投稿者: test_iy

  • 映画『白夜』 ヴィスコンティが描くドストエフスキーの世界

    映画『白夜』 ヴィスコンティが描くドストエフスキーの世界

    映画『白夜』 LE NOTTI BLANCH

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    ラストの雪の中のシーンが残酷で美しい

    ヴィスコンティ作品の中で、これ程、特殊な作品だったとは...初めて観た時、驚きも感じた。
    ある種、ヴィスコンティのイタリア、ネオレアリズモとの決別とも言える。
    それは、この作品がセットで撮られた事、それによる、より舞台的な演出がなされていること。
    しかし、ネオレアリズモとはかけ離れたところに行ったとしても、それはリアリズムの否定にはなっていない。
    この作品は、舞台的、また箱庭的で有ることで、より俳優の個性が観客側に強い印象を与える。
    そう、この物語では、全ての背景が排除されている、シェル演じる女性が愛した、ジャン・マレー演じる下宿人が何処へ行ったのか、 どういう人物なのか、マストロヤンニはどこから来たのか?純粋に登場人物の感情の表現だけで話が進んでいく。

    主演のマストロヤンニは、この作品で初めてヴィスコンティ映画に出演する。
    既に舞台では一緒に仕事をしている二人だが...
    マストロヤンニはイタリア男らしく、ある種、軽薄で有りながら、それでいて愛情深い男を見事に演じきっている。
    マリア・シェルは、ヴィスコンティの他の作品の女性像から少し離れたところに有る。
    それは少し夢想的な少女の趣を持っている。
    私は彼女に魅了されてしまった。
    出演場面は少ないが威風堂々としたジャン・マレーと、夢見る少女的なシェルとは正反対の娼婦役を演じたクララ・カラマイも印象的 だ。

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    マストロヤンニは幸せから不幸へ、マリア・シェルは不幸から幸福へ、このコントラストが限られた登場人物の中で色鮮やかに映し出される、映像は白黒なのに。
    私の好きなシーンに、マストロヤンニとシェルの最後の夜に酒場で踊るところ。
    二人が一時的に幸せに盛り上がる。
    心が揺れて、一瞬、二人の心が交差する、そうダンスを踊る二人の肉体のように。
    しかし、このシーンは実は二人の幸福と不幸が見事に入れ替わる象徴的なシーンであった。
    そして時間を知り、走り出すシェル...
    映像の持つ美しさと怖さが見事に表現されている、例えそれが演劇的な様式美であったとしても。

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    暗く沈み込むようなストーリーを、美しく映像化し、そこに有るのは、人を愛する人間(マストロヤンニとシェル)へのヴィスコンティの深い愛情の現れだった。
    ラストの雪の中でのシーンは残酷で美しい...それこそが、ヴィスコンティの描くドストエフスキーの世界なのかもしれない。

     

    映画『白夜』のデータ

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    LE NOTTI BLANCH/QUATER NUITS D’UN REVEUR 107分 1957年 イタリア

    監督■ルキノ・ヴィスコンティ
    製作■フランコ・クリスタルディ
    原作■フョードル・ドストエフスキー
    脚本■ルキノ・ヴィスコンティ/スーゾ・チェッキ・ダミーコ
    撮影■ジュゼッペ・ロトゥンノ
    音楽■ニーノ・ロータ
    編集■マリオ・セランドレイ
    美術■マリオ・キアーリ/マリオ・ガルブリア
    衣装■ピエロ・トージ
    助監督■リナルド・リッチ
    製作会社■CIASヴィデス/アンテルモンディア
    備考■白黒
    日本公開■1958年
    出演■マルチェロ・マストロヤンニ/マリア・シェル/ジャン・マレエ/クララ・カラマイ/マルチェラ・ロヴェーナ/ディック・サンダース/マリア・ザノッリ/フェルディナンド・グエルラ/レオニルデ・モンテージ/アンナ・フィリッピーニ/ロマーノ・バルビエーリ

    ヴェネチア国際映画祭 1957年
    サン・マルコ銀獅子賞授賞 ルキノ・ヴィスコンティ

    【解説】
     貴族の側に立つにしろ、プロレタリアートの代弁者になるにせよ、ヴィスコンティの視線は常に冷ややかに透徹していたが、この悲恋物語は雪に閉ざされ残酷な結末が用意されているにも関わらず、ほのぼのと暖かい印象で胸に残るのは、即ち、主人公の青年(マストロヤンニ)に対し注ぐ彼の温かな眼差しゆえに他ならない。港町で青年マリオは橋上でたそがれる一人の娘ナタリア(シェル)を見初める。一年前に再会を約束した恋人を毎晩そこで待ちわびているのだ、と言う彼女、ナタリアをなんとか踊りに誘い出すマリオ。R&Rに合わせ愉快に踊って笑わせた後、曲は主題歌“スクーザミ”に替ってチーク・タイム。喜びに輝く青年の表情を見るうち、娘の心も彼に傾きかけたが、肩に回した彼の腕時計が無常に時を刻むのをふと目にし、その秒針の音にせき立てられるように橋上へ再び駆け出してゆく。しかし、待ち人はいない。降り始めた雪の中、追いかけてきたマリオと静かに語らうと心は休まった。そして夜は明けるが……。すべてが、セットという箱庭に咲かせた愛の白い花のごとき印象。ロトゥンノのカメラはこの人工美に確かな命を吹き込んでいる。(映画データベース – allcinema より)

  • 映画『夏の嵐』 ヴィスコンティの耽美趣味が見え始める

    映画『夏の嵐』 ヴィスコンティの耽美趣味が見え始める

    映画『夏の嵐』 SENSO


    senso

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    ヴィスコンティの見事なまでなメロドラマ

    1999年に渋谷BUNKAMURAル・シネマで観ることが出来た、この時はフランス語版。
    観終わって、なんて幸せなんだろう!と思わずにはいられなかった。
    物語は決して幸福な話ではない、むしろ悲劇的な最後に終わる。
    それでも、心の中はある種の幸せで満たされてしまう作品なのだ。

    この作品に対して、ヴィスコンティは2つのテーマを持って取り組んだらしい。
    一つはイタリアの解放戦争を舞台にした政治的なドラマ。
    もう一つは、男女の情愛を描いたメロドラマ。
    ヴィスコンティの意志は、もっと政治的なドラマに作りたかったらしいが、ラスト・シーンを含め、検閲等の問題で思い通りには撮れなかったらしい。
    その点を踏まえても、この作品は素晴らしいの一言に尽きる。

    映画が始まって、延々とオペラのシーンが映し出されるが、そのオペラ自体も素晴らしいのだが、それを背景としてドラマを進めていく凄さ。
    オペラはイタリアのある種、文化の象徴であり、その劇場で独立派がビラを巻くシーン、それはイタリア独立の雄叫びのようでもある、と併行にアリダ・ヴァリ演じる伯爵夫人リヴィアの立場と、そしてファーリー・グレンジャー演じるオーストラリア将校マーラー中尉との出会いが描かれる。
    やはり、ヴィスコンティの作品は、人物なのである。
    オペラやその劇場のセット、後のイタリアの田園風景、ヴェネチアの街並み、それらが素晴らしいにも関わらず、全てを背景に収め、人間ドラマとしての物語を描く上手さはヴィスコンティならではで有る。

    senso

    次第に、ヴァリとグレンジャーの不倫の愛が燃え上がる。
    ヴァリは無垢な愛を感じさせ、グレンジャーの愛には、どこか打算を感じさせる。
    しかし、ヴァリにしてもグレンジャーにしても、無垢なようで激しく、打算的なようで溺れていく、そんな愛の両面を描いていく。
    そう、愛とは不倫であろうがなかろうが、決して単純なものではないのだ。
    ヴァリ演じる伯爵夫人リヴィアは、イタリア解放への理想が愛の前で崩れ去り、自ら持つ誇りを失っていく。
    まるでイタリアが不遇の時代から、独立へと希望に満ちあふれていくのとは正反対のように。

    グレンジャー演じるマーラー中尉も、イタリアを支配する側のオーストリアのエリート将校でありながら、愛に溺れ、また打算に溺れ、彼もまた自分の誇りを失っていく。
    愛のためには全てを犠牲にした二人、その事によって二人は破滅へと向かっていく。

    ラストのグレンジャーがヴァリを罵倒するシーンの醜さ、自分の愛を見失い、全てを失い怒り狂って愛人(グレンジャー)を死に追いやるヴァリの恐ろしさ、愛の深さと繊細さが伝わってくる。
    ヴァリは無垢な女性から、徐々に情念的な女性へと、そして最後は恐ろしい女に変貌していく様を見事なまでに演じきる。
    この演技は、ヴァリの一世一代の演技と思わせる。
    グレンジャーの優男ぶりと繊細さも光る。

    ヴィスコンティは、この見事なまでのメロドラマ、人間のドラマを、奥行きのある深い映像と音楽で包みながら、あくまで人を魅せる事に集中している。
    人間、愛の脆さ、危うさを描きながらも、それを観る私の心は満たされていく...

    senso

     

    映画『夏の嵐』のデータ

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    SENSO/LIVIA WANTON CONTESSA 126分 1954年 イタリア

    監督■ルキノ・ヴィスコンティ
    製作■ドメニコ・フォルジェス・ダヴァンツァーティ
    原作■カミッロ・ボイト 『官能』
    脚本■スーゾ・チェッキ・ダミーコ/ルキノ・ヴィスコンティ
    脚本協力■カルロ・アリアネッロ/ジョルジョ・バッサーニ/ジョルジョ・プロスペーリ
    英語台詞■テネシー・ウィリアムズ/ポール・ボウルズ
    撮影■G・R・アルド/ロバート・クラスカー
    音楽■アントン・ブルックナー 『交響曲七番』/ジュゼッペ・ヴェルディ 『イル・トロヴァトーレ』
    音楽指揮■フランコ・フェルラーラ
    音楽演奏■RAI・TVオーケストラ
    編集■マリオ・セランドレイ
    美術■オッタヴィオ・スコッティ/ジーノ・ブロージョ
    衣装■マルチェル・エスコフィエール/ピエロ・トージ
    助監督■フランチェスコ・ロージ/フランコ・ゼッフィレッリ
    製作会社■ルックス・フィルム
    備考■テクニカラー
    日本公開■1955年
    出演■アリダ・ヴァリ/ファーリー・グレンジャー/マッシモ・ジロッティ/ハインツ・ムーク/リナ・モレッリ/クリスチャン・マルカン/マルチェッラ・マリアーニ/トーニオ・セルヴァルト/セルジョ・ファントーニ

