり、決して明るい話ではない。
    理不尽な怒りによる慟哭が描かれる。

    一方でそれを見事に演じた俳優たちと背景となる舞台の映像の美しさのコントラストが見事で、これは映画ならではエンターテインメント性と言える。
    久々に好きな絵(映像)の作品でもあった。

    にしても、前半の新宿?のゲイの世界を丹念に見せるところも生々しい、特に白い肌の綾野剛(これも隠れて逃げ回る犯人を予感される)に対して、黒光りしている妻夫木聡の肌がコントラストを醸し出してイヤラシイ、それも楽しいと取るか?個人的には苦手なんだけど。

    ⑥ 演出が素晴らしいか?

    142分と言う長尺な作品でありながら、その長さを感じさせない。
    編集を最初から頭に入れた演出がなされている点、そしてあまりに役にハマった役者を選んでいるが、実は少しずつ今までの演技と外している。

    渡辺謙の抑えた演技、少女的な宮崎あおいにはスッピンでの演技、可愛らしさだけではなく悲しみ演じた広瀬すず、いつもの泣きの演技だけではなく見事なゲイを演じきった妻夫木聡。

    そして3ヶ所を同時進行で話を進める上で、安易に性風俗に走る女性、ゲイの実態描写、米軍基地と米兵による暴行問題などをバランス良く配置している。

    ⑦ 脚本が素晴らしいか?

    3つの同時進行の話を、場面(場所)が変わる時に似たようなアイテムを挿入して違和感なく繋いで見せる、と言った手法も入れている。
    3つの場所で進行する物語の繋ぎが上手く、しかもテンポが良くなっている。
    それがこの尺でも、ダレることなく緊迫感もありつつ見続けることができる。

    ⑧何度も見たくなるか?

    重く辛いテーマの作品、流石に繰り返し見たいか?と言われると。
    でも犯人の「怒り」は何だったのか?それは時代で変わるものかも?また観て確認してみたい。
    そして、なんと言っても演技を見るだけでも価値がある、それは何度でも。

    原作者としての吉田修一は、犯人は3人のうちの誰か?と言うサスペンスを求めていた。
    しかし映画の観客としては、ホクロの話から素性まで、実は3人が同一人物で映画のトリックで別の時間を同時進行として見せられているのかな?とも思わせる。
    いや、逆に一連の怒りと考えると、犯人の怒りの意味もひも解けるのかも?

    映画『怒り』のデータ

    怒り

    監督・脚本■李 相日
    原作■吉田修一(「怒り」中央公論新社刊)
    企画・プロデュース■川村元気
    撮影■笠松則通
    音楽■坂本龍一
    出演■渡辺謙/森山未來/松山ケンイチ/綾野剛/広瀬すず/宮崎あおい/妻夫木聡
    公開情報■2016年9月17日 全国東宝系にてロードショー

    映画『怒り』 [ 渡辺謙 ]

    【作品紹介】
    ある夏の暑い日に八王子で夫婦殺人事件が起こった。
    窓は閉め切られ、蒸し風呂状態の現場には、『怒』の血文字が残されていた。

    犯人は顔を整形し、全国に逃亡を続ける。その行方はいまだ知れず。
    事件から一年後。千葉と東京と沖縄に、素性の知れない3人の男が現れた。

    いったい誰が犯人なのか?
    あなたを信じたい。
    そう願う私に信じたくない結末が突きつけられる―――。
    (C)2016映画「怒り」製作委員会

  • 映画『イノセント』 ヴィスコンティ最後のエロティシズム

    映画『イノセント』 ヴィスコンティ最後のエロティシズム

    映画『イノセント』 L’INNOCENTE

    linnocente

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    ルキノ・ヴィスコンティ -作品と演出- はこちら

    ヴィスコンティの遺作でありながら、優美の映像が展開する

    ヴィスコンティの他の作品と同様、俳優陣の素晴らしさが光る。
    ヴィスコンティ以外の映画では平凡な役者に終始していても、彼の演出の元では光り輝くようだ。
    ヴィスコンティ最後の作品は、個人のレベルでその苦悩と挫折を描いて魅せた。
    前作の『家族の肖像』よりも『ルードヴィヒ/神々の黄昏』に近いテーマを描いている。
    テーマの深さ、それを掘り下げる一切の破綻のない演出の完璧さは、どの作品を見ても感心させられる。

    この作品では、理想的な男性像(あくまで男性から見てなのかもしれないが・・・)の夫が、不倫を繰り返す。
    それに耐えかねた妻が、自ら不倫の末、妊娠をする。
    他の男性の子供を産むことにより、夫の精神的な崩壊を招く。
    そこには男性の欲望とその悲劇的な結末が描き抜かれている。
    ラストのシーンは原作と違い、夫の自殺のシーンで終わる。
    この作品はこれまでのヴィスコンティの作品以上に、エロチシズムに富み、抽象的な映像が散りばめられている。
    その絢爛豪華さにはヴィスコンティの衰えを知らない創作意欲を感じずにはいられない。
    所詮、男性は女性・特に母親の前には屈服するしかないのか?

    linnocente

    ヴィスコンティの遺作であり、この作品のダビング中に亡くなった。
    一般的にこの作品が、これまでのヴィスコンティの作品に比べると力が落ちたと言う人も多くいるが、私は逆にこの作品を観てヴィスコンティは最後まで、情熱をもって完璧な作品を作り続けたと感じることが出来た。
    この作品は、これまでのヴィスコンティの作品からは少し趣が違っている。
    これまでの作品は、(特に彼の後半の作品群)同性愛的嗜好が作品の中に横たわっていること、ある時代の崩壊(王侯貴族であったり、財閥であったりする)を描いている。
    耽美的という点ではこの作品も含まれるが...

