タグ: 悲しい

悲しい

  • 映画『若者のすべて』 美しいアラン・ドロンとヴィスコンティの出会い

    映画『若者のすべて』 美しいアラン・ドロンとヴィスコンティの出会い

    映画『若者のすべて』 ROCCO EI SUOI FRATELLI

    rocco-e-i-suoi-fratelli

    ルキノ・ヴィスコンティの生涯についてはこちらから

    ルキノ・ヴィスコンティ -作品と演出- はこちら

    2016年12月 4Kデジタル完全修復版 について

    今回日本で公開が実現したのは、マーティン・スコセッシ設立のザ・フィルム・ファンデーションとGUCCIの資金提供により、フィルムを4Kで修復して2015年に完成したもの。
    当時の撮影監督:ジュゼッペ・ロトゥンノの監修により当時の映像を再現。
    また1960年当時、検閲によりカットされた2つのシーンを追加されて2分間尺が延びている。

    改めてこの作品を見ると、ギリシャ神話のような骨太な物語になっている。
    実際、ヴィスコンティは新約聖書やトーマス・マンの「ヨゼフとその兄弟」、ドストエフスキーの「白痴」をイメージしていたと言うし、新約聖書の「カインとアベル」、ようは『エデンの東』の兄弟関係も見え隠れする。

    流石に今回の完全修復版は映像が、古い作品(特にイタリア映画だと保管状態が悪いケースが多い)だと縦線が入ったり、色味(今回はモノクロだが)が微妙に違ったりするが、全て修正されていて非常に美しい。
    改めて大画面の映画館で見る価値はある!

    -イタリア・ネオレアリズモの軌跡- 公式サイトはこちら

    『若者のすべて デジタル完全修復版』
    『郵便配達は二度ベルを鳴らす デジタル修復版』 2017年1月7日~
    『揺れる大地 デジタル修復版』 2017年1月21日~

    2016年12月24日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開

    アラン・ドロンとの出会いでリアリズムから耽美主義へ

    この作品を観ると、ヴィスコンティの二面性が見えてくる。
    一つはネオ・レアリズモの旗手としてのヴィスコンティと、もう一つは耽美主義的な作品を輩出したヴィスコンティ。
    『夏の嵐』以降に作品に見られる耽美主義的な側面と、それ以前の作品に見られたリアリズムが見事に融合している。

    イタリアの第二次世界大戦後の貧しい家族をリアリティに描くことの恐ろしさ。
    それを最も顕著に表現していたのは、ロッコ達5人兄弟の母親で有った。
    それは、お金に執着する姿...その度に背筋に冷たいものが走る。
    ヴィスコンティは、この母親を通してイタリアの戦後を描いてみせた。
    それはロッセリーニやデ・シーカの初期の作品に共通するものが有る。
    彼らの作品以上に、この作品(と言うかヴィスコンティ)が素晴らしいのは、リアリズムと同時に、そこに出てくる登場人物の描写が実に丹念で、その情念までも画面に映し出されてしまうことだ。

    rocco-e-i-suoi-fratelli

    と、同時にロッコ、シモーネとナディアとの三角関係を通して、愛の不毛を描いている。
    ロッコの聖人のような寛容な心とシモーネの世俗的な邪悪な心...それに翻弄される一人の女性ナディア。
    ヴィスコンティの後の作品『地獄に堕ちた勇者ども』と共通する、自由主義(個人主義)とロマン主義(全体主義)の対峙が既にそこに描かれている。

    この作品には、イタリアの貧しい生活を描いたリアリズムと同時に、人間に内在する2つの側面を兄弟を通して描いてみせる。
    人間の持つ欲望の恐ろしさを見事に描き、それが一つの家族を崩壊へと導く。
    第二次世界大戦直後という時代が、イタリアの人々、いや庶民の心を荒廃させた...本当の貧しさ、お金を持たないこと、それ以上に人を愛する心を失う事...いや、愛し方すら忘れた心、そんな思いを強く訴えかけてくる。

    rocco-e-i-suoi-fratelli

    愛の不毛と言えば、ミケランジェロ・アントニーニを思い出す。
    彼はヴィスコンティの下で映画を学んだ、この作品を観ていて、ふとそんなことを思い出した。
    また、この作品でのアラン・ドロンは、実に生き生きして清々しい魅力を振りまいていた。
    『太陽がいっぱい』と並ぶ、いやそれ以上の彼の名演技だと思う。

    rocco-e-i-suoi-fratelli

     

    映画『若者のすべて』のデータ

    若者のすべて Blu-ray — Amazonで見る

    ROCCO EI SUOI FRATELLI 177分 1960年 イタリア=フランス

    監督■ルキノ・ヴィスコンティ
    製作■ゴッフリード・ロンバルド
    原作■ジョヴァンニ・テストーリ『ギゾルファ橋』
    原案■ルキノ・ヴィスコンティ/ヴァスコ・プラトリーニ
    脚本■ルキノ・ヴィスコンティ/スーゾ・チェッキ・ダミーコ/パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ/マッシモ・フランチオーザ/エンリコ・メディオーリ
    撮影■ジュゼッペ・ロトゥンノ
    音楽■ニーノ・ロータ
    編集■マリオ・セランドレイ
    美術■マリオ・ガルブリア
    衣装■ピエロ・トージ
    助監督■リナルド・リッチ
    製作会社■ティタヌス/フィルム・マルソー
    備考■白黒
    日本初公開■1960年
    1960年12月27日日本公開時:140分
    1982年6月8日完全版日本公開時:177分
    2016年12月24日デジタル完全修復版日本公開時:179分
    出演■アラン・ドロン/アニー・ジラルド/レナート・サルヴァトーリ/クラウディア・カルディナーレ/カティーナ・パクシヌー/ロジェ・アンナ/パオロ・ストッパ/スピロス・フォーカス/マックス・カルティエール/ロッコ・ヴィドラッツィ/コラド・パーニ/アレッサンドラ・パナーロ/アドリアーナ・アスティ/シュジー・ドレール/クラウディア・モーリ

    ヴェネチア国際映画祭 1960年
    審査員特別賞授賞 ルキノ・ヴィスコンティ
    国際映画評論家連盟賞授賞 ルキノ・ヴィスコンティ

     巨匠ヴィスコンティが悠揚迫らぬタッチでつづる、兄弟愛の大ロマンである。
    南部で貧窮にあえいでいたパロンディ家は、先に北部の大都市ミラノに出稼ぎに来ていた長兄ヴィンチェを頼って、老いた母と兄弟4人でやって来る(冒頭、広大なミラノ駅をガラス張りの天井越しに眺める俯瞰ショットが小さな母子たちをパンして捉える。大作の予感が充ち満ちる)。長兄には同郷出身の婚約者ジネッタ(カルディナーレ)がいたが、田舎出の彼らに対する風当たりは厳しい。
    そして、次兄シモーネ(サルヴァトーリ)が主に登場する第二部へ。彼は三男のロッコ(ドロン)と共にプロ・ボクサーを目指しジムに入ったが、娼婦ナディア(ジラルド)に夢中になり、自らその可能性を潰して、悪の道に陥る。が、そのナディアはロッコを愛し始め、これに憤ったシモーネは仲間と共に、ロッコの目の前で彼女を犯す(まさに圧巻の場面!)。ロッコのお蔭で立ち直りかけていたナディアだが、輪姦に心深く傷つき、再び街娼へと逆戻りした。
    そして第三部ロッコ篇。ロッコもまたナディアを諦めた。クリーニング店で地道に働いていたのだが、それも辞め、一家の期待を一身にボクサー稼業へ舞い戻る。一方、シモーネの暮らしは荒れに荒れ、結局、ナディアを誘ったバカンス旅行(豪華な園遊会を開くホテルを前にたたずむ二人が妙に寒々しかったのが記憶に残る)で彼女を殺してしまう(夜、森の池のそばで。これも凄まじいシーン)。ロッコがボクサーに復帰して5年経っていた。いよいよチャンピオンとなった彼を祝っている時、憔悴しきったシモーネが家に帰ってくる。彼にとことん侮辱され、また愛した女を殺されたロッコではあったが、今は何も言わず、泣きながら兄を抱き締めるのだった・・・。