    【解説】
     だって原題が「官能」(19世紀末のカミッロ・ボイトの短編小説が原作)だもの、もう、その通り。オペラ座の舞台から始まる、この絢爛たる恋の絵巻は、後期のヴィスコンティの耽美趣味が既に顔をだしながらも、やはりネオ・レオリズモで鍛えた直截な描写力が活きていて、全くヴァイタルなメロドラマになっている。
     1866年、オーストリア軍占領下のヴェネツィアで観劇中の軍の将校と抗戦運動の指導者の侯爵との間に決闘騒ぎが起り、それを諌めに入った伯爵夫人は、従弟である侯爵を流刑にされながらも、その美貌の将校に狂おしく恋をする。再び戦争が勃発し、密入国した侯爵は従姉のもとを訪ね軍資金の保管を依頼するが、夫人はその金を、将校に軍籍離脱の賄賂のためにと渡してしまう。祖国は敗れ、ヴェロナにいる彼の元に馬車を急がせた夫人の見たものは……。
     薄汚れた姿で恋人を探して兵舎を訪ね回る夫人=A・ヴァリの激情は、トリュフォーの「アデルの恋の物語」のI・アジャーニの比ではない。G・R・アルドと彼の死で途中交代したR・クラスカーのキャメラのゴージャスさ、全篇に響き渡るブルックナーの第七番。これぞイタリア映画というボリュームで観る者を圧倒する、ヴィスコンティの最高傑作。(映画データベース – allcinema より)

     

  • 映画『ベリッシマ』 戦後のイタリアの庶民を描いた初期の作品

    映画『ベリッシマ』 戦後のイタリアの庶民を描いた初期の作品

    映画『ベリッシマ』 BELLISSIMA

    BELLISSIMA

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    ヴィスコンティが描くイタリアの庶民

    ヴィスコンティの長編3作品目、デビューから実に9年目の作品でもある(それだけ寡作と言うこと)。
    ヴィスコンティ作品の中での位置付けは、もっともイタリア映画らしい作品と言うこと。
    1951年当時の現代劇である。
    しかも、しっかりロケを中心として作られているので、そこにあるのはイタリアの風情である。
    ヴィスコンティはこの作品で、今後の自分の進む道と共に、イタリア映画の進むべき道を提示している作品とも言える。
    それは映画は俳優で有ること、物語を語る上でそのキャラクターの個性と俳優の個性が一致する事、それを配役と演技から引き出すことによって一致させることが、重要で有ることを証明して見せた。
    この頃、イタリアのネオ・リアリズムの方向が、素人を俳優として起用する事が一つの約束事で有り特徴でも有ったが、それがいつの間にか映画の表現として行き詰まりを見せた事へのヴィスコンティなりの回答のようにも見える。

    この作品の完成には、ヴィスコンティと2人の人間の出会いが有った。
    一人は、脚本家のスーゾ・チェッキ・ダミーコ。
    彼女は、その後のヴィスコンティの主要な作品(『ベリッシマ』以後、『華やかな魔女たち』、『地獄に堕ちた勇者ども』、『ベニスに死す』以外の全作品に参加する)の脚本を担当しており、イタリア映画最高の脚本家の一人とされた。
    そしてもう一人は、主演を演じたアンナ・マニャーニである。
    彼女はヴィスコンティのデビュー作『郵便配達は二度ベルを鳴らす』で、ヴィスコンティが主演にしようとしていたが、妊娠中のため 諦めたという経緯が有る。
    ヴィスコンティは、ダミーコの脚本を手に、マニャーニからこの母親像を見事に引き出している。

    BELLISSIMA

    物語は自体は、あるイタリア映画の子役のオーディションに夢を抱く母親と娘、そして家族と映画に群がる人々を描いている。
    先にも書いたが、子役(素人)を使うことをストーリーの中で皮肉っている一面も有る。
    また、同時に、映画が持つお金(資金)に群がり、人を騙す人々も描いている、映画の内幕ものである。

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    ヴィスコンティの映画『郵便配達は二度ベルを鳴らす』『ベリッシマ』も含むイタリア映画10作品

    しかしやはり、この映画のテーマは、アンナ・マニャーニの母親像で有り、イタリアの人々の気質なのである。
    ここでイタリアの母親像を、ある意味素直で騙されやすく傷つきやすい女性、それでいながら母親としての強さ、家族への愛情を持った女性として見事に描ききっている。
    ヴィスコンティの作品には一貫して、主人公に偏りすぎず寄りすぎず、主人公に対しても冷徹な視線を投げかけている。
    それでいながら、主人公が映画の中心に浮かび上がってくるのだから、ヴィスコンティの演出に、今更ながら感心してしまう。

    イタリアの庶民の生活がリアルに描かれている。
    しかし、それでいてフェリーニやデ・シーカ、ロッセリーニとは“色”が明らかに違う。
    ヴィスコンティ自身は、どちらかというと庶民派とは違うが、デビュー作『郵便配達は二度ヘルを鳴らす』、長編第二作『揺れる大地』とこの 作品、リアルにそして不要なものを削ぎ取っていくことで、明らかにイタリア庶民を描ききっているのである。

    アンナ・マニャーニの演技を観るだけでも、この作品を観る価値は有る、そしてイタリアの香りを感じる事が出来る作品である。

    bellissima

     

    映画『ベリッシマ』のデータ

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    BELLISSIMA 116分 1951年 イタリア

    監督■ルキノ・ヴィスコンティ
    製作■サルヴォ・ダンジェロ
    原案■チェーザレ・ザヴァッティーニ
    脚本■スーゾ・チェッキ・ダミーコ/フランチェスコ・ロージ/ルキノ・ヴィスコンティ
    撮影■ピエロ・ポルタルーピ/ポール・ロナルド
    音楽■フランコ・マンニーノ(ガエターノ・ドニゼッティの『愛の妙薬』による)
    指揮■フランコ・フェルラーラ
    演奏■オペラ座交響曲管弦楽団/RAI・TV合唱隊・管弦楽団
    美術■ジャンニ・ポリドーリ
    衣装■ピエロ・トージ
    編集■マリオ・セランドレイ
    助監督■フランチェスコ・ロージ/フランコ・ゼッフィレッリ
    製作会社■ベリッシマ・フィルム
    備考■白黒
    日本公開■1981年
    出演■アンナ・マニャーニ/ヴァルテル・キアーリ/ティーナ・アピチェッラ/ガストーネ・レンツェッリ/テクラ・スカラーノ/ローラ・ブラッチーニ/アルトゥーロ・ブラガリア/リンダ・シーニ/アレッサンドロ・ブラゼッティ/マリオ・キアーリ

    【解説】
     娘をベリッシマ(美少女)コンテストに入賞させ、映画スターに育てようと躍起になるマニャーニのステージママぶりが凄まじくも涙ぐましい、初期のヴィスコンティの人情喜劇。ネオレアリスモの精神に則って、力強く戦後まだないローマの庶民生活を描いて、実にみずみずしい作品でもあった。フランコ・ゼフィレッリとフランチェスコ・ロージ(共同脚本も)が助監督についている。(映画データベース – allcinema より)

  • 映画『揺れる大地 (海の挿話)』 ネオレアリズモの代表作

    映画『揺れる大地 (海の挿話)』 ネオレアリズモの代表作

    映画『揺れる大地 (海の挿話)』LA TERRA TREMA (EPISODIO DEL MARE)

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    2017年1月上映 デジタル2Kリマスター版について

    今回上映されたものは、2016年3月に修復が完成したリマスター版、尺に関しては今回は160分となっている。
    過去の今作品においては165分の記載があったり、紀伊國屋書店から出ているDVDでは158分となっているので、イタリアの古い映画に関しては多数のバージョンが存在すると思ったほうが良い。

    DVDと比較してみてもかなり綺麗にリマスター化されている、紀伊國屋書店のDVDに関しても元のフィルムに良いものを使用しているが、DVDにあった白い点がなくなっているのと、画面の端の歪みが消えていた。

    『無防備都市』『戦火のかなた』『自転車泥棒』などに並ぶ、ネオレアリズモの傑作、27年ぶり(?)の正式上映なので、この機会に映画館で是非見てもらいたい作品。

    -イタリア・ネオレアリズモの軌跡- 公式サイトはこちら

    『若者のすべて デジタル完全修復版』
    『郵便配達は二度ベルを鳴らす デジタル修復版』 2017年1月7日~
    『揺れる大地 デジタル修復版』 2017年1月21日~

    2016年12月24日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開

    ヴィスコンティ初期のネオレアリズモの傑作

    第二次世界大戦後イタリアの苦難の状態を、貴族出身のヴィスコンティが映像化したことに興味が有る。
    また、この作品では、プロの俳優を一切使わずにロケ地アチ・トレッツァの人々を起用している点も大きな意味が有る。
    ヴィスコンティがこの作品を撮影した時は既に40歳代に入っている。
    デビュー作『郵便配達は二度ベルを鳴らす』に続く長編第2作目。

    この作品を観ていると、白黒映像にも関わらず、海の碧さが感じられ、しかもそれが非常に塩の香りと魚臭さが感じられる。
    後のヴィスコンティ作品に観られるような華麗な映像や流麗な音楽は存在しない。
    ここにあるのは、リアルな映像と冷たいまでのナレーションだけと言っても過言ではない。
    話は至極単純なもので、仲買人に搾取される漁師達の一人が自立して事業を起こすが、それも挫折していく姿を描いている。
    しかし、この映画に映し出されるのは漁師達の本当の貧しさ、それは私が想像するより遙かに苦しいもの。
    そこに住む人々は、その事自体に何の疑問を持たず、慣習を重んじ、それを破る者を除け者にしようとする。
    ここに浮き彫りにされているのは、労働者<プロレタリア>と搾取者<ブルジョア>の関係である。
    搾取する人々は、自分達が居てはじめて、労働をするための秩序が存在していると心から信じている。
    労働者は、そう言った彼らと共存することによってのみ存在し得ると考えている。
    一人の理想に燃える若者アントニオも、結局、一人(一家族)の力では何もできない...無力であることを知るのみだっ た。
    冷徹なまでのナレーションがラストに語る...何が足りなかったか?それは“団結”だと。
    一人の無力さに涙を流すこの若者、本当の貧しさや、疎外感が彼に涙を流させる。
    そして、屈辱のうちに、また、元の虐げられる労働者に戻っていく。

    la_terra_trema

    実際の漁師を俳優に起用することで、その背景となるものまでが、全てリアルに目の前に提示される。
    日々の暮らしの苦しさ、そして裕福になった事への妬み、そして家を失い、家族が崩壊していく中で誇りも捨てて最低の暮らしの中に戻っていく姿。
    この深い悲しみを正面から冷徹に捉えることで、観る者に悲しみをかき立てる。
    そして、それが次への反動となる。
    これだけ人々の心情を映し出しながら突き放したところがある、この映像の凄さ!それだけに、悲しいのである。