    改めてこの作品を観て、やはり、映像の美しさに惹かれる。
    これまでの作品以上に鮮やかな彩りを持っている。
    室内装飾や衣装と言った点においても、黒や赤、そして金色と言った色彩と、草木の緑と言った色を鮮やかに使いこなしている。
    このバランスと美しさも、この作品の見所と言えそう。

    そして、この作品はヴィスコンティの作品の中でも、現代的なテーマを取り上げている点で非常に分かり易いストーリーとも言える。
    男女の恋愛、日本で言うところの失楽園的な恋愛をディテイルにしている。
    そこの描かれているのは単純な不倫と言うものではなく、夫婦の内面であり、男女の愛の内面、そこに潜む狂気と男性に取っての人生観までを描いている。

    linnocente

    またヴィスコンティ作品には珍しくエロティックな表現も有り、その使い方が大胆で効果的であったし美しく艶めかしくもあった。
    この作品を観ると、ヴィスコンティは映画の中で主題そのものを描くと言うことよりも、自分の好きなテーマを表現するのに合った題材の脚本(や原作)から、実はそこに棲息する登場人物達の人間性(欲望であったりその地位であったり)を描くことのみに、その表現を用いているのでは?と考えさせられる。
    この作品では、不倫と嬰児殺しと言う点がテーマになるが、その裏には男性の恋愛に対する考え方と、(二人の)女性の考え方、そして恋愛と結婚というものに対する考え方を描いて見せている。
    愛人(ジェニファー・オニール)の自由奔放な生き方と、妻(ラウラ・アントネッリ)の貞淑な生き様、その中に描かれた女性の魔性...理想の男性像のプレイ・ボーイでありながら、結局、女性を理解することが出来なかった主人公(ジャンカルロ・ジャンニーニ)。
    全てを失った(と言っても女性からの愛だけだが)彼には存在する理由が無かった...

    それは、現代に於いても、日常的な恋愛の裏側に潜む人間関係や人の欲望で有り、自分の周りでも常時起こっている普遍的なものとも言える。
    この作品では非常に俳優の目の動きが印象的だった、特にジャンニーニの鋭い眼光は魅力的だった。

    linnocente

     

    映画『イノセント』のデータ

    映画『イノセント』(Blu−ray Disc) /ジャンカルロ・ジャンニーニ,ラウラ・アントネッリ,ジェニファー・オニール,ルキノ・ヴィスコンティ(監督)

    L’innocente 125分 1975年 イタリア

    監督■ルキノ・ヴィスコンティ
    製作■ジョヴァンニ・ベルトルッチ
    原作■ガブリエレ・ダヌンツィオ
    脚本■ルキノ・ヴィスコンティ/エンリコ・メディオーリ/スーゾ・チェッキ・ダミーコ
    撮影■パスカリーノ・デ・サンティス
    音楽■フランコ・マンニーノ/ショパン『ワルツ69・70・64』、『子守歌』/モーツァルト『ピアノ・ソナタK331』/リスト『エステ荘の噴水』/グルック『エウリディケを失って』
    編集■ルッジェーロ・マストロヤンニ
    美術■マリオ・ガルブリア
    衣装■ヴェラ・マルツォ/ピエロ・トージ
    助監督■アルビーノ・コッコ/ジョルジオ・トレーヴェ
    製作会社■リッツォリ・フィルム
    備考■テクニカラー、コスモヴィジョン
    日本公開■1979年
    出演■ジャンカルロ・ジャンニーニ/ラウラ・アントネッリ/ジェニファー・オニール/ディディエ・オードバン/リーナ・モレッリ/マッシモ・ジロッティ/マルク・ポレル/マリー・ジュポワ/カルロス・デ・カルヴァーロ/クロード・マン

    【解説】
     ダヌンツィオの原作を仰ぎ、ヴィスコンティが幼少期に映画的洗礼を授かった、イタリア・サイレント期のロマン主義的傾向の恋愛劇へのオマージュとしての、典雅にして不気味な貴族の愛憎物語。未亡人の愛人(美しすぎて怖いJ・オニール)にうつつを抜かし、盲目的な愛国主義に溺れる、嫉妬深い男(ジャンニーニのキャリアの頂点!)。失われゆく19世紀の栄華、そして新しい世紀への不安は彼を、その不実に悩み苦しみ抜いたL・アントネッリが密通し出来た赤児を殺す–という狂気へ駆り立てる。ラスト近い、その場面の恐ろしさ、純粋さ(開けた窓から雪が舞い込み、その冷気によって窓際に寝かせた幼子を殺そうというのである)……。巨匠入魂の、そして残念ながら最後の、自らの階級への痛切なる挽歌。(映画データベース – allcinema より)

    イタリアの耽美派作家ダヌンツィオの原作を基にしたヴィスコンティの遺作。
    愛人を持つ男が、妻が別の男の子供を産んだことで苦悩する。
    物語は、悲劇的結末に向かって進み、ヴィスコンティならではの優美な映像が展開する。
    ヴィスコンティは当初、アラン・ドロンとロミー・シュナイダーの出演を望んだ。
    当時、ドロンは5本の出演作品を抱え、シュナイダーは妊娠中だったことで実現しなかった。
    ヴィスコンティ自身の別の発言では、アラン・ドロンとシャーロット・ランプリングともなっている。

  • 映画『家族の肖像』 個室の中の完璧なドラマ

    映画『家族の肖像』 個室の中の完璧なドラマ

    映画『家族の肖像』 GRUPPO DI FAMIGLIA IN UN INTERNO

    gruppo-di-famiglia-in-un-interno

    2017年2月11日(祝・土)より、岩波ホールほか全国順次ロードショー

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    部屋に閉じこもる老人を描くことで、人間の本質を描いた作品