     このネオレアリズモの総集編のような壮大な叙事詩を放ってのち、ヴィスコンティは、より典雅で耽美的かつ様式的な貴族階級を描く独自の世界に没入していくことになる。

  • 映画『白夜』 ヴィスコンティが描くドストエフスキーの世界

    映画『白夜』 ヴィスコンティが描くドストエフスキーの世界

    映画『白夜』 LE NOTTI BLANCH

    le-notti-blanch

    ルキノ・ヴィスコンティの生涯についてはこちらから

    ルキノ・ヴィスコンティ -作品と演出- はこちら

    ラストの雪の中のシーンが残酷で美しい

    ヴィスコンティ作品の中で、これ程、特殊な作品だったとは...初めて観た時、驚きも感じた。
    ある種、ヴィスコンティのイタリア、ネオレアリズモとの決別とも言える。
    それは、この作品がセットで撮られた事、それによる、より舞台的な演出がなされていること。
    しかし、ネオレアリズモとはかけ離れたところに行ったとしても、それはリアリズムの否定にはなっていない。
    この作品は、舞台的、また箱庭的で有ることで、より俳優の個性が観客側に強い印象を与える。
    そう、この物語では、全ての背景が排除されている、シェル演じる女性が愛した、ジャン・マレー演じる下宿人が何処へ行ったのか、 どういう人物なのか、マストロヤンニはどこから来たのか?純粋に登場人物の感情の表現だけで話が進んでいく。

    主演のマストロヤンニは、この作品で初めてヴィスコンティ映画に出演する。
    既に舞台では一緒に仕事をしている二人だが...
    マストロヤンニはイタリア男らしく、ある種、軽薄で有りながら、それでいて愛情深い男を見事に演じきっている。
    マリア・シェルは、ヴィスコンティの他の作品の女性像から少し離れたところに有る。
    それは少し夢想的な少女の趣を持っている。
    私は彼女に魅了されてしまった。
    出演場面は少ないが威風堂々としたジャン・マレーと、夢見る少女的なシェルとは正反対の娼婦役を演じたクララ・カラマイも印象的 だ。

    le-notti-blanch

    マストロヤンニは幸せから不幸へ、マリア・シェルは不幸から幸福へ、このコントラストが限られた登場人物の中で色鮮やかに映し出される、映像は白黒なのに。
    私の好きなシーンに、マストロヤンニとシェルの最後の夜に酒場で踊るところ。
    二人が一時的に幸せに盛り上がる。
    心が揺れて、一瞬、二人の心が交差する、そうダンスを踊る二人の肉体のように。
    しかし、このシーンは実は二人の幸福と不幸が見事に入れ替わる象徴的なシーンであった。
    そして時間を知り、走り出すシェル...
    映像の持つ美しさと怖さが見事に表現されている、例えそれが演劇的な様式美であったとしても。

    le-notti-blanch

    暗く沈み込むようなストーリーを、美しく映像化し、そこに有るのは、人を愛する人間(マストロヤンニとシェル)へのヴィスコンティの深い愛情の現れだった。
    ラストの雪の中でのシーンは残酷で美しい...それこそが、ヴィスコンティの描くドストエフスキーの世界なのかもしれない。

     

    映画『白夜』のデータ

    白夜 DVD — Amazonで見る

    LE NOTTI BLANCH/QUATER NUITS D’UN REVEUR 107分 1957年 イタリア

    監督■ルキノ・ヴィスコンティ
    製作■フランコ・クリスタルディ
    原作■フョードル・ドストエフスキー
    脚本■ルキノ・ヴィスコンティ/スーゾ・チェッキ・ダミーコ
    撮影■ジュゼッペ・ロトゥンノ
    音楽■ニーノ・ロータ
    編集■マリオ・セランドレイ
    美術■マリオ・キアーリ/マリオ・ガルブリア
    衣装■ピエロ・トージ
    助監督■リナルド・リッチ
    製作会社■CIASヴィデス/アンテルモンディア
    備考■白黒
    日本公開■1958年
    出演■マルチェロ・マストロヤンニ/マリア・シェル/ジャン・マレエ/クララ・カラマイ/マルチェラ・ロヴェーナ/ディック・サンダース/マリア・ザノッリ/フェルディナンド・グエルラ/レオニルデ・モンテージ/アンナ・フィリッピーニ/ロマーノ・バルビエーリ

    ヴェネチア国際映画祭 1957年
    サン・マルコ銀獅子賞授賞 ルキノ・ヴィスコンティ

    【解説】
     貴族の側に立つにしろ、プロレタリアートの代弁者になるにせよ、ヴィスコンティの視線は常に冷ややかに透徹していたが、この悲恋物語は雪に閉ざされ残酷な結末が用意されているにも関わらず、ほのぼのと暖かい印象で胸に残るのは、即ち、主人公の青年(マストロヤンニ)に対し注ぐ彼の温かな眼差しゆえに他ならない。港町で青年マリオは橋上でたそがれる一人の娘ナタリア(シェル)を見初める。一年前に再会を約束した恋人を毎晩そこで待ちわびているのだ、と言う彼女、ナタリアをなんとか踊りに誘い出すマリオ。R&Rに合わせ愉快に踊って笑わせた後、曲は主題歌“スクーザミ”に替ってチーク・タイム。喜びに輝く青年の表情を見るうち、娘の心も彼に傾きかけたが、肩に回した彼の腕時計が無常に時を刻むのをふと目にし、その秒針の音にせき立てられるように橋上へ再び駆け出してゆく。しかし、待ち人はいない。降り始めた雪の中、追いかけてきたマリオと静かに語らうと心は休まった。そして夜は明けるが……。すべてが、セットという箱庭に咲かせた愛の白い花のごとき印象。ロトゥンノのカメラはこの人工美に確かな命を吹き込んでいる。(映画データベース – allcinema より)

  • 映画『夏の嵐』 ヴィスコンティの耽美趣味が見え始める

    映画『夏の嵐』 ヴィスコンティの耽美趣味が見え始める

    映画『夏の嵐』 SENSO


    senso

    ルキノ・ヴィスコンティの生涯についてはこちらから

    ルキノ・ヴィスコンティ -作品と演出- はこちら

    ヴィスコンティの見事なまでなメロドラマ

    1999年に渋谷BUNKAMURAル・シネマで観ることが出来た、この時はフランス語版。
    観終わって、なんて幸せなんだろう!と思わずにはいられなかった。
    物語は決して幸福な話ではない、むしろ悲劇的な最後に終わる。
    それでも、心の中はある種の幸せで満たされてしまう作品なのだ。

    この作品に対して、ヴィスコンティは2つのテーマを持って取り組んだらしい。
    一つはイタリアの解放戦争を舞台にした政治的なドラマ。
    もう一つは、男女の情愛を描いたメロドラマ。
    ヴィスコンティの意志は、もっと政治的なドラマに作りたかったらしいが、ラスト・シーンを含め、検閲等の問題で思い通りには撮れなかったらしい。
    その点を踏まえても、この作品は素晴らしいの一言に尽きる。