    ヴィスコンティは、第二次世界大戦を通してファシズムに共産党の立場として対峙した。
    また、この作品の資金を提供したのも共産党であった。
    ヴィスコンティは、この頃は未だ共産主義の理念に燃えていた時期と思える節がある。
    そして裕福なイタリアの北部(ヴィスコンティの出身も北部ミラノ)に対して、南部は貧しい事も有る。
    彼は自分の貴族出身という立場を脱却しようと、この作品の中で、真の貧しさとその苦しみとその原因を描いてみせた。
    そして、貧しさを脱却するには、人々の“団結”が必要であると訴えかける。

    la_terra_trema

    この作品は、彼のこれまでの半生の集大成かもしれない。
    いや彼の半生がもたらした、次へのステップへの理想への道程と言うべきかもしれない。
    ヴィスコンティ自身も、この作品の後、共産主義の理念が、スターリン主義と共に地に堕ちる事によって挫折を味わう。
    そこには人間社会の中にうごめく伝統や習慣、慣習と言うものが欲望に支えられ、理想というものの前に立ちはだかる。
    彼の作品は、この作品の後、急激に人間の欲望が生み出す破滅と言うものを描き始める...。
    イタリアのネオレアリズモの枠を超えて、真実を描きながらプロパカンダとしてのメッセージ性を持った作品でも有る。

     

    映画『揺れる大地 (海の挿話)』のデータ

    揺れる大地 海の挿話 DVD — Amazonで見る

    LA TERRA TREMA (EPISODIO DEL MARE) 165分 1948年 イタリア

    監督■ルキノ・ヴィスコンティ
    助監督■フランチェスコ・ロージ/フランコ・ゼフィレッリ
    製作■サンヴォ・ダンジェロ
    原案■ルキノ・ヴィスコンティ(ジョヴァンニ・ヴェルガの『マラヴォリア家の人々』による)
    脚本■ルキノ・ヴィスコンティ
    ナレーター■アントニオ・ピエトランジェリ
    ナレーション台本■マリオ・ピーズ
    撮影■G・R・アルド
    音楽選曲■ルキノ・ヴィスコンティ/ウィリ・フェルレーロ
    編集■マリオ・セランドレイ
    製作会社■ウニヴェルサリア
    備考■白黒
    日本公開■日本未公開
    1990年1月19日
    2017年1月21日日本公開時:160分

    出演■アントニオ・アルチディアコノ/ジュゼッペ・アルチディアコノ/アントニーノ・ミカーレ ※アチ・トレッツアの漁師と住民が演じた。

    ヴェネチア国際映画祭 1948年
    国際賞 ルキノ・ヴィスコンティ

    【解説】
     ヴィスコンティ版「怒りの葡萄」。ネオ・レアリズモ仕様・漁師篇。なんて書くとやたら軽薄な感じだが、事実その通りの内容で、ここで若き巨匠は、ヴィットリオ・デ・シーカ監督に倣ってプロの俳優を一切使わず、シチリア島アーチ=トレッツアの漁師を起用し、作品の現実味を増させることに成功している。網元の搾取に苦しむ漁師たちに組合結成を呼びかける青年アントニオは、網元と結託する警察に捕まる。釈放後、非協力的な村民をしり目に独力で漁に出、これを事業として軌道に乗せるが、ある日、大時化に襲われ、全てを失う。素朴な島の民俗が盛り込まれ、権力と自然に拮坑する労働者の有り様と、一人の若者の闘いと挫折を、力強く描く、ヴィスコンティ初期の意義深い名作。(映画データベース – allcinema より)

     元々、監督のヴィスコンティは、漁民たちの状態、農地問題、鉱山の失業というシチリア経済の三つの問題を三部作として描こうとした、この作品はその『海の挿話』の部分。
    残念ながら、残りの2話は資金源でも有った共産党から資金が調達できず、製作することが出来なかった。

  • 映画『郵便配達は二度ベルを鳴らす』 ヴィスコンティの処女作

    映画『郵便配達は二度ベルを鳴らす』 ヴィスコンティの処女作

    映画『郵便配達は二度ベルを鳴らす』 OSSESSIONE

    ossessione

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    2017年1月上映 2Kデジタル修正版について

    今回上映されたものは、最近発見されたフィルムと現存するフィルムの中で状態の良いものを2Kデジタル化したものを上映。
    残念ながら制作当初に有った140分版ではフィルムの状態が良いものがなく、今回は126分版での公開になったとのこと。

    久々に改めて見ると、現代のドラマ(映画やテレビなど)の愛憎劇の要素が全て含まれているような物語構成が面白かった、因果応報あり、愛情のすれ違いからの憎しみへ。
    一方では、ネオレアリズモとして時代性=イタリアの戦後の貧困も描かれている。

    デジタル修復された映像に関しては、確かに大部分が綺麗に修復されているが、126分版でも全体の映像が汚い部分が散見されるのは残念、戦後のイタリア映画のフィルムの保管状態の悪さは、何となく伝え聞いているがこればかりはデジタル処理でもどうにもならない部分なのか、残念。
    それでも、久々のスクリーンでの鑑賞の機会なので、現状で是非!

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    『若者のすべて デジタル完全修復版』
    『郵便配達は二度ベルを鳴らす デジタル修復版』 2017年1月7日~
    『揺れる大地 デジタル修復版』 2017年1月21日~

    2016年12月24日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開

    ヴィコンティの映画監督デビュー作で完璧な作品

    ヴィスコンティの映画監督デビュー作である。
    それでいて、この完璧さは何だろう!この作品を機に、イタリア映画はリアリズムの道を歩む。
    ヴィスコンティは、原作の持つ犯罪小説と言う趣よりも、男女の欲望を全面に描いている。
    ここにあるのは、その後のヴィスコンティ作品にも現れる、人間の欲望とその行き着く先である。
    妖艶な人妻の誘いに乗り、夫殺しをする男。
    しかしそこには金銭的な二次的な欲望ではなく、愛欲という欲望にどっぷり浸かった男女が、自分たちの生のために、その手段に行き着く姿を美しく、醜く描ききる。
    この映画には途中、男を浄化してくれる踊り子の女性が現れるが、結局、男にとってそれも欲望の対象でしか終わらない。

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    ヴィスコンティの目は、常に人間の真実、その奥底に有る欲望を描写する事に焦点が合っている。
    二人が愛を深めれば深めるほど、その欲望の罠にはまっていく。
    それが良いとか、悪いとか、と言う倫理観ではなく、そこにはそれしか存在していかない。
    愛した女性がたまたま、夫のいる女性であったに過ぎないのだ。
    それは定まった仕事を持てない男の貧しさが生む悲劇とも言えるし、また安定した生活を求めたために結婚を選んだ女の貧しさの悲劇とも言える。
    そう、金銭面の貧しさが、心の貧しさとも結びついている。

    マッシモ・ジロッティ(主人公ジーノ役)の鍛えられた筋肉質の身体と、細く美しいクララ・カラマイ(主人公で人妻ジョヴァンナ役)の身体。
    この二つの肉体を選ぶところから、ヴィスコンティの演出は始まっている。
    そう、お互いを誘惑する二つの要素を見事に表している。
    それは力強さと優美さ。
    この世の尊いものが、互いに共鳴し有ったときに、欲望が渦巻き、悲劇への道をたどる。

    この映画では、白黒の陰影とラストの立ちこめる霧の描写が、美しいまでに焼き付く。
    ヴィスコンティは、デビュー作から既に完成しているのである。

     

    映画『郵便配達は二度ベルを鳴らす』 のデータ

    郵便配達は二度ベルを鳴らす DVD — Amazonで見る

    製作年度:1942 年
    製作国:伊
    上映時間:143分(140分とも)

    監督■ルキノ・ヴィスコンティ
    製作■リベーロ・ソラローリ
    原作■ジェームズ・M・ケイン
    脚本■ルキノ・ヴィスコンティ/マリオ・アリカータ/ジュゼッペ・デ・サンティス/ジャンニ・プッチーニ
    撮影■アルド・トンティ/ドメニコ・スカラ
    音楽■ジュゼッペ・ロザーティ
    指揮■フェルナンド・プレヴィターリ
    編集■マリオ・セランドレイ
    美術■ジーノ・フランツィ
    衣装■マリア・デ・マッティス
    助監督■ジュゼッペ・デ・サンティス/アントニオ・ピエトランジェリ
    製作会社■ICIローマ
    備考■白黒
    日本初公開■1979年
    1979年5月26日日本公開時:133分
    2017年1月7日日本公開時:126分

    出演■マッシモ・ジロッティ/クララ・カラマイ/ジュアン・デ・ランダ/ディーア・クリスティアーニ/エリオ・マルクッツォ/ヴィットリオ・ドゥーゼ/ミケーレ・リッカルディーニ

    【解説】
     戦中の、しかもイタリアでのジェームズ・M・ケインのインモラルな犯罪小説の映画化は、より濃密な男女の欲望の彷徨を描いている。
    ネオレアリスモの先駆と言うよりも、その後のアントニオーニやベルトリッチの到来を予感させるような、ヴィスコンティの驚くべき処女作である。
    舞台はカリフォルニアから北イタリアのポー河沿いということになり、登場人物の名もそれぞれイタリア風に改められているが、物語の骨子は原作や後のハリウッドでの映画化作品とも変わらない。
    ただ、もっとむせ返るような官能に包まれて、不倫カップルの、夫殺しのサスペンスより、ただそうせねば愛を貫けない息詰まる情愛を丹念につづっている。
    陰影の強い黒白画面に呑まれそうだ。(映画データベース – allcinema より)