    私が観た映画の中の最高傑作の一つ。
    演出の素晴らしさ、それに応えた俳優陣も素晴らしい!
    ここで出てくるアイテムとして音楽・絵画が有るが、その使い方も、それに精通しているヴィスコンティならでは。
    この作品では孤独を好む老人の前に、ある日突然、家族というものが現れる。
    そこには欲望というものを隠さず露わにする人種達であった。
    老人の心の中での葛藤とそれを受け入れたものの、また裏切られる経過を部屋というディテイルの中で描ききっている。
    テーマの深さを物の見事に表現していること、一切の無駄を省きながらも語り残したところの無い完璧なストーリー。
    そこにはヨーロッパの芸術、映画の娯楽性までもが醸し出されている。
    時代性は無いものの、人間の普遍的な部分を追求した作品。

    gruppo-di-famiglia-in-un-interno

    映画館で観終わってやはり疲れる、難解な映画である、と同時にヴィスコンティの作品の中でも最も完成された作品だと思う。
    それは他のヴィスコンティ作品は、受け取る側(観客)の感性と言うものに、かなりの部分を委ねているのに対して、この作品では明確にヴィスコンティが描こうとするものが映し出され考えることを要求しているようにも思える。
    その理由の一つに、家の中から出ないと言った閉ざされた空間の中で物語が進行していく事に有ると言っても良い、まるで舞台劇のように話は進んで行く。
    ただヴィスコンティは、舞台劇と映画の明確な違いを意識しており、常に映像の中に奥行きを持たしている。
    この辺の演出に関しては、今更どうこう言う必要は無いだろう、素晴らしいの一言である。
    テーマは世代間ギャップで有り、古い世代の一人の人間の孤独感である。
    ただ、このギャップや孤独感は、主人公の教授の性格に依存するものであり、ある特定の階級等に所属する人々の一般的な話では無い。
    またヴィスコンティの作品の素晴らしい点として、登場人物の奥行きの深さ。
    そう言う意味で教授が妻の事、母親の事を回想するシーンなどは重要な意味を持つ。

    gruppo-di-famiglia-in-un-interno

    この作品は『地獄に堕ちた勇者ども』と同様に、非常に政治的・思想的な意味合いも込められていた。
    ファシズムとしての右派と、共産主義的な過激派が出てくる。
    そこにはヴィスコンティ自身も経験した共産主義的左派の挫折も明確に読みとれる。
    時代から逃避した老人と、現実の中に埋没している人々の悲劇...ただ、この老人が現実には存在しえない人なのだろうか?
    人間の心の中に潜む欲望、それは複数の人々が集えば必ず争いが起きる原因となる。
    それは人の集まりの最小単位である家族であったとしても(ここでは仮想的な、もしくは擬似的な家族では有るが)。
    ならば、それを避けて生きていきたいと願う事も有るのでは。
    確かに、この作品の教授は余りにも象徴的に描かれているが、実際の人々の中に潜む孤独、それを明確に捉えている。
    そうコンラッドやブルモンティ婦人の家族は、現実の世界の人々の象徴として描かれる。
    それは欲望に満ちた人々であり、片やブルジョワ的資産階級であり、片や革命的共産主義者である。
    どちらが良い悪いでは無く、そこには自己矛盾が存在しており、醜いものが潜んでいて、常に争いを起こす。
    それはお互いを愛す事でもそうで有り、仲間の間でもそうで有り、家族の間でもそうなので有る。
    そしてそこから逃避したい...と、考えるのはある意味、人間の弱さであり本質なのかもしれない。
    こうしてヴィスコンティは、この作品で人間の内面を見事に描いて見せた。
    また映画の造形の面からも、2つの側面を描いて見せた。
    教授の部屋は、時代錯誤的なバロック調の部屋であり、コンラッドの間借りした部屋は現代的な部屋に改装されている。
    コンラッドの部屋を見て、観客は初めてこの作品が現代の物語であることに気付かされる。

    gruppo-di-famiglia-in-un-interno

    イタリア人でありながら、一時期、アメリカに渡航した老教授をバート・ランカスターが好演。
    ヘルムート・バーガーの妖しさはここでも美しい。
    それ以上に素晴らしかったのは、派手な衣装を装いながらも、品の良さを持った上流階級の貴婦人を演じ、と同時に女性のエゴを丸出しにした演技をしたシルヴァーナ・マンガーノは秀逸である。
    登場人物を限ったことにより、一人一人の人物を深く描き、人間の本質と時代性を描いたヴィスコンティの本当の傑作である。

    映画『家族の肖像』のデータ

    映画『家族の肖像』 デジタル完全修復版【Blu-ray】 [ バート・ランカスター ]

    Conversation Piece(Gruppo di Famiglia in un Interno 121分 1974年 イタリア

    監督■ルキノ・ヴィスコンティ
    製作■ジョヴァンニ・ベルトルッチ
    脚本■ルキノ・ヴィスコンティ/エンリコ・メディオーリ/スーゾ・チェッキ・ダミーコ
    撮影■パスカリーノ・デ・サンティス
    音楽■フランコ・マンニーノ/モーツァルト『神よ、私の心を、K364』
    編集■ルッジェーロ・マストロヤンニ
    美術■マリオ・ガルブリア
    衣装■ヴェラ・マルツォ/ピエロ・トージ
    助監督■アルビーノ・コッコ
    製作会社■ルスコーニ・フィルム/ゴーモン・インターナショナル
    備考■テクニカラー、トッドAO
    日本公開■1978年
    出演■バート・ランカスター/シルヴァーナ・マンガーノ/ヘルムート・バーガー/クラウディア・マルサーニ/ステファノ・パトリッツィ/エルヴィラ・コルテーゼ/ロモロ・ヴァッリ/クラウディア・カルディナーレ/ドミニク・サンダ