    映画が始まって、延々とオペラのシーンが映し出されるが、そのオペラ自体も素晴らしいのだが、それを背景としてドラマを進めていく凄さ。
    オペラはイタリアのある種、文化の象徴であり、その劇場で独立派がビラを巻くシーン、それはイタリア独立の雄叫びのようでもある、と併行にアリダ・ヴァリ演じる伯爵夫人リヴィアの立場と、そしてファーリー・グレンジャー演じるオーストラリア将校マーラー中尉との出会いが描かれる。
    やはり、ヴィスコンティの作品は、人物なのである。
    オペラやその劇場のセット、後のイタリアの田園風景、ヴェネチアの街並み、それらが素晴らしいにも関わらず、全てを背景に収め、人間ドラマとしての物語を描く上手さはヴィスコンティならではで有る。

    senso

    次第に、ヴァリとグレンジャーの不倫の愛が燃え上がる。
    ヴァリは無垢な愛を感じさせ、グレンジャーの愛には、どこか打算を感じさせる。
    しかし、ヴァリにしてもグレンジャーにしても、無垢なようで激しく、打算的なようで溺れていく、そんな愛の両面を描いていく。
    そう、愛とは不倫であろうがなかろうが、決して単純なものではないのだ。
    ヴァリ演じる伯爵夫人リヴィアは、イタリア解放への理想が愛の前で崩れ去り、自ら持つ誇りを失っていく。
    まるでイタリアが不遇の時代から、独立へと希望に満ちあふれていくのとは正反対のように。

    グレンジャー演じるマーラー中尉も、イタリアを支配する側のオーストリアのエリート将校でありながら、愛に溺れ、また打算に溺れ、彼もまた自分の誇りを失っていく。
    愛のためには全てを犠牲にした二人、その事によって二人は破滅へと向かっていく。

    ラストのグレンジャーがヴァリを罵倒するシーンの醜さ、自分の愛を見失い、全てを失い怒り狂って愛人(グレンジャー)を死に追いやるヴァリの恐ろしさ、愛の深さと繊細さが伝わってくる。
    ヴァリは無垢な女性から、徐々に情念的な女性へと、そして最後は恐ろしい女に変貌していく様を見事なまでに演じきる。
    この演技は、ヴァリの一世一代の演技と思わせる。
    グレンジャーの優男ぶりと繊細さも光る。

    ヴィスコンティは、この見事なまでのメロドラマ、人間のドラマを、奥行きのある深い映像と音楽で包みながら、あくまで人を魅せる事に集中している。
    人間、愛の脆さ、危うさを描きながらも、それを観る私の心は満たされていく...

    senso

     

    映画『夏の嵐』のデータ

    夏の嵐 DVD — Amazonで見る

    SENSO/LIVIA WANTON CONTESSA 126分 1954年 イタリア

    監督■ルキノ・ヴィスコンティ
    製作■ドメニコ・フォルジェス・ダヴァンツァーティ
    原作■カミッロ・ボイト 『官能』
    脚本■スーゾ・チェッキ・ダミーコ/ルキノ・ヴィスコンティ
    脚本協力■カルロ・アリアネッロ/ジョルジョ・バッサーニ/ジョルジョ・プロスペーリ
    英語台詞■テネシー・ウィリアムズ/ポール・ボウルズ
    撮影■G・R・アルド/ロバート・クラスカー
    音楽■アントン・ブルックナー 『交響曲七番』/ジュゼッペ・ヴェルディ 『イル・トロヴァトーレ』
    音楽指揮■フランコ・フェルラーラ
    音楽演奏■RAI・TVオーケストラ
    編集■マリオ・セランドレイ
    美術■オッタヴィオ・スコッティ/ジーノ・ブロージョ
    衣装■マルチェル・エスコフィエール/ピエロ・トージ
    助監督■フランチェスコ・ロージ/フランコ・ゼッフィレッリ
    製作会社■ルックス・フィルム
    備考■テクニカラー
    日本公開■1955年
    出演■アリダ・ヴァリ/ファーリー・グレンジャー/マッシモ・ジロッティ/ハインツ・ムーク/リナ・モレッリ/クリスチャン・マルカン/マルチェッラ・マリアーニ/トーニオ・セルヴァルト/セルジョ・ファントーニ

    【解説】
     だって原題が「官能」(19世紀末のカミッロ・ボイトの短編小説が原作)だもの、もう、その通り。オペラ座の舞台から始まる、この絢爛たる恋の絵巻は、後期のヴィスコンティの耽美趣味が既に顔をだしながらも、やはりネオ・レオリズモで鍛えた直截な描写力が活きていて、全くヴァイタルなメロドラマになっている。
     1866年、オーストリア軍占領下のヴェネツィアで観劇中の軍の将校と抗戦運動の指導者の侯爵との間に決闘騒ぎが起り、それを諌めに入った伯爵夫人は、従弟である侯爵を流刑にされながらも、その美貌の将校に狂おしく恋をする。再び戦争が勃発し、密入国した侯爵は従姉のもとを訪ね軍資金の保管を依頼するが、夫人はその金を、将校に軍籍離脱の賄賂のためにと渡してしまう。祖国は敗れ、ヴェロナにいる彼の元に馬車を急がせた夫人の見たものは……。
     薄汚れた姿で恋人を探して兵舎を訪ね回る夫人=A・ヴァリの激情は、トリュフォーの「アデルの恋の物語」のI・アジャーニの比ではない。G・R・アルドと彼の死で途中交代したR・クラスカーのキャメラのゴージャスさ、全篇に響き渡るブルックナーの第七番。これぞイタリア映画というボリュームで観る者を圧倒する、ヴィスコンティの最高傑作。(映画データベース – allcinema より)

     

  • 映画『ベリッシマ』 戦後のイタリアの庶民を描いた初期の作品

    映画『ベリッシマ』 戦後のイタリアの庶民を描いた初期の作品

    映画『ベリッシマ』 BELLISSIMA

    BELLISSIMA

    ルキノ・ヴィスコンティの生涯についてはこちらから

    ルキノ・ヴィスコンティ -作品と演出- はこちら

    ヴィスコンティが描くイタリアの庶民

    ヴィスコンティの長編3作品目、デビューから実に9年目の作品でもある(それだけ寡作と言うこと)。
    ヴィスコンティ作品の中での位置付けは、もっともイタリア映画らしい作品と言うこと。
    1951年当時の現代劇である。
    しかも、しっかりロケを中心として作られているので、そこにあるのはイタリアの風情である。
    ヴィスコンティはこの作品で、今後の自分の進む道と共に、イタリア映画の進むべき道を提示している作品とも言える。
    それは映画は俳優で有ること、物語を語る上でそのキャラクターの個性と俳優の個性が一致する事、それを配役と演技から引き出すことによって一致させることが、重要で有ることを証明して見せた。
    この頃、イタリアのネオ・リアリズムの方向が、素人を俳優として起用する事が一つの約束事で有り特徴でも有ったが、それがいつの間にか映画の表現として行き詰まりを見せた事へのヴィスコンティなりの回答のようにも見える。

    この作品の完成には、ヴィスコンティと2人の人間の出会いが有った。
    一人は、脚本家のスーゾ・チェッキ・ダミーコ。
    彼女は、その後のヴィスコンティの主要な作品(『ベリッシマ』以後、『華やかな魔女たち』、『地獄に堕ちた勇者ども』、『ベニスに死す』以外の全作品に参加する)の脚本を担当しており、イタリア映画最高の脚本家の一人とされた。
    そしてもう一人は、主演を演じたアンナ・マニャーニである。
    彼女はヴィスコンティのデビュー作『郵便配達は二度ベルを鳴らす』で、ヴィスコンティが主演にしようとしていたが、妊娠中のため 諦めたという経緯が有る。
    ヴィスコンティは、ダミーコの脚本を手に、マニャーニからこの母親像を見事に引き出している。

    BELLISSIMA

    物語は自体は、あるイタリア映画の子役のオーディションに夢を抱く母親と娘、そして家族と映画に群がる人々を描いている。
    先にも書いたが、子役(素人)を使うことをストーリーの中で皮肉っている一面も有る。
    また、同時に、映画が持つお金(資金)に群がり、人を騙す人々も描いている、映画の内幕ものである。

    イタリア映画 3大巨匠名作集 DVD10枚組 BCP-061 — Amazonで見る
    ヴィスコンティの映画『郵便配達は二度ベルを鳴らす』『ベリッシマ』も含むイタリア映画10作品