    製作から37年を経て日本で初公開された、ヴィスコンティの処女作。
    映画の原題は『妄執』 。
    ジェームズ・M・ケインのこの原作は、 本作品を含めて4回の映画をされている。
    ’39年ピエール・シュナール監督でフェルナン・グラペ&コリ ンヌ・リュシエールの仏作品、
    米で’46年にテイ・ガーネット監督がジ ョン・ガーフィールド&ラナ・ターナー、
    ’81年にはボブ・ラファエル ソン監督がジャック・ニコルソン&ジェシカ・ラングで。

  • ルキノ・ヴィスコンティ -作品と演出-

    ルキノ・ヴィスコンティ -作品と演出-

    ルキノ・ヴィスコンティ作品総評

    ルキノ・ヴィスコンティの生涯についてはこちらから

    visconti05

    私の好きな作品を挙げるとしたら、やはり最後の5作品。
    特に『ルートヴィヒ 神々の黄昏』と『家族の肖像』に関しては、文句の付けようが無い。
    世間では『ベニスに死す』の評価が一番高いと言われていて、私も異存はない。
    滅びの美学とそのディテイルの重要性からすると、様式美の有る『ルートヴィヒ 神々の黄昏』と『家族の肖像』を選びたい。
    では、この2作品では、どちらが好きなのか?これは難しい問題。
    完成度の点では、ヴィスコンティ作品中一番なのが『家族の肖像』であることは間違いない。
    但し、この作品には、どうしても部屋の中のみで撮影された事と、その完成度故に私は閉塞感を感じてしまう。
    その点、冗長な点も在るものの、作品の中に雄大さやロマンも秘めた『ルートヴィヒ 神々の黄昏』の方が好きとも言える。

    ヴィスコンティの作品のどれか?選ぶ事自体、愚かしいことなのかも...
    最近では『ベニスに死す』に対して再評価しているけど。

    彼の作品は『山猫』を境に、2つの時代に分かれる。
    デビュー作『郵便配達は二度ベルを鳴らす』から『若者のすべて』(『ボッカチオ』は、オムニバスのため、この対象にはならないと思う)までは、ネオ・リアリズムの旗手としてリアリズムを追求した映像に賛美が集められた。
    確かに『若者のすべて』のロッコは印象的であり、そこで起きることはそれまでの劇画的な娯楽としての映画とは、一線を画した作品となっていた。
    それは『郵便配達は二度ベルを鳴らす』、『揺れる大地』から一貫した作風とも言えた。
    それが『山猫』を境にして、リアリズムにメロドラマ的な要素がふんだんに盛り込まれることになる。

    当時のイタリアや世界の映画評論家の間では、その変貌に戸惑い、ヴィスコンティの映画作家としての末期に来ていることを口を揃えて言っていた。
    当然、私自身、その当時のことは知らないが。

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    私が、ヴィスコンティに深い畏敬と尊敬の念を抱いたのは、やはり後期の作品を見てからである。逆に後期の作品を観て、そのルーツの前期の作品を観たというのが正解だろう。

    果たして、ヴィスコンティの作品は、難解である・・・具体的に、何が面白いのか?と、聞かれても応えることは難しいと今でも思う。
    最初に観たときの印象は、非常に重苦しく難解なのだが、なぜか心の中に残るものが有り、頭の中でストーリーを再度、トレースしてしまう・・・そんな感じだった。
    何が、そうさせるのか?ヴィスコンティ本人自らも、言うように・・・「滅び行くもの達を描く方が、楽しくしかも難しい・・・だから、敢えて描く対象にしているのだと・・・」
    ある人は、ヴィスコンティの作品の中に“腐敗”を観ている・・・私は何を観ているか?、そう、そこに有るものは、人間の“欲望”だと思っている。
    これは『家族の肖像』を観ている時に強く感じたことだった。
    確かに、ヴィスコンティの作品の中には、自らの出生(と言うか地位)から来る、旧時代の滅びの美学というものも色濃く感じられる。
    また、その芸術性として背景に有るものが主題を飲み込む・・・とも言う。
    例えば『家族の肖像』の部屋自体が物語の中心であり、ディテイルが俳優達を超越して自己表現しているとも言えよう。
    もちろん『ルートヴィヒ 神々の黄昏』の城の内装も同様に・・・
    しかし、それは、あくまで映画の一部。
    “腐敗”と“欲望”は、同義語かもしれない・・・。それは、“若くありたい・・・”、“今の栄華を継続したい・・・”と思う気持ちと、新しい欲求とのぶつかり合い・・・その中で古いものが切り捨てられていく。
    ヴィスコンティの作品の中では、常にこれが描かれている。
    ディテイルを細部に至るまで、丹念に再現される・・・そこには、前期の作品以上に色濃く出ている。ではメロドラマ的要素とは・・・それは単なる表現手法の一つでしかない!または、ヴィスコンティの内なる’20年代への回帰が、そう見せるのかもしれない。
    『地獄に墜ちた勇者ども』でのナチスも人間の内なる欲望の一部であり『ルートヴィヒ 神々の黄昏』での美しい城達やワグナーの音楽も欲望がもたらした、怪物なのである。
    もちろん『イノセント』の男の欲望もしかり『家族の肖像』の家族の団欒もしかりである。

    ヴィスコンティの作品を観ると言うことは、自分の内なる欲望をスクリーン上で見せ付けられ、しかもそれが破滅へと向かっている様を魅せつけられるのである。
    ヴィスコンティのリアリティ、それはスクリーン上に見事に総てを出し尽くし、その中で内なるものも吐き出してしまう(フェリーニは、架空の世界にリアリティを再現させているところが、ヴィスコンティと大きく違う、お互いに犬猿の仲でもある)。visconti06

    ヴィスコンティの中には、ファシズムとの闘争、コミュニティへの傾倒・・・そして挫折。
    そこに見たものは、人間の内なるものだったのでは・・・
    芸術も、思想も、人間の内なるものなのである。

    彼の長い生涯のうち、残した作品は、わずか20本足らず、しかし晩年までその情熱と才能が、尽きることはなかった。

    ルキノ・ヴィスコンティ演出術

    優秀な監督は、常に俳優を際立たせる術を持っている・・・ヴィスコンティもその一人。
    彼の作品に出た俳優は、常に最高の演技を魅せてくれる。
    他の作品とは別人のようでもある。
    彼の映画作りの最も重要な要素の一つとして、撮影前のリハーサルが有る。
    主役クラスの俳優を集めて行われるが、この期間が他の監督とは比べようもなく長い時間を掛けて行われる。
    ここで彼らの演技の殆どが決まっていると言っても過言ではない。
    撮影に入る時には、既に俳優が役を作り上げているのである。

    ヴィスコンティの一番のお気に入りは、やはりアラン・ドロンと言えよう。
    彼は映画『太陽にいっぱい』で、素晴らしい演技を魅せてくれた。
    しかし『若者のすべて』や『山猫』では、それ以上のものが有った。
    『若者のすべて』のロッコは、ドロンにとって最高の役柄であり演技であったと思える。
    またヴィスコンティは『異邦人』や『イノセント』に於いても、アラン・ドロンを主演にしたかったようだが、これはドロンが人気スターになっていたことも有り実現しなかった。

    初期の頃、ヴィスコンティが好んで使った俳優にマルチェロ・マストロヤンニがいる。
    彼はセミ・プロの舞台に立っていた頃に、ヴィスコンティに認められてローマの舞台に立った経緯が有る。
    ヴィスコンティの作品では『白夜』、『異邦人』に主演している。
    が、彼にとってはヴィスコンティの作品では、今一つの出来であった。
    マストロヤンニ自体は、二枚目からコメディの三枚目までこなす、幅広い演技の持ち主であったが、彼本来の持つ素養が“明るすぎる”ため、ヴィスコンティの映画のディテイルと相反してしまっていたのだろう。(一方で、フェリーニ作品では光り輝いていた)
    『異邦人』の後に「プッチーニ伝」に出演する話も有ったが、こちらの作品は企画が流れて実現することはなかった。visconti07

    ヴィスコンティは、彼の映画を見事に表現する俳優に出会う。
    その俳優の名前はヘルムート・バーガー。
    彼は、ヴィスコンティのババリア三部作のうち『地獄に堕ちた勇者ども』、『ルートヴィヒ 神々の黄昏』の二作品に主演し、続いて『家族の肖像』にも重要な役として出ている。
    彼は、その美しさ以上に妖艶という言葉、狂気と薄気味悪さを醸し出している。
    バーガーの資質もヴィスコンティに引き出され、上記の作品の中に息づいた。
    それ以外の彼は、過去の栄光にしがみつくだけと言えよう。

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    『家族の肖像』では、アメリカ人で既にハリウッドでも成功を収めたバート・ランカスターを主演に据えた。
    これは彼の俳優としての能力(既に『山猫』でも実証済み)を認めた、ヴィスコンティの要望でも有る。
    この作品では、主役の教授にヨーロッパからアメリカに渡った、学者や芸術家の特徴を出したかった意図が有るように思われる。
    その時にランカスターの知的な雰囲気と、そしてアメリカとヨーロッパの雰囲気を併せ持つ彼を必要としたのだろう。

    ヴィスコンティの映画の中の女性像は、彼の母親の姿が色濃く反映される。
    それは強く自立した、そして美しい女性像でも有る。
    当然、貴婦人としての資質が求められる。
    『夏の嵐』で、期待以上の演技を魅せたアリーダ・ヴァッリや『地獄に堕ちた勇者ども』のイングリット・チューリン、『ベニスに死す』と『家族の肖像』のシルヴァーナ・マンガーノらは、ヴィスコンティの母、ドンナ・カルラを思わせ、そこには威厳に満ちた美しさを感じさせた。
    それにしてもヴィスコンティの配役は妙である。
    単に演じる配役に相応しいキャラクターを世界中から集めてくる。
    キャリアや国籍は、そこには存在しない・・・。
    シルヴァーナ・マンガーノにしても映画『にがい米』での野性的グラマー女優として世界を一世風靡した。
    ドイツ・ポルノのヒロインだったラウラ・アントネッリを貴婦人に仕立てた。
    マリア・シェルやロミー・シュナイダーにしても、既に地位を持っていたにも関わらず、それまでの作品の役柄とは全く異なった役で一段と輝いてみせた。
    ヴィスコンティの描く女性の中で、貴婦人と対象をなす庶民の女性も見事に描ききっている。
    代表的な例が『山猫』、『熊座の淡き星影』のクラウディア・カルディナーレである。
    未だ大女優と呼べない彼女をこの2作品で見事に開花させてみせた。
    元々彼女に有る、庶民的な親しみ易さの他に、重みの有るそして獣的な美しさを引き出して見せてくれた。