    【解説】
     ローマ市内で静かに暮らす教授のもとに、奇妙な一群がやってきた。母娘とその情夫たちである。彼らは教授の屋敷の2階に住み着き、教授の平穏な生活はかき乱されてしまう。だが、母親の情夫コンラッドとの美術談義だけは、教授に不思議な安息を与えていた。そんなある日、コンラッドが過激派に襲われて負傷してしまう。やがて、その傷がきっかけとなり、コンラッドは彼らの前から姿を消すことになるが……。巨匠ヴィスコンティが、現代における家族の存在理由と定義を問い直す、静かだが力強い作品。B・ランカスターとヨーロッパ映画界を代表するスターの顔合わせも大きな魅力となっている。(映画データベース – allcinema より)

    題名の“家族の肖像”とは、18世紀イギリスで流行した家族の団欒を描いた一連の肖像画の事。
    ローマの広大な邸宅に住む老教授(バート・ランカスター)は、この“家族の肖像”のコレクションが趣味で、それらの絵画に囲まれて孤独に暮らしている。
    そこに、実業家夫人ビアンカ(シルヴァーナ・マンガーノ)が現れ、彼女の愛人コンラッド(ヘルムート・バーガー)の為に、強引に教授の住む邸宅の2階の部屋を借りたことから、教授の生活は一変する。
    孤独に暮らす教授に新しい“家族”が加わったのだ、だが教授はコンラッドを理解できないまま・・・。
    解体され変貌する家族の中の旧世代の孤独感を描いた、ヴィスコンティのレクイエム。

  • 映画『ルートヴィヒ』 バイセクシャルの不完全な美学

    映画『ルートヴィヒ』 バイセクシャルの不完全な美学

    映画『ルートヴィヒ/神々の黄昏』 LUDWIG

    ludwig

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    ヴィスコンティ作品の中で完璧ではないが最も好きな作品

    ヴィスコンティの傑作中の傑作。
    彼はこの作品に際して、老体に鞭を打ちドイツの寒い山林の中での撮影を敢行した。
    この事が彼を病に追いやった。
    それでも、この大作を完成させた執念は、もの凄いものを感じずにはいられない。

    この作品の内容と言うより、ここには総合芸術としての映画、全ての芸術・娯楽という要素を見事に融合させている。
    オペラなどのクラシック音楽はもちろん、映像的にもその室内装飾から衣装までも素晴らしく、ルードウィヒが建てたノイシュヴァンシュタイン城までもが、この映画を際ただせている。
    その構成する要素全てを完璧なまでに使いこなす。
    これだけの作品は、これ以降も生まれる可能性は少ない。

    狂王と呼ばれたルードウィヒ二世をヘルムート・バーガーが見事に演じている。
    その変わっていく様と共に、彼の置かれる環境も変わり、徐々にその耽美で倒錯的な世界が展開される。
    この作品でヴィスコンティは、芸術を愛する一人の国王が、国王という存在そのものが変わろうとした時代に、変化についていくことが出来ず、それに押しつぶされる人物像を描いている。
    こういった人物を描いた時に、ヴィスコンティの本領が発揮される。
    私がこの作品を楽しんだのは、ストーリーそのものや、その裏に有るヴィスコンティの表現したい事ではない。
    ヴィスコンティの作った世界観、それは上にも書いた音楽や映像、そして魅力有る登場人物。
    ルードウィヒやエリザベートと言った周りの人物自体も魅力的であるが、それを演じる俳優達の上手いこと・・・
    ヴィスコンティが見事にその個性を引き出し、映画の一部に取り込んでいる。
    それ全てが歪みが無く完璧に構成されていることに酔いしれることが出来る。
    そして見終わった後の心に残る強い感動を止めることは出来ない。
    感動と言っても、それは得体の知れないものであるが・・・。
    映画というもの存在が何か・・・この作品を観ていると、それすらを超越してしまっている。
    架空の世界にも関わらず、そこには完璧なまでのリアリズムと同時に余りに美しい世界が広がっている。

    ludwig

    テーマやストーリーの意図するものを追ってみたい。
    この作品のテーマは、(明らかにヴィスコンティの出生にまつわる)有る階級が、時代に取り残され崩壊していく様を描いている。
    ヴィスコンティはイタリア貴族の名門中の名門。
    主人公・ルートヴィヒは、バーヴァリア王国(ドイツ南部バイエルン地方のミュンヘンに首都を置く)の国王。
    ルートヴィヒは純粋さと王族として育った環境(教養や躾けと言ったもの)によって、芸術と言うものに強い関心を持った。
    この点はヴィスコンティと共通する点でも有る。
    ルートヴィヒの悲劇は、ヴィスコンティよりも半世紀早く生まれたことが大きく影響している。
    それは旧時代から新時代過渡期とも言える時代。
    ルートヴィヒは心の自由を求め孤独を好んだ。
    このことが彼の立場、特に彼の所属する階級には許されないことだった。
    時代が違えば許されたことであったとしても、20世紀に向かう激動の時代において、王制の存在自体が疎まれた時代おいて許されることでは無かった...特に政治家にとっては。