    しかしやはり、この映画のテーマは、アンナ・マニャーニの母親像で有り、イタリアの人々の気質なのである。
    ここでイタリアの母親像を、ある意味素直で騙されやすく傷つきやすい女性、それでいながら母親としての強さ、家族への愛情を持った女性として見事に描ききっている。
    ヴィスコンティの作品には一貫して、主人公に偏りすぎず寄りすぎず、主人公に対しても冷徹な視線を投げかけている。
    それでいながら、主人公が映画の中心に浮かび上がってくるのだから、ヴィスコンティの演出に、今更ながら感心してしまう。

    イタリアの庶民の生活がリアルに描かれている。
    しかし、それでいてフェリーニやデ・シーカ、ロッセリーニとは“色”が明らかに違う。
    ヴィスコンティ自身は、どちらかというと庶民派とは違うが、デビュー作『郵便配達は二度ヘルを鳴らす』、長編第二作『揺れる大地』とこの 作品、リアルにそして不要なものを削ぎ取っていくことで、明らかにイタリア庶民を描ききっているのである。

    アンナ・マニャーニの演技を観るだけでも、この作品を観る価値は有る、そしてイタリアの香りを感じる事が出来る作品である。

    bellissima

     

    映画『ベリッシマ』のデータ

    ベリッシマ DVD — Amazonで見る

    BELLISSIMA 116分 1951年 イタリア

    監督■ルキノ・ヴィスコンティ
    製作■サルヴォ・ダンジェロ
    原案■チェーザレ・ザヴァッティーニ
    脚本■スーゾ・チェッキ・ダミーコ/フランチェスコ・ロージ/ルキノ・ヴィスコンティ
    撮影■ピエロ・ポルタルーピ/ポール・ロナルド
    音楽■フランコ・マンニーノ(ガエターノ・ドニゼッティの『愛の妙薬』による)
    指揮■フランコ・フェルラーラ
    演奏■オペラ座交響曲管弦楽団/RAI・TV合唱隊・管弦楽団
    美術■ジャンニ・ポリドーリ
    衣装■ピエロ・トージ
    編集■マリオ・セランドレイ
    助監督■フランチェスコ・ロージ/フランコ・ゼッフィレッリ
    製作会社■ベリッシマ・フィルム
    備考■白黒
    日本公開■1981年
    出演■アンナ・マニャーニ/ヴァルテル・キアーリ/ティーナ・アピチェッラ/ガストーネ・レンツェッリ/テクラ・スカラーノ/ローラ・ブラッチーニ/アルトゥーロ・ブラガリア/リンダ・シーニ/アレッサンドロ・ブラゼッティ/マリオ・キアーリ

    【解説】
     娘をベリッシマ(美少女)コンテストに入賞させ、映画スターに育てようと躍起になるマニャーニのステージママぶりが凄まじくも涙ぐましい、初期のヴィスコンティの人情喜劇。ネオレアリスモの精神に則って、力強く戦後まだないローマの庶民生活を描いて、実にみずみずしい作品でもあった。フランコ・ゼフィレッリとフランチェスコ・ロージ(共同脚本も)が助監督についている。(映画データベース – allcinema より)

  • 映画『揺れる大地 (海の挿話)』 ネオレアリズモの代表作

    映画『揺れる大地 (海の挿話)』 ネオレアリズモの代表作

    映画『揺れる大地 (海の挿話)』LA TERRA TREMA (EPISODIO DEL MARE)

    la_terra_trema

    ルキノ・ヴィスコンティの生涯についてはこちらから

    ルキノ・ヴィスコンティ -作品と演出- はこちら

    2017年1月上映 デジタル2Kリマスター版について

    今回上映されたものは、2016年3月に修復が完成したリマスター版、尺に関しては今回は160分となっている。
    過去の今作品においては165分の記載があったり、紀伊國屋書店から出ているDVDでは158分となっているので、イタリアの古い映画に関しては多数のバージョンが存在すると思ったほうが良い。

    DVDと比較してみてもかなり綺麗にリマスター化されている、紀伊國屋書店のDVDに関しても元のフィルムに良いものを使用しているが、DVDにあった白い点がなくなっているのと、画面の端の歪みが消えていた。

    『無防備都市』『戦火のかなた』『自転車泥棒』などに並ぶ、ネオレアリズモの傑作、27年ぶり(?)の正式上映なので、この機会に映画館で是非見てもらいたい作品。

    -イタリア・ネオレアリズモの軌跡- 公式サイトはこちら

    『若者のすべて デジタル完全修復版』
    『郵便配達は二度ベルを鳴らす デジタル修復版』 2017年1月7日~
    『揺れる大地 デジタル修復版』 2017年1月21日~

    2016年12月24日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開

    ヴィスコンティ初期のネオレアリズモの傑作

    第二次世界大戦後イタリアの苦難の状態を、貴族出身のヴィスコンティが映像化したことに興味が有る。
    また、この作品では、プロの俳優を一切使わずにロケ地アチ・トレッツァの人々を起用している点も大きな意味が有る。
    ヴィスコンティがこの作品を撮影した時は既に40歳代に入っている。
    デビュー作『郵便配達は二度ベルを鳴らす』に続く長編第2作目。

    この作品を観ていると、白黒映像にも関わらず、海の碧さが感じられ、しかもそれが非常に塩の香りと魚臭さが感じられる。
    後のヴィスコンティ作品に観られるような華麗な映像や流麗な音楽は存在しない。
    ここにあるのは、リアルな映像と冷たいまでのナレーションだけと言っても過言ではない。
    話は至極単純なもので、仲買人に搾取される漁師達の一人が自立して事業を起こすが、それも挫折していく姿を描いている。
    しかし、この映画に映し出されるのは漁師達の本当の貧しさ、それは私が想像するより遙かに苦しいもの。
    そこに住む人々は、その事自体に何の疑問を持たず、慣習を重んじ、それを破る者を除け者にしようとする。
    ここに浮き彫りにされているのは、労働者<プロレタリア>と搾取者<ブルジョア>の関係である。
    搾取する人々は、自分達が居てはじめて、労働をするための秩序が存在していると心から信じている。
    労働者は、そう言った彼らと共存することによってのみ存在し得ると考えている。
    一人の理想に燃える若者アントニオも、結局、一人(一家族)の力では何もできない...無力であることを知るのみだっ た。
    冷徹なまでのナレーションがラストに語る...何が足りなかったか?それは“団結”だと。
    一人の無力さに涙を流すこの若者、本当の貧しさや、疎外感が彼に涙を流させる。
    そして、屈辱のうちに、また、元の虐げられる労働者に戻っていく。

    la_terra_trema

    実際の漁師を俳優に起用することで、その背景となるものまでが、全てリアルに目の前に提示される。
    日々の暮らしの苦しさ、そして裕福になった事への妬み、そして家を失い、家族が崩壊していく中で誇りも捨てて最低の暮らしの中に戻っていく姿。
    この深い悲しみを正面から冷徹に捉えることで、観る者に悲しみをかき立てる。
    そして、それが次への反動となる。
    これだけ人々の心情を映し出しながら突き放したところがある、この映像の凄さ!それだけに、悲しいのである。