    ヴィスコンティは『夏の嵐』では、イングリット・バーグマンとマーロン・ブランドで行く予定で有った。
    バーグマンに関しては、夫のロッセリーニの反対により、ブランドは既にハリウッドでの地位が有り映画会社などの反対により実現しなかった。
    ただバーグマンの代役のヴァッリの熱演のお陰で救われた部分も有るが・・・。
    ヴィスコンティは言う「私は俳優の個性をそのまま生かしながら登場人物を描き、掘り下げて行く」と・・・。

    ドイツ三部作「地獄へ堕ちた勇者ども」から
    遺作「イノセント」まで

    新宿シネマ・カリテ(2016年7月改装中の新宿武蔵野館)にて、ヴィスコンティ特集が開催された(1999年4月)。
    上映されたのは『ルートヴィヒ(復元完全版)』、『イノセント』、『ベニスに死す』、『家族の肖像』、『地獄に堕ちた勇者ども』 の5作品(上映順)で有る。
    この作品は、ヴィスコンティの最後の5作品で、製作順に並べると『地獄に堕ちた勇者ども』→『ベニスに死す』→『ルートヴィヒ(復元完全版)』→『家族の肖像』→『イノセント』となる。
    『地獄に堕ちた勇者ども』から『ルートヴィヒ(復元完全版)』の3作品はゲルマニア三部作(もしくはドイツ三部作)と呼ばれるもので、『イノセント』は言うまでもなくヴィスコンティ最後の作品、遺作である。

    ヴィスコンティは『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(’42)で映画監督としてデビューするが、当時の評価としては、イタリアのネオ・リアリズモの旗手として注目されている。
    その次の作品『揺れる大地』で決定的となる。
    が、『夏の嵐』では、オペラの表現手段を大胆に映画に取り入れること、そしてイタリア統一戦争を背景とした政治的意図を挿入すると言った、後の作品への移行が見られる。

    ヴィスコンティの作品には、ある種の頽廃が常に描かれている。
    その頽廃と政治的意図の結合が初めてなされたのが、ゲルマニア三部作の第一作『地獄に堕ちた勇者ども』で有る。
    製作年度の時系列で見ると『地獄に堕ちた勇者ども』から『家族の肖像』までの作品は、明らかに政治的なものが強く作品の中に見ることが出来る。
    当然、検閲に依って変更を余儀なくされた『夏の嵐』やイタリア統一戦争を描いた『山猫』に於いても政治的な描き込みもされているが、それよりもむしろ、ある階級の世代的な衰退を描いてるに過ぎない。
    これらの作品は、後のヴィスコンティ作品の序章に過ぎないとも言える。visconti08

    上記に書いた(『地獄に堕ちた勇者ども』から『家族の肖像』)4作品は、以前観た時の印象よりも政治的な意味合いを作品の中に見ることが出来た。
    これは以前観たときよりも、観る側(私)の中で政治への関心や知識が増えた事によるものと思われる。
    ヴィスコンティは、言うまでもなくイタリアの貴族階級出身の人物である。
    後にファシストに対するレジスタンス活動などから“赤い貴族”と呼ばれることになる。
    しかしイタリア貴族と言いながらも彼の出身は北部であり、彼の家系の歴史の大半はオーストリア帝国に支配されていた時代のものである。
    その事は、彼にドイツへの関心を駆り立たせる要因であることは間違いないだろう。

    『地獄に堕ちた勇者ども』は1969年の作品である。
    ヴィスコンティは、もっと早く作られるべき作品と言っている。
    何故、この作品がこれ程までに遅く出来上がったか...
    これは個人的な推測でしかないが、ゲルマニア三部作の根底にあるのは、ゲーテから始まるロマン主義、それはトーマス・マン、ニーチェ、ワグナーへと繋がるロマン主義と民族主義の統合、その結実した姿のナチズム、この経緯をヴィスコンティの中で、確固たる思想体系にする事に時間を要したのではないだろうか?
    『地獄に堕ちた勇者ども』では、ナチズムそのものを描こうとしている。
    そのナチズムとは何か?『地獄に堕ちた勇者ども』では、これを見事に描いてみせた。visconti10


    『地獄に堕ちた勇者ども』
    から時代は遡って、『ベニスに死す』が、この後、製作される。
    ドイツの精神的な表現者だったトーマス・マンの小説の映画化である。
    作品そのもののテーマは“美”そのものである。
    しかし、そこにあるものは間違いなく“美”が持つ悪魔的なものを描き、それが第一次世界大戦前夜の時代性を内在させている。
    この事自体を映画そのものから読み取る事は、私や(ヨーロッパの専門的な知識を持たない)日本人には不可能かもしれないが...。
    『ベニスに死す』はトーマス・マンの小説であるが映画『ベニスに死す』は、トーマス・マン自身やマーラー、そしてワグナー等のロマン主義派の自在する人物を、戯画化して映画に投影させている。
    それはドイツの精神的な変遷を描いているとも言える。visconti09

    そして、更に時代は遡り『ルートヴィヒ(復元完全版)』が製作される。ルートヴィヒが社会に否定され、プロイセン(後のドイツ帝国)に吸収される事は、それまでのドイツ文化の崩壊を示す。
    そこに描かれる政治的な意味合いは、ある階級が時代から取り残され、崩壊していくこと以上に、ルートヴィヒが愛した文化的なものが、時代によって、もちろんそれはドイツと言う枠の中で否定されていく課程が描かれる。
    ルートヴィヒのバイエルン王国の首都はミュンヘンである。
    バイエルン王国の崩壊は、後に民族主義の温床となり、更に伝統的なロマン主義との結合が容易い地となり、ナチスの発祥の地となる。
    そのきっかけがルートヴィヒの死であり、バイエルン王国のドイツ帝国への統合であった。

    ヴィスコンティがゲルマニア三部作で退廃的とも言える、芸術とそれに溺れ行く人々を描いたのは、それ自体が時代性であったとも言える。
    ヴィスコンティが描く、美しい世界が魅力であれば有るほど、そしてそれに魅了されることは、悪魔との契約とも言える。
    ヴィスコンティは『ルートヴィヒ(復元完全版)』の撮影終了後、過労のため倒れる。
    性も根も尽き果てた、彼が映画と言う枠を超えて描きたかった世界を描ききった、その終焉を示すように...visconti11

    『家族の肖像』は、映画自体が製作された1974年に近い時代の事を描いているように思われる。
    この作品でも、政治的な意図が散りばめられる。
    共産主義とブルジョワ的資本主義で有る。
    主人公の教授は人間関係からの逃避、と同時に人間関係が生む、思想的な対立からの逃避がそこには見受けられる。
    ただヴィスコンティが、この作品で政治的意図をどこまで盛り込んだかは少し疑問が残る。
    ここでは以前のヴィスコンティ作品のような、人間の内面的な描写“欲望”と言うものを描いている。


    『イノセント』
    に於いては、ヴィスコンティの遺作であるこの作品で、今までの彼の作品以上に瑞々しく美しい作品となった。
    描かれているのは、嬰児殺しで有り“愛”と“独占欲”と言う“欲望”で有る。
    そこには政治的な意図は薄く、むしろ人間そのものを、美しい映像と甘美な音楽で描いている。
    ヴィスコンティ自身も死が近づき、政治的なものから解放され、もっと身近なものに固執したのではないだろうか?visconti12

    ヴィスコンティの作品を語るとき、ヴィスコンティ自身を含め、ホモセクシャル的な表現が随所に見ることが出来る。
    が、以前観たときよりも、その印象は確実に薄らいでいる。
    それは私の居る現代が、性的な事においてより解放されているからかもしれない。
    それは10年前と比べても進歩?している。
    個々の作品で見た場合、『地獄に堕ちた勇者ども』の突撃隊暗殺の“長いナイフの夜”事件(突撃隊の歌「われらは長きナイフを磨かん」からとった、1934年6月30日のヒトラーの親衛隊による突撃隊粛正の事件を言う)で、ヴィスコンティはその物語とは違うも話として、挿入しているような錯覚に陥らせる作りをしている。
    ここでは突撃隊のメンバーが男色に走り、そこを襲撃されて破滅していく。
    この男色の表現は、決してヴィスコンティの趣味だけで描かれたものではない。
    この時代に男色は肯定されていたものであり、美徳として容認されていたからだ。
    事実、突撃隊では男性の同性愛的要素によって団結の絆を強めていた。
    ナチズム運動の中にも、同性愛的要素が見受けられた。
    これはドイツの民族主義、ロマン主義の恥部であり、ヒトラーはそれを自ら取り除くことで、突撃隊を否定する口実とした。
    また『ベニスに死す』で、音楽家アッシェンバッハが美少年を追い回す事が、ホモセクシャル的ニュアンスを含むとしているが、これに於いても少年自体に対する性的欲求と言うよりも、“美”の象徴として描かれている、と私は解釈している。
    ただ娼婦のシーンの回想と重ね合わせる時、美の追求と堕落として、その先に存在するものが性的なもので有る、これも決して間違いではない。そう、この美少年こそが悪魔なのである。
    『ルートヴィヒ(復元完全版)』に於ける男色のシーンは、ルートヴィヒ自体が男色で有ることが、歴史的な事実として有る以上、作品の中には性的なもの以上のものを、ヴィスコンティは描こうとしている。
    『家族の肖像』においては、教授とコンラッドの関係において男色的な意図を読み取るのは、少し無理が有るように思われる。
    むしろ親子の愛情に近いものを感じる。
    『イノセント』に於いて、主人公が妻の不倫相手の裸を見つめるシーンを持って男色的な意図とするのも、同様に無理が有る。
    これは男女の関係に於ける性的能力を比較したいと言う、男性の屈折した心情の現れだろう。
    19世紀から20世紀初頭にかけて、同性愛はある種の美徳を持っていた(いや、それ以前からかも?いや今でも?)。
    芸術に於いて、文化に於いて、女性は男性を誘惑しその活動する能力を奪う存在で有る、乱暴だろうか?...そう言った考え方が有ったとしてもおかしくはないのではないか?