    ルートヴィヒは自分の理想のため、ワグナーに莫大な国費を投じたが、それは国民、国に受け入れられなかった。
    ルートヴィヒは自分の中に有る、自由を求める心、欲求が有ったが、それを手に入れているかのような女性、エリザベートに恋をする。
    しかし、それはルートヴィヒやエリザベートにおいても許される恋では無かった(この点、エリザベートは現実的)。
    彼の理想と孤独を求める欲求は、最初からこの時代に受け入れられる事は無かった。
    ルートヴィヒは、まず戦争という現実から逃避した。
    それからは常に現実とは向き合おうとはしない。
    国王としての義務、世継ぎを作ること、これ(結婚)も拒否をした。

    ludwig

    ヴィスコンティは、明らかに時代に押しつぶされる、ある階級を徹底的に描いている。
    ルートヴィヒだけではない、ルートヴィヒの母親の皇太后も、弟オットーも、輝きを失っていく。
    ルートヴィヒの追い求める、芸術や孤独の裏側に有るのは、常に人への、人からの“愛情”で有った。
    これがうち破られ、彼は本当の孤独になり自らの人生に自分で幕を下ろす。
    ルートヴィヒが男色に走るシーンが描かれるが、これはカトリックの教えを彼なりに守った故。
    婚約者ソフィーとの婚約解消の際に、司教に童貞で有ることを聞かれる。
    彼は唯一愛した女性エリザベート以外に結婚の意志もなく、童貞を守り続けること誓うのがこのシーンで判る。
    また舞台女優が、ゴシップ目当てにルートヴィヒに近づいて来るシーンも、彼の純潔さを表現している。

    ルートヴィヒが政府に追いつめられた時に、エリザベートはルートヴィヒが作った城を周り、ルートヴィヒの元を訪れる。
    ルートヴィヒが建てた壮大な城を見てエリザベートは大声で笑う。
    彼女は、はっきりとルートヴィヒを理解したのだ。
    本来はルートヴィヒに会って、彼の浪費を諫めに来たはずだが、ルートヴィヒが会わないことを知ると、あっさりと帰ってしまう。
    彼女には痛いほど、ルートヴィヒの悲しみと苦悩が感じてしまう...だから、逢わずに帰ってしまう。

    しかし、この映画の本当の素晴らしさは、そのテーマ自体ではない! これを如何に表現したか?に有る。
    ヴィスコンティの演出の素晴らしさには目を見張る。
    カメラのアングルや音楽の当てはめ方...そして、その完璧性。
    鏡の使い方や色使い、ルートヴィヒが幽閉された精神病院的な城は、モノトーン的な色使いをしている。
    それまでの鮮やかな色使いから一転する。
    鮮やかと言えば、洞窟に池を作り船を浮かべて白鳥を泳がしている。
    ワグナーの音楽が鳴り響く。

    どのシーンをとっても印象的で美しい造形。
    調度品にしても全てが本物(少なくともそう見える)で、貴族出身のヴィスコンティでなくては、これだけ細部までのこだわりは出せないはず。
    幽閉された城に掛けられた絵の数々は、エリザベートに招待されて初めてソフィーに会った部屋に掛けられていたもの(確か...?)。
    そう言った一つ一つのシーンを印象づけ、しかも意味の有るものにしている。

    またヴィスコンティの最も得意とする人物描写と俳優への演出。
    ルートヴィヒを演じたヘルムート・バーガーやエリザベートを演じたロミー・シュナイダーの素晴らしさは言うまでもないが、他の人物に関しても丁寧に描かれる。
    一つの例としてルートヴィヒを捕らえに来た中心人物の大臣・ホルンシュタイン伯爵の描き方。
    あまりにも野心的で頭の切れる人物であることを明確に描ききっている。
    ルートヴィヒの母親にしても、彼女の威厳有る態度がルートヴィヒの立場を明確にし、しかもプロテスタントからカトリックへの改宗(?)のシーンでの疲れ果てた表情で、時代の流れまでも表現させている。
    ストーリーと言っても、一人の人生を描いているだけにも関わらず飽きさせないのは、人物の描き方が魅力的だからであろう。

    ludwig02

    ヴィスコンティ作品のどこが良い?『ルートヴィヒ』のどこが素晴らしい?と聞かれても一言で答えを出すことは出来ない。
    それは絵のルノワールやゴッホ...音楽のベートーベンやモーツァルト...のどこが良いのか?と聞かれるのと一緒。
    映画という総合芸術そして娯楽性、それを見事に表現しているのがヴィスコンティ作品であり、特にその表現力と言う点で、ヴィスコンティ作品の中でも『ルートヴィヒ』は優れた作品と言える。
    映画のなんたるか!が、この作品で味わうことが出来る、傑作中の傑作。

    イタリア語版ではルートヴィヒ役のヘルムート・バーガーの吹き替えをジャンカルロ・ジャンニーニ(後にヴィスコンティの『イノセント』に出演)を起用するなど、豪華。
    ヴィスコンティの偉大さが判る。
    また題名の日本語表記が「ルードウィヒ」から、「ルートヴィヒ」に変更されている。

    映画『ルードウィヒ』のデータ

    映画『ルートヴィヒ』 デジタル修復版 [Blu-ray]