    ヴィスコンティは、第二次世界大戦を通してファシズムに共産党の立場として対峙した。
    また、この作品の資金を提供したのも共産党であった。
    ヴィスコンティは、この頃は未だ共産主義の理念に燃えていた時期と思える節がある。
    そして裕福なイタリアの北部(ヴィスコンティの出身も北部ミラノ)に対して、南部は貧しい事も有る。
    彼は自分の貴族出身という立場を脱却しようと、この作品の中で、真の貧しさとその苦しみとその原因を描いてみせた。
    そして、貧しさを脱却するには、人々の“団結”が必要であると訴えかける。

    la_terra_trema

    この作品は、彼のこれまでの半生の集大成かもしれない。
    いや彼の半生がもたらした、次へのステップへの理想への道程と言うべきかもしれない。
    ヴィスコンティ自身も、この作品の後、共産主義の理念が、スターリン主義と共に地に堕ちる事によって挫折を味わう。
    そこには人間社会の中にうごめく伝統や習慣、慣習と言うものが欲望に支えられ、理想というものの前に立ちはだかる。
    彼の作品は、この作品の後、急激に人間の欲望が生み出す破滅と言うものを描き始める...。
    イタリアのネオレアリズモの枠を超えて、真実を描きながらプロパカンダとしてのメッセージ性を持った作品でも有る。

     

    映画『揺れる大地 (海の挿話)』のデータ

    揺れる大地 海の挿話 DVD — Amazonで見る

    LA TERRA TREMA (EPISODIO DEL MARE) 165分 1948年 イタリア

    監督■ルキノ・ヴィスコンティ
    助監督■フランチェスコ・ロージ/フランコ・ゼフィレッリ
    製作■サンヴォ・ダンジェロ
    原案■ルキノ・ヴィスコンティ(ジョヴァンニ・ヴェルガの『マラヴォリア家の人々』による)
    脚本■ルキノ・ヴィスコンティ
    ナレーター■アントニオ・ピエトランジェリ
    ナレーション台本■マリオ・ピーズ
    撮影■G・R・アルド
    音楽選曲■ルキノ・ヴィスコンティ/ウィリ・フェルレーロ
    編集■マリオ・セランドレイ
    製作会社■ウニヴェルサリア
    備考■白黒
    日本公開■日本未公開
    1990年1月19日
    2017年1月21日日本公開時:160分

    出演■アントニオ・アルチディアコノ/ジュゼッペ・アルチディアコノ/アントニーノ・ミカーレ ※アチ・トレッツアの漁師と住民が演じた。

    ヴェネチア国際映画祭 1948年
    国際賞 ルキノ・ヴィスコンティ

    【解説】
     ヴィスコンティ版「怒りの葡萄」。ネオ・レアリズモ仕様・漁師篇。なんて書くとやたら軽薄な感じだが、事実その通りの内容で、ここで若き巨匠は、ヴィットリオ・デ・シーカ監督に倣ってプロの俳優を一切使わず、シチリア島アーチ=トレッツアの漁師を起用し、作品の現実味を増させることに成功している。網元の搾取に苦しむ漁師たちに組合結成を呼びかける青年アントニオは、網元と結託する警察に捕まる。釈放後、非協力的な村民をしり目に独力で漁に出、これを事業として軌道に乗せるが、ある日、大時化に襲われ、全てを失う。素朴な島の民俗が盛り込まれ、権力と自然に拮坑する労働者の有り様と、一人の若者の闘いと挫折を、力強く描く、ヴィスコンティ初期の意義深い名作。(映画データベース – allcinema より)

     元々、監督のヴィスコンティは、漁民たちの状態、農地問題、鉱山の失業というシチリア経済の三つの問題を三部作として描こうとした、この作品はその『海の挿話』の部分。
    残念ながら、残りの2話は資金源でも有った共産党から資金が調達できず、製作することが出来なかった。

  • 映画『あん』 「死ぬときぐらい好きにさせてよ」人生の重荷を下ろす映画

    映画『あん』 「死ぬときぐらい好きにさせてよ」人生の重荷を下ろす映画

    映画『あん』

    113分 日本/フランス/ドイツ 2015

    映画『あん』

    やり残したことは、ありませんか?

    2016年正月早々の新聞広告一面に衝撃的な広告が掲載されました

    2012年の第36回日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞に輝いた女優の樹木希林さんが、全身を癌に侵されていると公表し話題になりました。

    その樹木希林さんが「生きるのも日常、死んでいくのも日常」とコメントしています。

    宝島社 企業広告 2016

    宝島社2016年30段広告

    相変わらず元気にご活躍中の樹木希林さん。
    昨年(2015年)公開の『あん』でも素晴らしい演技をされてました。

    一方でジャーナリストの竹田圭吾さんが51歳と言う若さで亡くなりました。

    竹田圭吾
    「Mr.サンデー」でも癌を告白されていて、髪の毛は抜けてないのでカツラと言う話もされていました。
    このところ、明らかに痩せてきていたので...と考えると人はいつ死ぬか、何歳で死ぬか判らないものです。
    それでも、死の間際までテレビに出続けていたのは、ジャーナリストとしての本懐だったのでは、と。
    上記の樹木希林さんのコメントが心に刻まれます。

    はじめて河瀨直美監督の作品で好きになりました

    河瀬直美監督作品『あん』です。
    どら焼きの「あん」のことです。

    街の小さなどら焼き屋さんの雇われ店長(永瀬正敏)のところに、ある日、一人の老女(樹木希林)が求人募集を見て働かせて欲しいと言ってくる。

    『あん』ロケ地

    その高齢のため、一度は断る店長だったが、老女が残していった粒あんが絶品だったので老女を雇うことにする、と・・・
    (写真は、どら焼き屋のセットが有ったロケ地です、ちょっと見に行ってきました)

    河瀬直美監督作品は『殯(もがり)の森』以来、見ているのですが、睡魔との格闘が有ったりと苦手な監督になりつつ有りました、前作の『2つ目の窓』も今ひとつピンとこないところが有って。

    そんな中、今作品、感動的でした!
    樹木希林さんの演技が圧巻でした!!もうこれを観るためだけに映画を観て欲しいくらいです。

    人はそれぞれに人生に重荷を背負うことが有ります、どら焼き屋の店長も重荷を背負ってこの場所でなんとなくどら焼きを焼いています。
    樹木希林さん演じる老女は、更に重たいものを背負っているのに、どこか明るく前向き、時折、陰が見え隠れするのですが・・・その演技が凄い、河瀬直美監督は長回しで俳優の演技を引き出しますが、樹木希林さんの独特の間も生きています。

    作品を見終わった時に、その重荷を一つ降ろした開放感がまた大きな感動を与えてくれました。

    国立療養所多磨全生園

    映画の中盤で樹木希林さん演じる老女はハンセン病患者だと言うことが判る。
    不当な差別を受け、何十年も隔離されて世間から切り離されている。

    そんな彼女がやっと世間との接点を持ち、それに心から喜ぶ姿を、光と影で表現している。
    でも、この作品で涙する人々は、本当に差別を憎んでいるのだろうか?と。
    ハンセン病はつい最近まで差別の対象だった、たまたま私がこの作品の舞台の近くに住んでいることで、ハンセン病の多少なりの知識が有ったから、途中でハンセン病の話が出た時、絶句してしまった。
    (写真は、国立療養所多磨全生園です、近くなのでこちらも行って来ました)

    作品の良さを味わってもらうこと共に、この作品の持つテーマ、差別と言うことも今一度考える機会になればと・・・
    もしかしたら、私だって作中の浅田美代子さん側の人間かもしれないのだから、と。

    私的『あん』

    テーマが有るか?共感できるか?

    主人公の二人、樹木希林さん演じる老女と永瀬正敏さん演じるどら焼き屋の店長が、重い荷物を持って人生を生きています、そう誰もが軽重は有るのかもしれませんが、荷物を背負って生きています。
    それが不当な差別としたら、それでも強く生きることを教えてくれる作品に感動しました。

    作り手の強い意思を感じるか?

    常にテーマ性の高い作品を送り出す河瀬直美監督が、それまでの抽象的な生命の神秘・不思議を描いていたのとは一変して、ストレートに「人生」を描いたことに驚き、感心させられました。

    俳優の意思や演技力が伝わるか?

    感想にも書きましたが、樹木希林さんの演技が凄かった・・・それって演技ですか?と。
    最近、特に演技面の充実が見られる永瀬正敏さんも良かったです、樹木希林さんと見事な対を成していました。

    映画らしい楽しさが備わっているか?