    イタリア映画界の巨匠と言えば、ヴィスコンティと並び称されるフェデリコ・フェリーニの存在が有る。
    もちろん、ビットリオ・デ・シーカやロベルト・ロッセリーニと言った存在も有るが...。
    フェリーニは市民の出で有り、そこに描かれる世界は市民の生活の場で有る。
    一方、ヴィスコンティのは貴族出身であり、そこに描かれるのは(初期の作品は別にして)有る一定階級の人々である。
    貴族的なもの、それは描かれている背景そのものより、描く際の視点がフェリーニやその他の監督達と違うのである。
    そこにはヴィスコンティ自身が貴族であることの奢りは見ることは出来ない。
    映画を観てヴィスコンティが貴族であることが判るのは、その調度品、大道具、小道具の使い方の手慣れた部分だけである。

    ヴィスコンティの最後の5作品の最大の特徴は、甘美であり、退廃的である。
    その両方が常に存在している。
    そこに有るものが政治的なものであったとしても、人間の内在するものであったとしても、ヴィスコンティの描く世界が、魅力的であればあるほど、そこには(悪魔的)堕落があると言える。

    改めて、映画館の大画面(当時のシネマ・カリテの画面は、実際それ程大きくないが)と大音響の中で、酔いしれてしまうのは、ヴィスコンティの世界の深さと広さに有る。

    ルキノ・ヴィスコンティの生涯についてはこちらから

  • イタリアの巨匠  ルキノ・ヴィスコンティの生涯、バイセクシャルが描く表裏の世界

    イタリアの巨匠 ルキノ・ヴィスコンティの生涯、バイセクシャルが描く表裏の世界

    イタリアの映画界の至宝

    ルキノ・ヴィスコンティ

    彼はイタリアの映画界の至宝で有ると同時に、ヨーロッパ文化の至宝でも有った...
    彼は、自分の出生でもある貴族階級と、新しい時代の狭間にあり、その苦悩と、そして官能を、映像の中に描き続けた。

    ヴィスコンティ自身がバイセクシャルであり、フランコ・ゼフィレッリやマルチェロ・マストロヤンニ、アラン・ドロン、そしてヘルムート・バーガーを愛した。
    本人は若い頃からの美男子で、彼を見出したのはパリ社交界の花・ココ・シャネルであるから、女性からも相当モテたことも想像できる。
    また貴族の出自で、イタリアのリゾート地コモ湖畔にも城を持つほどでありながら、一時期は共産主義に傾倒していく経歴を持つ。

    ヴィスコンティ自身は、男と女、富と貧しさ、そして美と醜さの両面を見つめ、そして映画に昇華させた監督であった。
    貴族としての血と共産主義者として独裁政治と戦う情熱と言う、真逆とも言える行動が、男女を超えた美への執着なのかもしれない。

    ルキノ・ヴィスコンティ -作品と演出- はこちら

    そして・・・

    ヴィスコンティ生誕110年 没後40年メモリアル、第二弾!

    -イタリア・ネオレアリズモの軌跡- 公式サイトはこちら

    『若者のすべて デジタル完全修復版』 上映中 ← 上映終了
    『郵便配達は二度ベルを鳴らす デジタル修復版』 2017年1月7日~ ← 上映終了
    『揺れる大地 デジタル修復版』 2017年1月21日~ ← 上映終了

    2016年12月24日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開

    私にとってのルキノ・ヴィスコンティ

    Luchino Visconti
    彼の作品は、何かを訴えかけてくる。
    まず、その映像に圧倒される。内容は判るが、彼が何をこの映画で語ろうとしているのかが、その場ですぐは判らない。
    でも、観た後の何とも言えない、身体の中をえぐられるような感覚は、彼の作品ならではのものでもある。
    ここでは、少しでも、彼の作品で何を伝えたかったのか?を解明したいと思う・・・

    ルキノ・ヴィスコンティ 基本情報

    ルキノ・ヴィスコンティ Luchino Visconti

    1906年11月2日イタリア ミラノ生まれ-1976年3月17日イタリア ローマ没 享年69歳

    イタリアの映画監督、脚本家、舞台演出家、貴族(伯爵)

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    ルキノ・ヴィスコンティの生涯

    ルキノ・ヴィスコンティの経歴

    彼の祖先は、イタリア国王家以上に古く、イタリア・ルネッサンスの歴史にも深く関わっている。
    八世紀から始まり、十二世紀になると、ヴィスコンティ一族の名が、ミラノを中心とした地域に散見されるようになる。
    ヴィスコンテとは、イタリア語で子爵で有り、複数形のヴィスコンティがそのまま家名となった。
    1800年代に侯爵の称号を譲られ、更に、オーストラリア行程に承認され、今日までに至っている。
    ルキノの母方の祖父ルイジは、大作曲家ヴェルディの親友であり、本人もまた、優れた音楽家でもあった。
    ルキノの父ジュゼッペは、コモ湖にある別荘で、ルキノの母、カルラと出会い、1900年に結構する。
    カルラは、ミラノ社交界随一の美女であり、類い希な知性の持ち主でも有った。
    その中で彼、ルキノは誕生する。1906年11月2日のことである。

    Luchino Visconti

    当然の如く、彼への教育は、典型的な貴族のそのものであった。 20歳になる頃は、乗馬に熱を上げ、騎兵教育を受けている。
    同時期に父侯爵がミラノ芸術演劇座を興している。ルキノと演劇との関わりが、ここから始まる。
    そして、彼にとって一つの転機が訪れる。
    それは、イギリスを旅行し、パリに訪れたときである。
    パリで、上流社交界に顔を出したルキノは、劇作家アンリ・ベルンスタイン、詩人ジャン・コクトー、舞踏家セルジュ・リファール、作曲家クルト・ヴァイルなどの文化人と知り合うが、もっと重要なことは、彼を後に、映画界に導くことになる、ココ・シャネルと知り合ったことだった。

    彼は、パリの映画に魅せられた・・・
    エーリッヒ・フォン・シュトロハイムの『結婚行進曲』、ジョゼフ・フォン・スタンバーグの『嘆きの天使』、レゴーシンの『孤帆は白む』などに強い感銘を受けた。
    彼は、早速、撮影機を買って映画作りをはじめた。
    その話を聞いて、ココ・シャネルが、自分の友人でも有る、ジャン・ルノワールを紹介した・・・’36年の夏のこと。
    ルキノは、ルノワールの『ピクニック』の助手を手始めに、『どん底』、『大いなる幻影』の準備も手伝った。
    また、ルノワールとその仲間達は、フランス共産党員であり、ルキノの政治的な開眼にも大きな影響を与えた。
    後に“赤い貴族”と言われる所以である。

    ルノワールがローマでサルドゥーの『トスカ』を映画化しようとした時、ローマのロケ・ハンは、ルキノが案内していたものの、第二次世界大戦で、ルノワールは、フランスに戻る。
    この後を引き継いだものの映画化にはたどり着けなかった。
    この頃、いくつかの脚本を執筆しているが、映画化されていない。
    また、ミラノからローマに移住するが、死ぬまで、故郷のミラノの地に戻ることはなかった。

    映画批評誌“チネマ”誌上で、初めての論文“死体”を発表、旧態依然のイタリア映画界を攻撃し、新しい方向、“リアリズム”の方向性を明確にした。
    この論文は、ルキノ・ヴィスコンティの名前を反体制の若者達の間で、一躍有名にした。
    かねて、ルノワールに薦められていたジェイムス・ケインの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(日本語題名)を脚本化、後に『妄執』(イタリア語原題)と変えられ、映画化された。
    1942年、検閲、カットを強いられる中、完成、公開までたどり着いた・・・これが、彼のデビュー作となる。
    その頃、ムッソリーニが失脚、ドイツ軍がイタリア占領、ルキノの反ファシストとしての闘争が始まる。

    戦後、彼は、演劇の世界に身を置く。
    彼は、数多くのオペラ・演劇の演出を手掛ける。
    もちろん、これらの舞台手法が、彼の映画作品にも、影響を与えていることは、言うまでもない。
    ’54年には、マリア・カラスを主演にしたオペラ「ラ・ヴェスターレ」を演出し、オペラ界への進出も果たした。
    カラスとの友好もここから始まった。
    その後の映画界での活躍は、次に紹介する。
    その中で、彼は、「ルートヴィヒ 神々の黄昏」の撮影が終わり、編集に入る直前の’72年7月27日の夜、ローマのホテルで、心臓血栓の発作に倒れる・・・
    半年の闘病生活の後、編集を終わらせ、公開にこぎ次ぐ。
    彼は、車椅子での生活が始まり、それを気遣った周りの人々が、全てセットで、「家族の肖像」を完成させる。続く、「イノセント」を完成させ、ダビングの最中の1976年3月17日に自分の部屋で、亡くなった・・・

    ルキノ・ヴィスコンティ

    ルキノ・ヴィスコンティ・・・・・
    英知の人、その偉大な仕事によって祖国の、ヨーロッパの、世界の芸術の、映画の、演劇の歴史を30年以上ものあいだ背負った人
    われわれは忘れない
    彼が、レジスタンスでの戦闘的な反ファシストであったことを
    そして、労働階級とその闘争に
    つねに心からの連帯と忠誠を表明し続けたことを・・・・・

    ヴィスコンティの死に際して、ローマ市中の移籍の壁に張り出されたポスター

  • One Day - Giveの5乗が人をつなぐ

    One Day - Giveの5乗が人をつなぐ

    ギブ・アンド・テイクとは?