    LUDWIG 184(240)分 1972年 イタリア=西ドイツ(現ドイツ)=フランス

    監督■ルキノ・ヴィスコンティ
    製作■ウーゴ・サンタルチーア
    製作総指揮■ロバート・ゴードン・エドワーズ
    原案・脚本■ルキノ・ヴィスコンティ/エンリコ・メディオーリ/スーゾ・チェッキ・ダミーコ
    撮影■アルマンド・ナンヌッツィ
    音楽■ロベルト・シューマン『子供の情景作品15』/リヒァルト・ワグナー『ローエングリーン第一幕への前奏曲』、『トリスタンとイゾルテ』、『タンホイザー』、『最後のピアノ曲』/ジャック・オッフェンバック『パリコール序曲』
    ピアノ独奏・演奏指揮■フランコ・マンニーノ
    演奏■サンタ・チェチリア国立音楽院管弦楽団
    編集■ルッジェーロ・マストロヤンニ
    美術■マリオ・キアーリ/マリオ・シッシ
    衣装■ヒエロ・トージ
    助監督■アルビーノ・コッコ
    製作会社■メガ・フィルム/ディーター・ガイスラー・プロドゥクツィオーン/ディフィナ・フィルム/シネテル
    備考■テクニカラー、パナビジョン
    日本公開■1980年
    出演■ヘルムート・バーガー/ロミー・シュナイダー/トレヴァー・ハワード/シルヴァーナ・マンガーノ/ゲルト・フレーベ/ヘルムート・グリーム/イザベラ・テレジンスカ/ウンベルト・オルシーニ/ジョン・モルダー・ブラウン/フォルカー・ボーネット/ハインツ・モーク/アドリアーナ・アスティ/ソニア・ペトローヴァ/マルク・ボレル/ノラ・リッチ/マーク・バーンズ

    【解説】
     狂王と呼ばれたバイエルン国王ルードウィヒ二世は、19歳で玉座につき、その美的趣味を国費でもって究めたいけない人。ワグナーのパトロンになって、言われるがままに金を出し、オペラ劇場を作るわ、自分でも三つのお城を建てて、その一つ、リンダーホフ城には地下に人工池造って白鳥のゴンドラうかべてるし……。そんな贅沢三昧そのままに、映画はそれら本物を使ったり、再現して、もう垂涎の絵巻物を繰り広げる。けど、ルードウィヒは寂しいのだ。最愛の従姉エリザベート(R・シュナイダーの白鳥に跨る姿の美しさ!)は人の妻(オーストリア皇后)。その妹ソフィと結婚するはずが、やっぱ諦め切れなくて婚約破棄。以後はただもう、そんな享楽生活に身も心も捧げて歯も腐るほど。親しい人(含む愛人の男たち)みんなに逃げられて、結局“ご乱心”とされ幽閉。暗殺だか自殺だか判らぬ死を迎える。製作会社を倒産に追い込み、自分は卒中に倒れても完成させた大作だが規模だけでなく、その精神の気高さ、深い教養、美への執着において、このような映画は二度と作られまい。これをヴィスコンティは、主演のお稚児さん、H・バーガーを役者として大成させるために作ったってぇんだから、侯爵さまのなさることはスケールが違う。彼のドイツ三部作(「地獄に堕ちた勇者ども」「ベニスに死す」)の終幕を飾る作品で、その死後、本作の回想形式をとらない完全版(220分余)がM・マストロヤンニの弟ルッジェロの編集によって作られた。(映画データベース – allcinema より)

  • 映画『ベニスに死す』 映画、映像の極致、美への探求に死す

    映画『ベニスに死す』 映画、映像の極致、美への探求に死す

    映画『ベニスに死す』 MORTE A VENEZIA

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    ルキノ・ヴィスコンティの生涯についてはこちらから

    ルキノ・ヴィスコンティ -作品と演出- はこちら

    私が最も愛する作品、映画として映像としての極致にある

    これ程、感覚的な映画が有るだろうか?そんな問いを投げたくなるような作品。
    映像と音楽がストーリーを語っている。
    マーラーの音楽に心酔してしまう。
    映像はヴィスコンティの他の作品に比べると、色彩という点では趣が違う。
    全体的に白を基調としたもの、他の作品は赤や黒、黄金と言った色が基調。
    それだけに主人公のアッシェンバッハの醜さとタッジョの美しさが際立つ。

    この作品は“美”とは?“芸術”とは?と言う問いを投げかけ、究極の美という物をテーマに置いている。
    “美”の象徴がタッジョであり、アッシェンバッハの老醜が描かれている。
    ここで描かれる“美”は、“知性”に依って生み出される物ではなく“自然”が生み出す物...甘美な物(欲望の現れ?)として描かれる。
    それは才能が生み出す奇跡だと...

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    タッジョを観ていると恐ろしい物を感じる。
    “美”を生み出す才能を手に入れるために悪魔と手を握る必要が有るのでは...タッジョこそが悪魔の使いなのか?そんな幻想を思い起こさせる。
    アッシェンバッハはタッジョを追い回す。
    タッジョ(悪魔の使い)の気を引くために(死に)化粧までほどこす。
    タッジョもアッシェンバッハにつけられているのを知り、振り返っては、(“美”と言う欲望の世界に)誘惑していく。
    アッシェンバッハはタッジョに向かって独り言を言う...「愛している」と、それは、悪魔に心を売っても“美”を手に入れたいという誓いの言葉なのかもしれない。
    またアッシェンバッハは、タッジョが一人で『エリーゼのために』をピアノで弾いているのを見て、娼婦との交わりを思い起こし頭の中でタッジョ肉体的に犯している...悪魔の誘い(美)に溺れるのである。
    そして海に向かってダビデ像のポーズを取るダッジョに“美”を見て(手に入れて)、引き替えに魂(命)を悪魔に奪われる。

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    余りに、美しい数々のシーン、そして言葉以上に語る音楽、この2つが美しすぎるだけに、その残酷さが際立つ。
    ラストのアッシェンバッハの死体が、運び出されるシーンのなんという怖さ!
    屍は、この美しく甘美な世界からは放り出されなければならないのか?