    低予算のしかもこの手のテーマの物語なので、大作のような大画面で楽しむ、と言うだけの作品では有りません。
    でも実際に、この手の差別を取り扱った作品をテレビで放送することが難しいのが現実です。
    だからこそ、映画でやる価値がある作品と言えます。

    あん

    エンターテインメント性

    樹木希林さんの演技を見る、と言うのもエンターテインメントではないでしょうか?
    派手さは有りません、低予算で良い映画を作ると言った見本のような作品です。

    演出が素晴らしいか?

    河瀬直美監督は独特の映像感覚を持っています、毎回、それは楽しみにしています。
    そして長回しが好きな監督さんでも有りますが、今回は、樹木希林さんをはじめとする俳優さんたちの演技が素晴らしいので、非常にマッチしている感じです。

    脚本が素晴らしいか?

    予告で既に「らい」と言う言葉が出ているのですが、私が知らなかったので、流石に物語の展開に驚かされました。
    前半と後半の陰影のある展開が素晴らしかった、河瀬直美監督の作品を今回評価したのは、脚本の素晴らしさに有ったのかもしれません。

    何度も見たくなるか?

    重いテーマの話なので、何度でも見たい!と言うよりも、人生の節目で観たくなる作品だと思っています。

    映画『あん』のデータ

    あん

    監督■河瀬直美
    プロデューサー■福嶋更一郎/澤田正道/大山義人
    原作■ドリアン助川 『あん』(ポプラ社刊)
    脚本■河瀬直美
    撮影■穐山茂樹
    美術■部谷京子
    編集■ティナ・バス
    主題歌■秦基博 『水彩の月』
    照明■太田康裕
    録音■森英司
    助監督■近藤有希
    出演■樹木希林/永瀬正敏/内田伽羅 /市原悦子/水野美紀/太賀/兼松若人/浅田美代子

    映画『あん』 [ 樹木希林 ]

    映画『あん』公式サイト

    【解説】
     ドリアン助川の同名小説を「殯(もがり)の森」「2つ目の窓」の河瀬直美監督が映画化した人生ドラマ。
    小さなどら焼き屋の雇われ店長と、粒あん作りの腕を買われて働くことになった老婦人の心の交流と、次第に明らかとなる老婦人が辿った過酷な人生を優しく見つめる。
    主演は「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」の樹木希林と「隠し剣 鬼の爪」の永瀬正敏。
    また、樹木希林とその実孫・内田伽羅との初共演も話題に。
     町の小さなどら焼き屋“どら春”で雇われ店長をしているワケありの中年男、千太郎。単調な毎日を送る彼の前に、ある日、求人募集の張り紙を見て働かせてほしいと申し出る老女、徳江が現われる。
    彼女の粒あんが絶品だったことから雇ってみたところ、たちまち評判となり、店はみるみる繁盛していくが…。(映画データベース –allcinema より)
     

  • 映画『風に立つライオン』 自分をはげましたい時に見たい映画

    映画『風に立つライオン』 自分をはげましたい時に見たい映画

     映画『風に立つライオン』

    139分 日本 2015年

    風に立つライオン

    遥か遠いケニアの大地――
    愛する人たちへ捧ぐ「命の讃歌」

    自分をはげますことで出来ること

    「頑張れって言うのは人に言う言葉じゃないよ、あれは自分に向かって言ってるんだ」

    大沢たかおさん演じる主人公が、アフリカの大地の地平線に向かって「ガンバレ~」と叫びます。
    それを見ていた女性(看護婦)に主人公が言ったセリフです。

    さだまさしさんが1987年に発表した同曲をモチーフに、俳優・大沢たかおさんがさださんに熱望して小説化、そして映画化された作品。
    監督は三池崇史、共演に石原さとみ、真木よう子。

    「風に立つライオン」オリジナル・サウンドトラック — Amazonで見る

    1987年にアフリカ・ケニアのに渡った一人の青年医師が見た想像を絶するような過酷な現実、それにどう向かっていったかを描いています。

    実はこの作品には非常に興味が有りました、それは最貧国の子供達を描いているからです。
    それを稀代のエンターティナー・三池崇史監督が描いたことで、不安も有り、そして期待もして見ました。
    この作品、2時間30分近い長さの作品なのですが、個人的にはちょっと長過ぎる。
    おそらく、色々と詰め込み過ぎてるんだと思います、確かに僕が物語を考えたとしても、日本とケニアを対比して描きたい、と言う気持ちになります。
    ただ、映画にする時は日本のパートはバッサリ切っても良かったのではないでしょうか?(日本のパートも出来は良いし、地方医療の大切さを描いているのですが)

    風に立つライオン

    更に言うと、本筋のケニア・ロケ、やっぱり日本映画が海外ロケをすると、言葉に表現しづらい違和感を感じるのです。
    言葉の問題で現地の俳優さんを上手く演技指導出来ないとか、ハードルは高いのかもしれません。
    結果、どうしても主人公演じる大沢たかおに頼った演出にならざる得ない。

    その一方で、この難しい題材を映画化したことに、キャスト・スタッフに敬意を払いたい。
    特に三池崇史監督は、どちらかと言うと職人監督さんで『グローズZERO』や『悪の教典』等のなんでも撮れてしまう監督が、敢えて社会的なテーマに切り込んだ作品でした。
    そして地球の反対側で生命の大切さを痛感して生き抜いた日本人を描いた、このテーマを映画にした、これ程素晴らしい事はないと思う。

    主人公が、この過酷な現実の中に見つけたのは、子供と言う希望だろう、その希望のために志を抱いて行動をした。
    それを伝えられる手段としての映画の素晴らしさを感じるのです。
    志を貫いた日本人の姿を感動的に描き切った作品、最後は涙があふれてくる「ガンバレ~!ガンバレ~!」っと。

    そして改めて子供に必要なものは「愛情」と「教育」であることを教えてくれる。

    四半世紀前からこの現状は、今も変わらないと言う事を、今の日本の若者にも知って欲しい、そして是非、観て欲しい作品。
    そして、自分へのエール「ガンバレ~!」

    さだまさしさんの歌とこの小説には、元々、モデルになった医師がいます。
    柴田紘一郎先生という人です、JICAの専門家になります。

    下の映像はJICAとは関係有りませんが、映画の背景に何が有るかを感じ取ってもらえると思います。
    「何もかもは」はできなくても「何か」はきっとできる。
    「何か」をする自分も励ましたいと思う。
    少し長い映像ですが、これが世界の現実です。

    私的『風に立つライオン』

    ① テーマが有るか?共感できるか?

    この世の中にまだ最貧国があり、日本は先進国であると言う事実、その中で何ができるのか?ということを考えるのは大切なことではないでしょうか?
    それを気付かせてくれます。
    日本の地域医療と言うテーマが対比するものなのか?と言う点で少し疑問点は残る。

    ② 作り手の強い意思を感じるか?

    さだまさしさんの歌を聞いて映画にしたい、映像にしたいと言う想いをもった俳優の大沢たかおさん。
    そしてそれを演出した三池崇史監督、それぞれの想いが詰まった作品に感じます。

    ③ 俳優の意思や演技力が伝わるか?

    大沢たかおさんや日本人の俳優さんたちは素晴らしい。
    やはり残念なのは、日本の映画が海外に行くと、海外の俳優(現地の人たち)の演技に違和感を感じてしまう。

    ④ 映画らしい楽しさが備わっているか?

    日本映画には珍しいスケールの大きな作品、アフリカの大地が美しい。
    ただ現実は厳しいということ、映画館で見ることで迫力を感じることもできる作品になっている。

    ⑤ エンターテイメント性

    最貧国で扱われる子供たちと、日本地域医療と言う2つのテーマを追ったことによって、エンターテイメントと言う点では、ちょっとブレた感じが有り、どうしても日本のパートが重く感じられてしまったのが残念。

    ⑥ 演出が素晴らしいか?