    私はワールド・ビジョン・ジャパンと言うNGO団体を通じて子供の支援をしています。

    それは既に書いたことなので、「子供を救うわけ」を読んでください。

    その団体の中で、事業を成功させ、その収益の一部で最貧国で学校を建ててる人たちに出会いました。

    ジースプレッド

    その一人がジースプレッドの代表を務める若尾さん。

    5月24日まで大丸東京店の1階でイベント販売をされていました。
    そこにはボランティアで、お手伝いに来ている人々もいました。
    私も、山形の友人が、若尾さんと話がしたい!と言う想いだけで新幹線日帰りで来ました。

    世界中で同じような取り組みをされている人たちがいる、と言う話を沢山聞くことができました。
    私のやっている一人の子供を支援する、と言う小さな一歩の積み重ねが、世界から少しでも貧富の差を失くして、子供が幸せな世界を夢見ることができればと思っています。
    若尾さんとの話で印象的だったのは、日本の子供たちよりはるかに貧しい子供たちが学校で勉強ができることで生き生きとしている!と言う話。
    幸せって、お金だけでは計れないものがある・・・

    なら、先進国で幸せを享受している自分たちが少しでもギブすることは、いずれその国や人々からテイクが有るのかもしれない。

    自分が得る利益よりも多くを人に与える人をギバーと呼び、
    自分が与えた量よりも多くの利益を得ようとする人をテイカーと呼び、
    自分と相手の利益を同じにバランス良くしようとするものをマッチャー

    と呼ぶらしい、ホント?
    でも、これは呼び方は別として、成功と失敗が多いのはギバーで有ると言う点。
    当たり前ですが、マッチャーは大きな成功もないが失敗もしないタイプ。
    テイカーは、最初は成功するが、常にWin-Loseの人間関係を作ってしまうため、長く続くか?と言うところがポイント。

    ではギバーが成功するためには、逆に言うと失敗しないためには?
    失敗するギバーは、得るものより与え過ぎてしまうため「人に騙されやすい」「人が良い」人になってしまうこと。
    それを避けるには、自分の目的(ゴール)を明確にして、成長を意識しつつ自分の軸を作りながら進むことができる人。

    7つの習慣

    スティーブン・R・コヴィー著の「7つの習慣」と言う名著がある。
    ギバーが成功するためには・・・この本を読んで、と言うことで省略。

    完訳 7つの習慣 人格主義の回復 — Amazonで見る

    とは不親切なので、これだけは書いておきます。

    ◆インサイド・アウト
    優れた人格を持つこと、それには・・・

    ◆私的成功
    第一の習慣:主体性を発揮する
    第二の習慣:目的を持って始める
    第三の習慣:重要事項を優先する

    ◆公的成功
    第四の習慣:Win-Winを考える
    第五の習慣:理解してから理解される
    第六の習慣:相乗効果を発揮する

    ◆再新再生
    第七の習慣:刃を砥ぐ

    Giveの5乗

    これは経済評論家 勝間和代さんがよく話される言葉です。

    そう言えば、最近ドラマになったマンガ「重版出来」の中でも”運を貯める”ために、毎日少しずつ良いことをする、と言う話がありました。

    重版出来!(1) (ビッグコミックス) — Amazonで見る

    少しずつ運を貯めることで、本を重版出来ができる!と言うもの。
    成功のために、運をためていく、そのためには日々少しずつ良いことをする!

    話がジースプレッドさんに戻ります。
    若尾さんが、アメリカで凄い人がいて、その人が作った映像があると教えてくれました。

    orly wahba オルリー・ワバ

    ライフベスト・インサイドというニューヨークの小さな非営利団体の代表 オルリー・ワバ(orly wahba)さん。その映像がこちら。

    実はGiveの10乗?

    「7つの習慣」から

    人格は繰り返す行動の総計である。
    それゆえに優秀さは単発的な行動にあらず、習慣である。

    私にはたくさんの夢があります

    40歳を過ぎるまでは、お金を稼ぐことが夢でした、お金があれば何でも叶うと。
    でも実際、そこまでお金は稼げませんでした、これは資本主義なので仕方がありません、何万分の1の幸運を掴んで金銭的な成功をつかむか、親から引き継いだ資産を増やしてより大きなお金を得るか?
    です。

    今はお金は大切ですが・・・自分が死んだ時に周りにどう思われたいか?
    死んだ後のことなんて!と思う人は、死の淵の床についた時、やり残したことはなにか?その時後悔しない生き方とは?

    40代になってから映画をプロデュースしました。
    それまでIT業界と言う全く違う業界から、突如、映画を作りました!
    運に恵まれて3つの商業映画を公開することができて、その他の自主映画にも関わることもできました。

    でも、自分の企画で映画を作ったことはありません、たくさんアイディアがあります。
    その一つは、最貧国を支援するNGO団体で働くカップルの物語です。

    物語、エッセイ、体験談を探しています!

    最貧国を支援するNGO団体や自ら最貧国で学校建設や子供たちの支援に関わっている人たちとたくさんお話しをしたいです。

    私は映画に希望を持っています!「作られたもの」ですが、ドキュメンタリーにはできないこともあります。
    物語として、映画として、最貧国の現状とそれを助ける人々の姿を描くのが夢です!

    映画は独りではできません、物語を一緒に作って行ける仲間を探しています。

    今回、「やさしさ」をいただいたジースプレッドさんのホームページを是非

    最後に、コンセプトムービー。
    若尾さんが私と同世代だからなのか、ベッド・ミドラーの主演映画で彼女の名曲「The Rose」が使われます。
    私も大好きな映画で曲です、愛にあふれています。

  • 映画『グッド・ウィル・ハンティング / 旅立ち』 人生の選択をする時に見たい傑作

    映画『グッド・ウィル・ハンティング / 旅立ち』 人生の選択をする時に見たい傑作

    映画『 グッド・ウィル・ハンティング / 旅立ち』

    GOOD WILL HUNTING

    GOOD WILL HUNTING 127分 アメリカ 1997年

    あなたに会えて、 ほんとうによかった。

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    脚本の素晴らしさが圧倒的!

    自分がこの先、どこへ向ったら良いか迷っている人に、人生の選択に必要なものは?と言うのを気付かせてくれる作品です、青春映画の傑作。

    当時、未だ無名な二人の若者、ベン・アフレックとマット・デイモンが脚本を書いて(しかも初めての映画化!)、『ドラッグストア・カウボーイ』で長編映画デビューしたガス・ヴァン・サント監督が映画化、主演は脚本を書いたマット・デイモン自ら演じ、助演には今は亡きロビン・ウィリアムズ(2014年没)が出ています。
    ロビン・ウィリアムズはこの作品でアカデミー賞助演男優賞を受賞しています。

    アメリカから良質の青春映画が生まれた、なんと言ってもベン・アフレックとマット・デイモンの脚本が素晴らしいし、ガス・ヴァン・サント監督の演出も良い、若手のマット・デイモンの演技を受け止めたロビン・ウィリアムズの演技も素晴らしかった。

    物語は、貧乏な青年が肩肘を張って周りの人を拒絶して、幼なじみたちとだけつるむ、一見、どこにでも有りそうな内容で、また彼には暗い過去も存在する、これもありきたりな気がする。
    しかしその主人公は天才的な数学的才能を持ち、その才能を見つけた教授も手に負えず、彼を救うべく人間味溢れた精神科医が現れる。
    テーマやモチーフも優れているし、こんな物語を思いついたのも凄いと。

    これだけ面白く感じられたのは、本物の若者(出演者でも有るマット・デイモンとベン・アフレック)が脚本を書いたからであろう。
    彼らの才能はもちろんだが、等身大の若者がそこに描かれているからこそ、変な飾り気が無くて良い。
    もちろん、主人公のウィルを過去のトラウマから解き放つ大人達の悩みも描かれている。
    しかし、その話自体とは良い距離を置いて描かれている、そこにしつこく感動を求める節もない。

    この脚本の凄さは伏線の張り方が素晴らしい点、そしてちゃんと回収している。
    セリフが素晴らしいのも有る、だからこんなに感動で泣ける、そして笑える。

    患者のマット・デイモンと医師のロビン・ウィリアムズが、過去に虐待の過去があるマット・デイモンに、常に同じ目線で「君が悪いんじゃない」と言い続けるロビン・ウィリアムズの姿が印象的、離れていた2つの心が静かに近づいていくシーンが感動的!

    この映画の一番の成功は、そこに出てくる人々全ての成長を描いている点。
    当然、主人公のウィルを中心にしていることには間違いないが、それを取り巻く人々が見事に描き出されている。

    ラストは、ウィルが旅立って行く。
    オープニングに、本を読むウィルを親友が迎えに行くと大学構内の清掃の仕事へと繋がる。
    これが後半「なぜ彼は敢えて大学の清掃員になったのか?」と繋がっていく。
    そこで難問を解いて、幼なじみたちとリトルリーグを見るのも、後半への伏線と共に、彼の今の人生を象徴してる。
    オープニングの毎朝迎えに行く日常が、後半「毎日、今日こそはお前がいなくなってるのでは?と楽しみにしている」と言うセリフに繋がっている。
    ラスト近くでベン・アフレックが迎えに行くと、マット・デイモンが旅立った後でいなくなっていると言うシーンに繋がる・・・
    そこには彼が何か目的を見つけた訳ではない、数学の道を捨てて彼女のもとに向かう、と言うエンディングだけど、彼自身、まだまだ若いから彼女を迎えに行ってかも、無限の可能性がそこには有る。
    未来や未知の世界に一歩踏み出す勇気が大切であることを訴えかけてくる。

    ウィルの彼女役のミニー・ドライヴァーは、決して美人とは言えないが、映画の中での彼女の成長ぶりと、次第に可愛らしい女性に変わっていくさまも楽しい。

    アメリカの作品らしい、前向きで清々しい作品になっている。

    私的『グッド・ウィル・ハンティング / 旅立ち』

    テーマが有るか?共感できるか?

    人生に迷った時に青年は何を思うのか、人は何を目指して生きるのか?それを実感できる。

    またこの頃のアメリカの中流白人層が崩壊していることが判る。
    それでも、アメリカにはまだ可能性があるということを暗示して終わる。

    作り手の強い意思を感じるか?

    今やハリウッドにはなくてはならない二人、マット・デイモンとベン・アフレックの実質的なデビュー作にして、脚本でその才能を開花させた作品。
    二人の強い絆=友情を作品から感じ取れる。

    俳優の意思や演技力が伝わるか?

    俳優が作り手でもあり、マット・デイモン、ベン・アフレックが素晴らしい。
    それ以上に演技と言う点で、コメディだけではなくシリアスな役に徹したロビン・ウィリアムズの演技は秀逸。

    映画らしい楽しさが備わっているか?

    一つの街、狭い世界から最後に旅立つシーンを観るだけで映画としての素晴らしさを感じる。

    エンターテイメント性

    天才が実は・・・と言う展開から青春映画として成立している。

    青年の青春だけではなく、成長して心を開いていくのと同様に、カウンセリングしている側も自分の過去の妻の死を乗り越えていく姿と重層的に描いている。

    2時間の枠に織り込んだ物語が素晴らしい。

    演出が素晴らしいか?