    ヴィスコンティは、この作品で“美”と言う物を映像と音楽で見せつけ、神(知性)と悪魔(欲望)の世界を描き挙げている。
    彼は長年暖めていたこの作品の企画を、ビヨルン・アンドレセンと言う完璧な美少年(好みは有るが)を手に入れたことにより実現にこぎ着けた。
    余りにも甘美で倒錯した美しい世界である...それだけに残酷である。

     

    映画『ベニスに死す』のデータ

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    LA MORTE A VENEZIA
    DEATH IN VENICE [米] 131分 1971年 イタリア=フランス

    監督■ルキノ・ヴィスコンティ
    製作■ルキノ・ヴィスコンティ
    製作総指揮■マリオ・ガッロ
    原作■トーマス・マン
    脚本■ルキノ・ヴィスコンティ/ニコラ・バダルッコ
    撮影■パスクァリーノ・デ・サンティス
    音楽■グスタフ・マーラー『交響曲第三番ニ短調第四楽章』、『第五番嬰八短調第四楽章』
    指揮■フランコ・マンニーノ
    演奏■サンタ・チェチリア国立音楽院管弦楽団
    編集■ルッジェーロ・マストロヤンニ
    美術■フェルディナンド・スカルフィオッティ
    衣装■ピエロ・トージ
    助監督■アルビーノ・コッコ
    製作会社■アルファ・チネマトグラフィ/ラ・プロデュクション
    備考■テクニカラー、パナヴィジョン
    日本公開■1971年
    出演■ダーク・ボガード/ビョルン・アンドレセン/シルヴァーナ・マンガーノ/ロモロ・ヴァリ/マーク・バーンズ/ノラ・リッチ/マリサ・ベレンソン/キャロル・アンドレ/レスリー・フレンチ/セルジオ・カラファノーロ/チロ・クリストフォレッティ/アントニオ・アピチェッラ/ブルーノ・ボスケッティ/フランコ・ファブリツィ/ドミニク・ダレル/マーシャ・ブレディット

    1971年カンヌ国際映画祭
    25周年記念賞授賞 ルキノ・ヴィスコンティ
    (ルキノ・ヴィスコンティ自身の功績も共に表彰された)

    【解説】
     掛け値なしに美しい映画だ。T・マンの原作ではギリシア神にも喩えられる少年タジオが現実にもいたせいだ。そのB・アンドレセンの美少年には主人公ならずとも、ヘテロの男性をも“その気”にさせる妖しさがあり、彼に出会えたことを“奇跡”と呼んだヴィスコンティの驚喜はよく分かる。彼とそして、全篇に流れる感傷的なマーラーの五番の第四楽章のお蔭で、この作品は耽美の極みに観る者を浸らせる。理想の美を少年に見出した作曲家アッセンバッハは、浜に続く回廊を少年を求めてさまよう。疫病に罹ってもなお、化粧をその顔に施させ、ヴェニスの町を徘徊し、やがて疲れた体を海辺のデッキチェアに横たえる。波光がきらめく。満足の笑みを浮かべつつ涙し、化粧は醜く落ちていく……。痛切な幕切れは同時にひたすら甘美だ。(映画データベース – allcinema より)

    この作品、最初に観た時は、他のヴィスコンティ作品よりも自分の好みではなかった。
    何度か見ているうちに、一番好きな作品の一つとなった。
    トーマス・マンの原作(原作は音楽家ではなく作家)だが、実は同じマン原作「ファウスト博士」の”悪魔との契約”と言うテーマが大きなベースとなっている。
    マンのファウストは、20世紀初頭のナチズムの台頭に合わせて書かれている。
    そして、その基になったゲーテの「ファウスト」をベースしたと思われるのが、宮﨑駿監督の最後の作品『風立ちぬ』。
    そう言う意味では『ベニスに死す』と『風立ちぬ』には大きな共通性を感じ、共にファシズムの台頭と言う時代を感じさせるものになっている。

  • 映画『地獄に堕ちた勇者ども』 リアリズムからデカダンへ、ナチズムを描く

    映画『地獄に堕ちた勇者ども』 リアリズムからデカダンへ、ナチズムを描く

    映画『地獄に堕ちた勇者ども』 LA CADUTA DEGLI DEI

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    ルキノ・ヴィスコンティの生涯についてはこちらから

    ルキノ・ヴィスコンティ -作品と演出- はこちら

    ヴィスコンティに取っての集大成と言える

    時代がナチの時代に移行しようとする中で、滅び行く古い階級の人々のしがみつく姿が象徴的な描かれる。
    また、それを壊す象徴的な事件として、息子による母親の強姦のシーンが有る。
    旧時代の上流階級も、ナチズムも人間の中に有るもの“欲求”の一部でしかない。
    それがぶつかり合った時に、強いものが弱いものを駆逐する・・・その時の弱いものの悲劇、また、そこには強いもの達にも悲劇が有ると・・・
    この作品では、ヘルムート・バーガーの女装シーンなど1920年代のヴィスコンティのパリでの文化的影響も強く見ることが出来る作品でもある。

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    ヴィスコンティの大きな転換期を迎えた作品と言えよう。
    彼の『山猫』がリアリズモの時代から退廃と言った時代への転機としたら、この作品で見事にヴィスコンティは変わったと言える。
    この作品のテーマはナチズム(=ファシズム)で有る。
    それはヴィスコンティの中の退廃と言うものを一番表現したものかもしれない。
    ヴィスコンティは人間の欲望と言うものを、これ以降の作品の中で一貫して描いていく。
    この作品でのナチズムは人間の欲望の象徴である。
    アッシェンバッハが、マルチンに「フリードリッヒはナチズムの本質が判っていない」と言う。
    ヴィスコンティの人生において、第二次世界大戦を経験し彼は一時期、共産党の戦士としてファシズムと対峙する。
    この物語もドイツがワイマール憲章による民主国家が、ロシアの共産主義の脅威にさらされて、その反動で右傾化した事がナチズムの台頭を生んだ。
    しかしその本質として、何故、ナチズムがこれ程までにドイツの中で蔓延ったのか?それを、ヴィスコンティは鋭く映像化している。