    海外作品の壁を感じてしまう。
    果たして、これは乗り越えられる壁なのか、ちょっと思いつかない
    けれども。
    スタッフの素晴らしい仕事は感じられるだけに惜しい。

    ⑦ 脚本が素晴らしいか?

    日本のパートの扱いが難しい、離れ離れになる主人公とその恋人の関係や、主人公がアフリカで出会う看護婦との関係など、詰め込み過ぎの部分が感じられる。

    ⑧何度も見たくなるか?

    これは作品の出来と言う話になってしまうが、きっとアフリカのパートだけで上手くまとめることが出来れば、一つのテーマで作られた映画となったと思う。

    映画『風に立つライオン』のデータ

    風に立つライオン (Blu-ray) 2枚組(本編1枚+特典ディスクDVD1枚) — Amazonで見る

    監督■三池崇史
    企画■大沢たかお
    エグゼクティブプロデューサー■門屋大輔
    プロデューサー■藤村直人/坂美佐子/前田茂司
    ゼネラルプロデューサー■奥田誠治
    原作■さだまさし
    脚本■斉藤ひろし
    撮影■北信康
    美術■林田裕至
    編集■山下健治
    音響効果■柴崎憲治
    音楽■遠藤浩二
    主題歌■さだまさし
    VFXスーパーバイザー■太田垣香織
    スタイリスト■前田勇弥
    照明■渡部嘉
    装飾■坂本朗
    録音■中村淳
    助監督■原田健太郎/倉橋龍介
    出演■大沢たかお/石原さとみ/真木よう子/萩原聖人/鈴木亮/石橋蓮司

    風に立つライオン (幻冬舎文庫) — Amazonで見る

    映画『風に立つライオン』公式サイト

    【解説】

     アフリカで医療活動に従事した実在の日本人医師にインスパイアされたさだまさしが87年に発表した同名曲をモチーフに、さだ自らが2013年に書き下ろした小説を、大沢たかお主演で映画化したヒューマン・ドラマ。
    共演に石原さとみ、真木よう子。
    監督は「藁の楯 わらのたて」「神さまの言うとおり」の三池崇史。
     1987年、大学病院に勤務する島田航一郎はケニアの研究施設に派遣されることが決まり、恋人の貴子を日本に残し、ケニアへと旅立った。
    現地で研究と臨床に明け暮れ、充実した日々を送っていた航一郎だったが、その後、国境近くの赤十字病院からの派遣要請を受ける。
    航一郎は、想像を絶する過酷な状況に戸惑いながらも、同病院で出会った日本人看護師・草野和歌子と力を合わせ、負傷者の手当に当たる。ある日、そんな航一郎の前に、一人の少年兵ンドゥングが担ぎ込まれてくるが…。(映画データベース –allcinema より)

     

     

  • 「2015年を振り返って」 スティーブ・ジョブズの言葉

    「2015年を振り返って」 スティーブ・ジョブズの言葉

    試練の一年

    2015年、今年一年で言えることは試練の一年でした。
    一年と言う表現は間違っているかもしれません。
    この10年間のいろんなツケがこの一年間に集約されたようでした。

    その中で改めて自分の中に残った言葉が
    「毎日、これが人生最後の日と思って生きてみなさい。そうすればいつかそれが正しいとわかる日がくるだろう。」と言う内容を本で読んだスティーブ・ジョブズが

    「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいことだろうか?」
    それに対する答えが“NO”の日が何日も続くと、何かを変える必要があるなと気が付くわけです。

    と言っていた事でした。
    これは自分には衝撃的でした、50年近く生きてきて、こんな覚悟を持って生きていなかった自分・・・

    10年間の紆余曲折

    10年前にベンチャー企業で、10人弱の直属の部下と会社全体の事業を任される事業部長との兼務で仕事をしていました。
    その会社が突然、オーナー(ファウンダー)の意向で売却されてしまったのです。
    そこでその会社を辞めて、知り合いの会社社長と起業をする準備を始めました。
    準備段階として、とりあえず知り合いの社長の会社に入社しました。
    10年前の時点で、既に5年以上の付き合いもあり、数年前にその社長さんの会社が潰れかかっている時に顧客を紹介して、復活のキッカケとするなど、良好な関係でした。

    しかし、その会社に入ってみると、2億円の負債、紹介した大手企業の孫請け(紹介した時は、もちろん直契約でした)になっていると言う始末。
    その後、その会社を再び再起させるために、孫請けから直請けにして・・・と様々な努力をしました。
    それでも、この会社では2つの社会人人生初の体験をしました。

    ・給与の引き下げ
    ・クビの宣告

    です、それまでキャリアパスをステップアップしてきた自分としては、驚きでした。
    当時の会社を傾けた原因となったのが、とある役員の奔放な行動でした、20人弱の売上2億位の会社でその役員独りで、社用車3台(その他に社長もベンツを社用車として乗り回してました)を持ち、意味のない旅行の領収書、なんでも有りでした。
    その問題の役員と一緒に1年間仕事をしましたが、毎回、客先への待ち合わせに30分から1時間以上遅れてくる、一度約束したことを反故にする、などなど、様々な問題を起こしました。
    それに対して、社長にクレームを言ったところ、上記の2つを言われました。

    クビは免れましたが、その時、自己防衛のために自分で会社を作りました。
    この会社は社員がいる訳ではありませんが、独りで映画の勉強をして映画のプロデュースを始めました。

    はじめの一歩を踏み出そう―成功する人たちの起業術 — Amazonで見る

    さて、話を戻すと、「クビを免れた」会社で5年前にこれでは行けないと、小さな反乱を起こしました。
    その当時の社内の心あるメンバーと別会社を作ったのです。
    もちろん、その資金をどうするか?等々課題は有りましたが、私の過去の経験や人脈を使って資金の捻出してどうにか、会社設立まで持って行きました。
    ただ、一点、今から考えると失敗だったのは、自分で代表にならずに人に任せてしまったことでした。

    それから2年後、所属していた会社は傾いて、私と開発メンバー数名で新しい会社の方に完全に移籍しました。
    元の会社は既にバラバラになって、当時の社長と私の人間関係もそれで終わりました、その社長は銀行から借金が有るので、直ぐに会社を潰すことも自己破産することも出来ないのでしょう、会社名だけは残っているようです。

    3年前心機一転、事務所を借りて会社を再スタート、以前の顧客を引き継いでいたので、自己資金もあるし顧客も有る状態からの絶好のスタートを切れました。
    それから3年目の今年・・・
    会社の売上は伸びず(横這い)、社員も入っては辞めて・・・と言う状況で、私の立場が少しずつなくなっていき、代表との対立・・・その後のことはここでは、この位にしておきます。

    むしろ自分に合わないビジネスを、自分と合わない人たちとやり始めてしまった事で、成果も出ずに、更には自分を追い詰めていく結果となりました。
    5年前には「一緒に起業した仲間」でしたが、何故かこの数年間は「単なる部下の一人」と言う立場になっていて、目指しているものが自分と会社との間に乖離が有ったのでしょう。

    「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいことだろうか?」

    ジョブズ氏スピーチ全訳、米スタンフォード大卒業式(2005年6月)にて(日本経済新聞より)

    スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン — Amazonで見る

     

    スティーブ・ジョブズの人生を(伝記で間接的に)知ってる人も多いとも思うけど、普通の経営者の真逆を行く人物。
    成功には正解はない、と言うことかもしれない。

    でも、これは堀江貴文さん(ホリエモン)も言ってることだけど、過去・未来に縛られるのではなく「今」を見つめる必要があるということ。

    本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方 (SB新書) — Amazonで見る

    「今」最善を尽くすことは何か?
    それを考えて行動を取ることが大切に思う。

    スティーブ・ジョブズは、このスタンフォード大学での名スピーチを残して、数年後に亡くなっている。Steve Jobs 1955-2011
    56歳と言う若さである。

    スティーブ・ジョブズ I・IIセット — Amazonで見る 

    2016年を控えて

    おそらくこれだけソーシャル・ネットワークが普及してきた時代、ただ商売をして物を売り買いしているだけでは生き残ることは難しいのかもしれない。
    なにか、感動を与えられるもの、それは何か・・・来年、少しずつそれを実行していければと思っている。

    改めて、自分の座右の銘「一期一会」を大切にしながら・・・
    「感動」をできる「Can do」一年にしていきたいと思う、そのためには捨てるものを捨てる・・・

    海外で共感の嵐!今すぐやらないと後悔する「21のコト」

    捨てることも大切。今年はそれを知った年でした。
    皆さん、本当にありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

  • 映画『素晴らしき哉、人生!』 クリスマス・イブの夜に奇跡的な感動に出会う

    映画『素晴らしき哉、人生!』 クリスマス・イブの夜に奇跡的な感動に出会う

    映画『素晴らしき哉、人生!』

    IT’S A WONDERFULL LIFE 130分 1946年 アメリカ

    素晴らしき哉、人生!