    ガス・ヴァン・サント監督の最高傑作の一つ、ナイーブな若者の心情を描かせるとこの監督以上の演出ができる人は少ない。

    この映画の中盤(2時間の作品ちょうど1時間を経過したあたり)に、劇的な心情の変化がある。
    ロビン・ウィリアムズ演じるマクガイヤ先生がウィルを診察するシーン。
    それまでお互いに押し黙っていたが、ウィルが話し始めると、呼応するようにマクガイヤ先生は、亡くなった妻の思い出話をする。
    その時に、カメラがマクガイヤ先生とウィルの表情を交互に写すが、イマジナリーラインを超える。
    「妻が寝ていると自分のオナラで目を覚ます」と言うとウィルが心から笑い始める。

    イマジナリーラインを超えることで、二人の関係が大きく変わったことを映像的に表現している素晴らしい1シーン。

    脚本が素晴らしいか?

    若者二人が書いた脚本が素晴らしい、テーマが一貫していて、しかもモチーフ(天才の青年と精神科医)もユニークで、しかも話が互いに傷つきながらも再生していく、2つのドラマが絡み合っている。
    前半の伏線が見事に後半につながっている。

    この物語の着想は、インドの天才数学者・ラマヌジャンにあるようだ。
    (ラマヌジャンを描いた映画『奇蹟がくれた数式』 『グッド・ウィル・ハンティング』の基になった物語はこちら)
    前半で、手に負えないウィルのカウンセリングを、ランボー博士がマクガイヤ先生に、レストランで依頼をすると言うシーンがある。
    そのシーンで、ウィルを表して彼の天才ぶりは「ラマヌジャン以上だ」と言う。

    前半、ベン・アフレックがマット・デイモンを毎朝迎えに行くが、ラストは迎えに行ってもいない、それは彼が人生の選択をして旅立って行くことの伏線になっている。

    何度も見たくなるか?

    爽やかな青春映画を繊細に描いている、前向きにさせてくれて心に残るものを感じさせてくれる。
    そして、なんと言っても、映画としての演出も脚本も楽しませてくれて、見る度に新しい発見のある映画。

    映画『グッド・ウィル・ハンティング / 旅立ち』のデータ

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    監督■ガス・ヴァン・サント
    製作■ローレンス・ベンダー
    脚本■ベン・アフレック/マット・デイモン
    撮影■ジャン=イヴ・エスコフィエ
    コスチュームデザイン■ベアトリックス・アルーナ・パストール
    美術■メリッサ・スチュワート
    編集■ピエトロ・スカリア
    音楽■ダニー・エルフマン
    主題歌■エリオット・スミス
    出演■ロビン・ウィリアムズ/マット・デイモン/ベン・アフレック/ステラン・スカルスガルド/ミニー・ドライヴァー/ケイシー・アフレック/コール・ハウザー/スコット・ウィリアム・ウィンタース

    ■アカデミー賞1997年
    作品賞ノミネート
    主演男優賞ノミネート マット・デイモン
    助演男優賞授賞 ロビン・ウィリアムズ
    助演女優賞ノミネート ミニー・ドライヴァー
    監督賞ノミネート ガス・ヴァン・サント
    脚本賞授賞 マット・デイモン/ベン・アフレック
    主題歌賞ノミネート エリオット・スミス “Miss Misery”
    音楽賞(オリジナルドラマ)ノミネート ダニー・エルフマン
    音楽賞(オリジナル・ミュージカル/コメディ)ノミネート ハンス・ジマー
    編集賞ノミネート ピエトロ・スカリア
    ■ベルリン国際映画祭1998年
    銀熊賞(貢献賞)授賞 マット・デイモン 脚本と演技において
    ■ゴールデン・グローブ1997年
    作品賞(ドラマ) ノミネート
    男優賞(ドラマ)ノミネート マット・デイモン
    助演男優賞ノミネート ロビン・ウィリアムズ
    脚本賞授賞 マット・デイモン/ベン・アフレック
    ■放送映画批評家協会賞1997年
    作品賞ノミネート
    オリジナル脚本賞授賞 マット・デイモン/ベン・アフレック
    ブレイクスルー賞授賞 マット・デイモン

    【解説】
     深い心の傷を負った天才青年と、同じく失意の中にいた精神分析医がお互いにあらたな旅立ちを自覚して成長してゆく姿を描く感動のヒューマン・ドラマ。
     ボストンに住む青年ウィルは、幼い頃から天才ゆえに周囲から孤立していた。だが、彼の才能に気付いた数学教授のランボーは、ウィルに精神分析医のショーンを紹介する。ウィルはショーンにしだいに心を開いてゆくが、彼の才能に気付いた政府機関や大企業が接近してくる。(映画データベース – allcinema より)

  • 映画『百円の恋』 人生の転機!頑張る!!日本版女ロッキー

    映画『百円の恋』 人生の転機!頑張る!!日本版女ロッキー

    映画『百円の恋』

    百円の恋

    呆れる程に、痛かった。

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    人生、どこでやる気を起こすか!

    『百円の恋』を観てきました!(気合w)
    2014年の年末、ギリギリ映画館に滑り込んで見てビックリしました!
    こんなに勇気をもらえる映画に出会えるなんて。

    周南映画祭で創設された脚本賞“松田優作賞”の第1回グランプリに輝いた足立紳さんのオリジナル脚本を映画化した作品で、東映ビデオが出資をしているみたいで、単独だからインデペンデント映画なんだと思う、これが重要。

    実家にひきこもって自堕落な生活をする32歳の女性が、仕方なく一人暮らしをする始め、仕方なく100円ショップでアルバイトを始め、そんな中ボクシングジムで知り合った男性と付き合い始めて、自らもボクシングジムに通い始める・・・

    前半の安藤サクラさん演じる主人公・一子のグタグタ感が半端無く、作品もダラダラとした日常を描き続ける。
    女を捨てた三十路女、アルバイトをしてもまともな接客も出来ず、アルバイト先の同僚に処女をレイプで奪われてしまう。
    そんな日常を描いて作品はどこへ向かうのか?と不安になるが、それは後半のカタルシスのために必須だったことが判る。

    後半は、一転してボクシングにマジに取り組んでいく一子の姿を描く。
    それが、何か一念発起して!とかではなくて、なんとなくカッコ良さそう~とか、男にフラれたからと言う動機、でもその本気度は本物!

    ここからの安藤サクラさんの迫力が凄い!演技なのか?本気なのか?
    ブヨブヨの身体が引き締まって、顔も一回り小さくなっている。
    (あとで聞いたら、撮影を2度に分けたらしい)
    マジで日本版ロッキー!一気に胸を熱くさせられる。

    最後に「エイドリアン~」とは叫ばず、ボソッと「勝ちたかった」と言って泣くあたりは、日本映画ならではの良さでしょう。
    新井浩文さん演じる引退したボクサー・狩野に「かわいこぶってるんじゃねぇぞ、ブス!」と言われる一子が最高だった。

    安藤サクラさんの体当たりの演技が素晴らしい!今年最高の演技を見せられた気がする。
    そして、限られた予算のインデペンデント映画でも、これだけの脚本を書けて、企画立案すればこれだけの作品が出来るという希望を感じる事が出来た作品。
    年末に一発かましてくれたロッキー的感動作品だった!

    私的『百円の恋』

    テーマが有るか?共感できるか?

    人生負け組なんて、気持ちの持ちよう、本人のやる気で変われる!これぞ日本版ロッキー

    作り手の強い意思を感じるか?

    渾身の脚本を劇場公開、そして大ヒット!までに持って行ったそれぞれのスタッフの意欲を感じる作品。

    俳優の意思や演技力が伝わるか?

    安藤サクラさんの体型から、なりふり構わない演技は凄みが有った!
    新井浩文さんの存在感も際立っていた。

    映画らしい楽しさが備わっているか?

    低予算の映画でしたが、ラストに向かっていくカタルシスが良かった、テレビや他のメディアでは出来ない思いっきりさが良かった。

    エンターテイメント性

    前半のウダウダ感に意味があるものの、ちょっとそこが退屈に感じる部分。
    逆に、本当にダメダメぶりが面白かったんですけど。

    演出が素晴らしいか?

    日本のインディーズ系らしい演出、それはそれで良さと感じた、ある意味、古さでもあるけど。

    脚本が素晴らしいか?

    文句がないくらい素晴らしい脚本、断片的なリアリティ感と、絶対無さそうなジャパン・ドリーム的なところのギャップが良かった!

    何度も見たくなるか?

    自分を変えたい、もう一度勇気を持ちたい!そんな時に観たくなる作品。

    映画『百円の恋』のデータ

    百円の恋

    113分 日本 2014年

    監督■武正晴
    製作■間宮登良松
    エグゼクティブプロデューサー■加藤和夫
    プロデューサー■佐藤現/平体雄二/狩野善則
    脚本■足立紳
    撮影■西村博光
    美術■将多
    衣装■宮本まさ江
    編集■洲崎千恵子
    音楽■海田庄吾
    音楽プロデューサー■津島玄一
    主題歌■クリープハイプ 『百八円の恋』

    メイク■金森恵
    企画監修■黒澤満
    照明■常谷良男
    録音■古谷正志
    助監督■山田一洋
    出演■安藤サクラ/新井浩文/稲川実代子/早織/宇野祥平/根岸季衣

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    映画「百円の恋」 公式サイト

    【解説】
     今や日本を代表する実力派女優の一人となった「かぞくのくに」「0.5ミリ」の安藤サクラが、渾身の体当たり演技で各方面から絶賛された闘う女の人生再生ドラマ。
    故・松田優作の出身地・山口県で開催されている周南映画祭で創設された脚本賞“松田優作賞”の第1回グランプリに輝いた足立紳のオリジナル脚本を、「イン・ザ・ヒーロー」の武正晴監督が映画化。
    自堕落な生活を送るダメダメな三十路女が、中年ボクサーとの出会いをきっかけに、自らもボクシングに目覚め、次第に肉体とともに心もシェイプしていく姿を描く。
    共演は「アウトレイジ ビヨンド」「愛の渦」の新井浩文。

     実家にひきこもり、自堕落な毎日を送る32歳の一子。
    ある日、離婚して子連れで出戻ってきた妹と衝突して家を飛び出し、一人暮らしをするハメに。
    仕方なく、100円ショップで深夜のバイトを始めた一子は、そこで同じように社会からこぼれ落ちた不器用な人間たちと出会っていく。
    そんな中、近所のボクシングジムでストイックに練習を続ける引退間近の中年ボクサー・狩野と付き合い始めた一子は、やがて自分もボクシングのトレーニングを始めるようになるのだったが…。(映画データベース –allcinema より)