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    それは人間の本質的なところに有るのだ!
    人間の欲望を膨らませること、そして必ずその欲望を実現すること...そのためには手段を選ばないこと。
    誰にでも存在する“欲望”、その恐ろしさこそがナチズムの恐怖そのものなのだ...
    ヴィスコンティの凄いところは、その欲望の表現手段に有る。
    見事なまでに人間個々の欲望、フリードリッヒの権力欲で有り、ソフィの独占欲で有り、アッションバッハの権力欲で有り、マルチンの倒錯的な愛欲...それら全ての欲望を飲み込んでしまう。
    そして明確な形が無いまま増殖する...
    そうナチズムは、それそのものが“欲望”なのである。

    damned

    ヴィスコンティは、一見、ナチズムを優美で甘美に描いているようにも見える。
    ナチの黒と赤の制服、美しい食卓、可愛い少女達...またナチと権力争いをしていた突撃隊の粛正...突撃隊も一方で“欲望”が生み出した怪物。
    しかしナチの怪物の前に喰われてしまう運命であったのだ...
    その欲望が余りにも美しいことがナチズムの誘惑であり、それを表現し得るのはヴィスコンティしかいない...
    恐ろしくも美しい、美しいから恐ろしい...そんな作品である。

     

    映画『地獄に堕ちた勇者ども』

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    The Damned
    La Caduta Dei 157分 1969年 イタリア/スイス/西ドイツ(現ドイツ)

    監督■ルキノ・ヴィスコンティ
    製作■アルフレッド・レヴィー/エヴァー・ハギャッグ
    原案・脚本■ルキノ・ヴィスコンティ/ニコラ・バダルッコ/エンリコ・メディオーリ
    撮影■アルマンド・ナンヌッツィ/パスカリーノ・デ・サンティス
    音楽■モーリス・ジャール
    編集■ルッジェーロ・マストロヤンニ
    美術■パスクァーレ・ロマーノ
    衣装■ピエロ・トージ/ヴェラ・マルツォ
    助監督■アルビーノ・コッコ/ファニー・ヴェスリンク
    製作会社■ペガソ・イタルノレッジオ/プレジタン/アイヒベルク・フィルム
    備考■テクニカラー
    日本公開■1970年
    出演■ダーク・ボガード/イングリッド・チューリン/ヘルムート・グリーム/ヘルムート・バーガー/ルノー・ヴェルレー/ウンベルト・オルシーニ/ルネ・コルデオフ/アルブレヒト・ショーンハルス/フロリンダ・ボルカン/ノラ・リッチ/シャーロット・ランプリング

    1969年アカデミー賞
    脚本賞ノミネート ルキノ・ヴィスコンティ/ニコラ・バダルッコ/エンリコ・メディオーリ

    【解説】
     ヴィスコンティのドイツ三部作の巻頭を飾るのは、第三帝国の隆盛と共に崩壊に向かっていく鉄鋼王国一家の悲劇をオペラ的に描く頽廃の叙事詩である。ドイツの工業中心地帯、ルール地方に権勢を誇る製鉄王、男爵エッセンベック老の誕生日に一族郎党が集まる開幕からして実に怪しい雰囲気で、老男爵の財産を皆が虎視眈々と狙っているのが一目にして分かる。ナチス躍進の33年2月のことだ。おりしもベルリンで国会議事堂焼き討ちの報が入り、不気味さは増す。やがて男爵は、従弟のアッシェンバッハ(グリーム)の差し金で邸内に乱入した親衛隊の騒動の中、娘ソフィ(チューリン)とは愛人関係にある総支配人フリードリヒ(ボガード)の手で射殺され、大コンツェルンの実権は彼らに握られる。アッシェンバッハは更に、目障りな親族たちを片端から始末し、男爵の甥の息子ギュンター(ヴェルレー)はナチに引き入れ、ソフィの息子マーティン(バーガー)の偏執的な性格を利用し、母とその愛人を毒殺させる。が、自分のしでかしたことの重みに耐えかねマーティンも自殺し、遂にナチ以外の一族郎党は消え失せ、エッセンベック邸の広間には巨大ハーケンクロイツの旗が飾られる。凄惨美というのか、ここに描かれるナチズムの恐怖は、作者の意図に反して、浪漫的なものと受け止められてしまっている節もあるが、実に堂々たる滅びの美学の中に潜む諧謔を見逃してはならない。にしても、バーガーが絶望的享楽に耽るシーンの妖しいこと……。(映画データベース – allcinema より)
    第二次世界大戦中『郵便配達は二度ベルを鳴らす』によって、ネオ・レアリスモの口火を切った、ヴィスコンティ監督が、大戦前のドイツを舞台にナチズムによって富と権力を奪われていく、鉄鋼一族の悲劇を描きながら、歴史そのものまで語り尽くした集大成とも言える作品。
    監督自身“今の若い人々に戦争の恐ろしさを知って貰うために、この映画はもっと早く作られるべきであった”と語っている。
    ナチスが台頭し始めた1933年の冬、ルール地方に勢力を持つ鉄鋼王、エッセンベック家の集いの夜、当主が何者かの陰謀によって暗殺される。
    この事件を契機に起こる、一族の跡目相続の骨肉の争いと、それによって漁夫の利を得ようとする陰険なナチス親衛隊の存在を描き出す。
    『ベニスに死す』へ続くドイツ三部作(’72年の『ルードウィヒ/神々の黄昏』で完結)の最初に位置するこの作品で、ヴィスコンティは人間の愛憎と相剋をデカダンスの極致とも言える映像美で浮き彫りにする。