    クリスマスのプレゼント、古き良きアメリカの楽天主義!

    フランク・キャプラ監督の戦後初監督作品。
    彼の理想主義が戦後のアメリカでは受け入れられなかったのか?この後、数本の作品を撮って引退している、この作品もヒットしなかった らしい。
    現代の評価は、『或る夜の出来事
    』『オペラハット』『スミス都へ行く』と並ぶ、フランク・キャプラ監督の傑作の一つと言われている。
    僕も、いずれの作品も好きでビデオとしてコレクションしている(だから家がビデオだらけになるんだけど)。

    前半は、一見平凡そうな一人の男の人生を淡々と描き続けている。
    それは、ある種の理想や優しさに溢れ、それでいてどこか強情な、何処にでもいる男性像。
    主演のジェームズ・スチュアートならでは、と言う演技で安心して観ることが出来る。
    そしてある時突然、彼は不幸のどん底に陥る。
    しかし、そこで起きることは、天使が現れ主人公に、彼が居ない世界を見せる事、ここからの展開が面白い。
    そう、一見平凡な人生で有ったとしても、そこには誠実に生きてきた一人の人間の証が、いろいろなところに落ちていて、それにいろいろ な人が関わっているのである。
    それがどんな人生であれ、人間独りが生きていることには、大きな意味が有ることを彼に見せる、それは観客にこの映画が訴えかけている テーマなのだ。

    フランク・キャプラ監督は、一見、楽天主義的なこの映画で、ただ人生が素晴らしい...とだけ言っている訳ではないと思う。
    この映画が作られた時代も、今の時代においても、人間の社会が複雑になっていく中で、自己の喪失、そう社会の一部品としてしか自分を 見れなくなる事への一つの回答のような気がする。
    どんな人生でも、生きていること自体が素晴らしいことだと、それは本人以上に周りの人達が知っているのである。

    天使が現れて本人が居なかった世界を見せる発想の面白さや、フランク・キャプラ監督の俳優を捉えるカメラの鋭さ(ズーム・アップの多用)、それに応えたジェームズ・スチュアートとドナ・リードらの俳優陣の素晴らしさが、この物語を盛り上げる。

    一見、単純なストーリーとテーマであるが、そこにある人間ヘの温かみや人間の存在感は、今観ても感動する。
    ラストのハッピー・エンドは涙なくして観ることは出来ない...時はクリスマス・イブの夜。

    素晴らしき哉、人生! Blu-ray — Amazonで見る

    私的『素晴らしき哉、人生!』

    ① テーマが有るか?共感できるか?

    フランク・キャプラ監督の映画は楽天主義が多い、アメリカの理想主義とでも言ったら良いのか?
    でも、それが古き良きアメリカであり、今ほど複雑ではない社会を反映している。
    だからこそ、今もこう言った純粋な映画を観ることもにも価値を感じる。
    そして、誰でも共通するテーマであり共感できる。

    ② 作り手の強い意思を感じるか?

    世界大戦の間に、アメリカの理想を描き続けたフランク・キャプラ監督、それは戦争よりも大切なモノをそこに訴えかけていたんだと思える。
    第二次世界大戦直後に、人生の素晴らしさを描いたところに監督の思いを感じる。

    ③ 俳優の意思や演技力が伝わるか?

    ジェームズ・スチュアートはアメリカの良心を演じ続けた俳優。
    演技力もそうだし、ちょっとのっぽでユニークな風貌、優しい表情と、アメリカ人にとっても癒される存在であり、外国からアメリカン人を見る時に彼が一つの象徴なのかもしれない。

    ④ 映画らしい楽しさが備わっているか?

    アメリカ映画が一番輝いていた時代、戦争という暗い時代に映画というエンターテインメントに希望とか夢を抱いた時代。
    それを代表するスター、ジェームズ・スチュアートがアメリカの理想を演じている。
    また、ドナ・リードの美しさが際立つ。

    素晴らしき哉、人生!

    ⑤ エンターテイメント性

    静かな展開の前半と、後半の対象的な演出で楽しめる、ジェームズ・スチュアートが出てる時点でも、スター映画とも言える。

    ⑥ 演出が素晴らしいか?

    フランク・キャプラ監督の演出はいつも安定しているし、この時代らしい演出。
    その中でズーム・アップを多用して人間ドラマを表現している点は素晴らしい。

    ⑦ 脚本が素晴らしいか?

    これ以前の作品が、勧善懲悪的な理想論の作品が多かったが、この作品はその構成も面白く脚本も良かった。
    理想的なパターンを好き・嫌いの別れるところも理解出来る。

    ⑧何度も見たくなるか?

    クリスマスが来ると思い出し、観たくなる作品でクリスマスを代表する作品。

    映画『素晴らしき哉、人生!』のデータ

    素晴らしき哉、人生!【淀川長治解説映像付き】 DVD — Amazonで見る

    監督■フランク・キャプラ製作■フランク・キャプラ
    脚本■フランセス・グッドリッチ/アルバート・ハケット
    撮影■ジョセフ・ウォーカー/ジョセフ・バイロック
    音楽■ディミトリ・ティオムキン
    出演■ジェームズ・スチュアート/ドナ・リード/ライオネル・バリモア/ヘンリー・トラヴァース/トーマス・ミッチェル/ボーラ・ボンディ/フランク・フェイレン/ウォード・ボンド/グロリア・グレアム

    アカデミー賞 1946年
    作品賞ノミネート
    主演男優賞ノミネート ジェームズ・スチュアート
    監督賞ノミネート フランク・キャプラ
    編集賞ノミネート WILLIAM HORNBECK
    録音賞ノミネート JOHN AALBERG

    ゴールデン・グローブ賞 1946年
    授賞 フランク・キャプラ

    【解説】
     主人公のジョージという男は、いつも何処かでツキに見放され、逆境にばかり立ち向かう運命にあった。
    自分のミスではなく大金を失った彼は、全てに絶望して自殺を図る。
    ところが、12月の冷たい河に飛び降りようとしたとき、彼より先に一人の男が身を投げて救けてくれと叫んだ。
    あわてて救けたジョージに、男は、自分は見習い天使だと告げるが……。
    映画はまず、挫折つづきのジョージの人生を語る。
    この、希望が幾度となく打ち砕かれるエピソードの積み重ねには、ジョージばかりではなく観る側も、その理不尽さに怒りを感じずにはいられないだろう。
    そして、天使の案内する“もし彼が生きていなかったら”という仮定の世界で、彼は自分の存在理由をかいま見る事になる。
    果たして彼は自殺を思いとどまる充分な理由を見つけることが出来るのか、という部分がこの作品の要になるのだが、安易なハッピー・エンドに逃げていないのはF・キャプラの理想主義の賜物である。(映画データベース –allcinema より)